トンデモ」健康本の検証は続きます。本日は新谷弘美氏と内海聡氏です。
「自然免疫力」は「自然」とは関係ない、という話
新谷弘実著「新谷式 病気にならない食べ方の習慣」(アスコム)という本を検討します。本書は「免疫力を高めれば病気にならない!」と称して「自然免疫力」を高める食事をすすめています。
自然免疫力を賞賛する「トンデモ」健康本は多いです。「自然」というキラキラワードが、その手の人たちに魅力的に響くだからでしょう。人工的、現代科学的な汚染被害を受けていない純粋な自然免疫力ってイメージです。
しかし、ここでいう「自然免疫」の「自然」とは英語のnatureのことではありません。「自然環境」という使い方をする「自然」とは別物なのです。
英語で免疫のことをimmunityといいます。「自然免疫」はinnate immunityです。innateというのは「生まれもった」という意味です。誤解を与えやすいという意味で、「自然免疫」はあまりいい訳語ではないと思います。
「一般的な」免疫能力は獲得免疫と言います。英語ではacquired immunityといいます。この免疫能力は病原体が体に入ってきてから、その刺激により、「あとで」強くなる免疫能力です。
「はしか」にかかると二度とはしかにかからないのは、はしか(麻疹ウイルス)の免疫記憶のおかげです。予防接種(ワクチン)の効果は人工的にこの免疫記憶を高めてやることなのです。
Innate immunity、「自然免疫」はそうではなく、病原体の曝露がなくても発動する免疫能力なのです。獲得免疫よりも後でこの免疫力の存在は知られるようになり、免疫学の領域では注目を集めている研究対象です。
病原体ひとつひとつに効く免疫は麻薬Gメンやマル暴のような特殊部隊に例えられます。一方、いろいろな病原体に広く対応できる自然免疫は交番のおまわりさんに例えても良いかもしれません。ただし、これは「広く薄く」の免疫力なので、決して強い免疫力ではありません。免疫力そのものでいうと、獲得免疫の方がずっとその力は強いのです。
ぼくも医学生時代、自然免疫力をになう主力細胞のひとつ、NK細胞の活性をあげる研究をやっていたことがあります(Kamei T, Kumano H, Beppu K, Iwata K, Masumura S. Response of Healthy Individuals to Ninjin-Yoei-To Extract -Enhancement of Natural Killer Cell Activity. Am J Chin Med. 1998 Spring;26(01):91–5, あるいは、Kamei T, Kumano H, Iwata K, Yasushi M. Influences of long- and short-distance driving on alpha waves and natural killer cell activity. Perceptual and Motor Skills. 1998 Spring;87(3f):1419–23など)。
漢方薬とか生活習慣でNK細胞の活性は上がるのですが、それは極端に強い免疫力ではありません。例えば、NK細胞活性をあげる漢方薬で、肺癌患者の腫瘍マーカー(血液検査)を改善させたり、食欲が増したりといったマイルドな効果が期待できますが、肺癌そのものが治るわけではありません(Kamei T, Kumano H, Iwata K, Nariai Y, Matsumoto T. The Effect of a Traditional Chinese Prescription for a Case of Lung Carcinoma. The Journal of Alternative and Complementary Medicine. 2000 Spring;6(6):557–9)。「自然免疫力を高めて病気がゼロ」というのは高望みというものです。
しかし、「トンデモ」健康本はこの自然免疫に特別な意味を賦与します。
例えば、この新谷氏の著書では自然免疫を「免疫細胞よりもっと古い時代から引き継がれてきた」とか、「単細胞生物の時代から備わってきた原始的な免疫機能」だとか、「原始」「古い時代」というキーワードを連発して、いかにも身体に良さそうな印象を醸し出します。「本来の免疫力」という表現も用いています。
自然免疫の方が獲得免疫よりも古かったという証明はなされていませんが、その可能性はあるかもしれません。しかし、進化の過程では古いものほど悪いもの、というのが一般的です。そうでなければ「進化」ではなく「退化」ですからね。「自然」「原始」「太古の昔から」といったキラキラワードは人を魅了しますが、別に古いからといって自然免疫の優位性があるわけではないのです。
新谷氏は「ワクチンを打っても感染症にかかることがある」「抗生物質でも治せない病気がある」と説きます。まったくそのとおりです。しかし、この勢いで「だから自然免疫を高めれば良いのだ」という論理の飛躍に走ります。自然免疫があっても感染症にかかり、自然免疫でも治せない病気があるという事実は捨象してしまうのです。ひとつの原則をAには適用してBでは捨ててしまうのは、科学的な態度ではありません。新谷氏がこれを知らずにやっているとしたら医学者・科学者としての知性にかなり問題があると思います。知っていてやっているとしたら倫理的に非常に悪質だと思います。
よって、新谷氏は医学者(科学者)としての資質・能力には大きな問題を感じます。一方で、詐欺師としては一流なのかもしれません。たくみに虚実を織り交ぜて人をだますのが詐欺師の常套手段ですから。
新谷氏は「酵素をたくさん含む食事」やサプリメントなどで感染症やがんにならなくなり、うつ病も改善すると主張します。しかし、その根拠となるデータはどこにもありません。
例えば、ビタミンCやEといった抗酸化作用のある食べ物をたくさん採ればがんにならない、という主張を新谷氏はしています。同様の主張は実は世界中で見られる主張です。
たしかに、「実験室レベル」では活性酸素ががん細胞を生み出す一因にはなっています。
しかしながら、実験室と人は同じではありません。抗酸化作用を持つビタミンなどで死亡率は下がらないというメタ分析が近年なされています。むしろ、定期的なビタミンE摂取はむしろ死亡率を高めてしまいます(Bjelakovic Gら Antioxidant supplements for prevention of mortality in healthy participants and patients with various diseases. Cochrane Database Syst Rev. 2012;3:CD007176)。新谷氏の専門領域である消化器系のがんについても、抗酸化作用をもつサプリメントにがんの予防効果はなく、ベータカロテン、ビタミンA、ビタミンEを併用するとむしろ死亡率が高まることが示されました(Bjelakovic Gら. Antioxidant supplements for preventing gastrointestinal cancers. Cochrane Database Syst Rev. 2008;(3):CD004183.)。ビタミンAやビタミンEのような脂溶性ビタミンは過量に摂取すると体内に蓄積され、むしろ毒性のほうが強く出てしまうんですね。
世界がん研究基金(WCRF)と米国がん研究協会(AICR)はサプリメントの採り過ぎはむしろがんを増やすと、これをいさめています(http://www.dietandcancerreport.org/cancer_prevention_recommendations/recommendation_dietary_supplements.php)。
新谷氏は「私たちの食生活には、サプリメントが欠かせない」と主張しますが、これも間違いです。例えば、マルチビタミン、マルチミネラルのサプリメントは死亡率に影響を与えないというメタ分析も出ています(Macpherson H, Pipingas A, Pase MP. Multivitamin-multimineral supplementation and mortality: a meta-analysis of randomized controlled trials. Am J Clin Nutr. 2013 Feb;97(2):437–44)。
新谷氏は加熱せずに生で食事を取ろう、という提唱をしていますが、生食は(拙著「リスクの食べ方」で指摘したように)様々な感染症のリスクを増しますから、必ずしも健康に良い訳ではありません。
新谷氏が主張する「病気にならない食事」というのはありえない幻想に過ぎないのであり、その主張は一言で言えば、「デマ」に過ぎないのです。
飛躍、極論の内海聡
内海聡氏も、論理の飛躍が多いトンデモ本を連作する医師です。「1日3食をやめなさい!」(あさ出版)では、「食べ過ぎが不健康の原因」というしごくまっとうな前提から「だから1日3食はよくない」という極論に飛躍します。相撲取りなどは1日2食で大喰らいですから、カロリー摂取量と「1日3食」は直接関係ないんですが。
カロリー過多はよくない、といいながら帯写真の内海氏はわりとメタボ体型なのはまあご愛嬌。さて、内海氏は、「人間は飢餓がベースなのだから飽食は良くない」、といういかにも自然派が泣いてよろこびそうなロジックを展開します。しかし、現代でも5歳以下の小児の死亡の約45%は栄養不足が原因であり、その数は毎年100万人以上です(世界食糧計画 http://www.wfp.org/hunger/stats)。こういう事実を(たぶん意図的に)隠蔽しながら牽強付会に「栄養過多はよくない」と主張するのが、内海氏の常套手段です。
内海氏は「100年前のがんの発症率はいまの10分の1以下だったというデータがある」といい、「昔はよかった」「現代はよくない」という印象を与えています。この「昔はがんがなかった」というロジックは「トンデモ」健康本によく見られる主張ですが、しかし間違いです。
明治24~31年の平均余命は男性で42.8歳、女性で44.3歳でした(厚生労働省資料 http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/19th/gaiyo.html)。大多数のがんは50歳以上の高齢者に発症しますから、寿命が短い時代にがんが少なかったのは当たり前です。
内海氏は昔は乳幼児死亡が多かったから「平均値」だけでものをいうのは間違いだ、と指摘します(46p)。それはおっしゃるとおりなのですが、例えば明治24-31年の65歳男性の平均余命は10.2年、女性のそれは11.4年でした。これが平成19年になると男性で17.54年、女性で22.42年となっています。
平均余命とは、その年齢に至った時点での残りの寿命の平均値です。平均余命40年ちょっとの明治時代に65歳まで生き延びた人はかなり健康ないわば「エリート」たちです。明治時代には、そのような屈強な人たちも10円ちょっとしか余命がなかったのです。しかし、21世紀における65歳たちはもっと健康で、より長く生きることができます。女性など、倍近く余命が伸びているのです(前掲)。
昔は良かった、という内海氏のロジックは我々の感情に共感を与えます。しかし、現実には現代人の方が昔の人よりもずっと健康なのです。たとえがんが増えたとしてもそうなのです。
昔の人よりも現代人のほうが「健康」なのは量的な吟味だけではなく、質的にも例証することがができます。
手塚治虫の「やけっぱちのマリア」という漫画があります。少年がダッチワイフに恋をするという変わった漫画で、性教育のテキストとしても機能していました。が、ここではその方面については扱いません。
なんでこの漫画を紹介するのかというと、このマンガの中に興味深い点があったからです。ある場面で、生い立ちから年をとるまでの男女の違いを紹介しているのです。手塚氏はおそらく、第二次性徴・思春期から、老いに至るまでの男女差を示したかったんですね。
これによると、男女は生まれてから10歳くらいまでは同じように生活します。が、その後思春期を迎え、男子はノドボトケが出て、声変わり、ヒゲが生えてきて、顔がごつごつしてたくましくなり、毛ズネも生えてきます。腕っ節が強くなり、顔が浅黒くなります(あくまで、手塚氏の描写です)。女子はアンネ(生理のこと。死語ですね〜)がきて、ボイン(これも死語ですね)がふくれてきて、20歳になると結婚してもよくなり、25歳までに結婚しないとオールドミスです(しつこいようですが、あくまで、手塚氏の描写です)。
30歳になると男性は下腹が出てきて、35歳になるとしわが出てきて、貫禄とともに疲れやすくなり、45歳でロマンスグレー、50歳で老眼になって腰が曲がり、あたまもはげ上がり、60歳になると入れ歯で「ふがふが」しています。女性は30歳で出産して急に「おかあさん」タイプになり、40歳でサザエさんパーマででっぷり太り、45歳でしわが増えて更年期を迎え、50歳でやはり老眼になって腰が曲がり、以下同文です。
このマンガが連載されたのが昭和45年(1970年)、ぼくがまだ生まれる前の年のことです。
どうです、みなさん。興味深くありませんか。昭和40年代の日本人の年の取り方は、手塚氏の観察でいうと(それは余人の到底及ばない超人的な観察力ですが)、現代人のそれよりかなり早いのです。現代では、50代の男女で腰が曲がっている人なんてほとんどみませんから。
これはぼくが医者になった1990年代からの短期間でも実感します。ぼくが医者になったばかりのころは、80代の患者はかなりの「高齢者」でした。しかし、現在外来受診してくる80代の患者は驚くほど若々しく元気で、ぼくが医者になったばかりの頃の60代かそこらの患者と同じように見えます。
量的に日本人の寿命は延びており、それは新生児死亡率の低下などだけでは説明ができません(高齢者の平均余命も伸びていますから)。そして、質的にも日本人は昔の日本人よりも健康になっているのです。「現代の日本人は科学や食品添加物や抗生物質やあれやこれやでどんどん不健康になっている」というありがちな「トンデモ」健康本の主張は誤謬に過ぎないのです。
ただ、内海氏は「日本の野菜だから安全というのは間違い」とか、「運動しすぎるのは良くない」と、なかなか鋭い指摘もしています。「季節にあったものを食べる」という主張(206p)はぼくもまったく同意見です。基本的にこの著者は妥当なこととトンデモなことをほどよく織り交ぜて書いているんですね。
ぼくは内海氏にはお会いしてことはありませんが、文面から推測するに彼は詐欺師ではないと思います。わざとデマを広げて金儲けしてやろうとか、有名になってやろうという邪心が彼の主張をドライブしているのではないと思います。本心から良心的に人々の健康について考え、自説を展開している(ただ、間違っている)。そういうことだと思います。
内海聡氏の「トンデモ」著作は数多くありますが、もう一冊、食に関係したものとして「医者いらずの食」(KIRASIENNE)があります。
本書でも、内海氏はなかなか鋭いコメントをしています。例えば、本書の冒頭で内海氏は「正の不存在」という概念を紹介しています。「人間の行動はいつも正しいとは限らない。にもかかわらず、人間はいつも自分が正しいと主張する。このことは私にとって,常に軽蔑の対象として映るのだ」(14p)。全くおっしゃるとおりと思います。
問題は、内海氏のこの言葉がそのまま本人のあり方にも降り掛かってくるところにあるのです。内海氏自身が「おれは正しい、○○は間違っている」という断言口調を頻用するのです。
他にも内海氏はよいことを言っています。例えば、「人々は体の声を聞かず、脳の欲望に負けているのが現実である」(21p)。おっしゃる通りだと思います。ぼくはまたこれに、「体の声を聞かず、知識に負けてしまっている」を付け加えたいと思います。
原理原則的なところでは内海氏の思想は共感できるところが多いです。ただ、そこから先は極論、論理の飛躍、陰謀論の乱用が目立ちます。例えば、
現在、食と呼ばれるものはすべて大企業や生産者や販売業者の都合に支配されている(中略)、、それらはすべて体のことを考えて作られているのではない(21p)
このように、「すべて」を多用し、過度な一般化を行うのが内海氏のやり方です。確かに大企業や生産者や販売業者のすべてが消費者の健康や安全に気を遣っているとは言えませんが、彼らがまったく消費者の体に無頓着というのも言い過ぎです。消費者に健康被害が生じれば彼らの責任問題にもなりますから。
だから、内海氏はもうちょっと自説に抑えを利かせ、その制限を認め、その例外を認め、極論を廃し、そのロジックをもう少し精緻にすればかなり信憑性の高い主張になるとぼくは思います。まあ、極論を止めると本の売れ行きは落ちると思いますが、そんなこと、どうでもいいじゃないですか。
では、具体的に内海氏の「極論」を例示します。例えば、
「コレステロール値が高いと危険である」というのはまったくの嘘なのだ(31p)。
この意見も、内海氏的に言えば「まったくの嘘」です。
確かに、微妙なコレステロールの異常に振り回されるのはどうかと思いますし、コレステロールの異常即病気と考えるのはやり過ぎです。しかしながら、コレステロールが高いと心血管系の病気にかかりやすく、そのために死亡率も増しますし、その値が高くなればなるほどリスクは高まります(Stamler J, Wentworth D, Neaton JD. Is relationship between serum cholesterol and risk of premature death from coronary heart disease continuous and graded? Findings in 356,222 primary screenees of the Multiple Risk Factor Intervention Trial (MRFIT). JAMA. 1986 Nov;256(20):2823–8)。
ただし、高齢者においては高いコレステロールと心疾患、脳卒中、死亡率のリスクは「あるんだけれどもそれほどでもない」と言われています(Psaty BMら. The association between lipid levels and the risks of incident myocardial infarction, stroke, and total mortality: The Cardiovascular Health Study. J Am Geriatr Soc. 2004 Oct;52(10):1639–47)。なので高齢者の場合、ぼくはコレステロールはあまり気にしないように患者さんに申し上げています。しかし、内海氏の言うように「まったくの嘘」というのは「まったくの嘘」なのです。
ちなみに、高齢者の場合、いわゆる悪玉コレステロール(LDL)が低すぎるとこれもまた死亡率が高まることが示唆されています(Schatz IJらCholesterol and all-cause mortality in elderly people from the Honolulu Heart Program: a cohort study. Lancet. 2001 Aug;358(9279):351–5)。コレステロールが高すぎても低すぎても死亡率が高まる、いわゆる「Jカーブ」と呼ばれる現象です。これをうけて「トンデモ」健康本は「だからコレステロールが高くてもよいのだ」という根拠にしたりしますが、もちろんそういう話ではありません。高すぎても、低すぎてもだめなのです。
要するに、このことは「なんでも極端はだめ」ということを意味しています。内海氏の「極論」が間違っているのは当然なのですね。
内海氏は「要するに「コレステロールが高いと危険である」というのは、動脈硬化関連疾患を扱う病院による患者を増やすための方便なのだ」と「トンデモ」本にありがちな陰謀論を打ち出しますが(32p)、もちろんそんなのはデタラメです。
ちなみに、コレステロールを下げる薬の代表格は「スタチン」といいます。その効果は、心筋梗塞や脳卒中のリスクが高い人には死亡率を低める効果が示されています。ただし、リスクの低い人だと薬の副作用のリスクが増します(Abramson JD, Rosenberg HG, Jewell N, Wright JM. Should people at low risk of cardiovascular disease take a statin? BMJ. 2013;347:f6123)。だから、ぼくもスタチンをリスクの高い人には用い、そうでない人には使っていません。
薬とは「そういうもの」なのだと思います。内海氏はすぐに薬を悪者にしますが、薬はハサミと同じで「よくも」「悪くも」ありません。要は使い方の問題です。患者さんによってはスタチンは命を守る恩恵になりますし、患者さんによっては不要、場合によっては有害な存在になるのです。
残念ながら日本の医者は患者さんの区別をせず、無差別に薬を出す人が多いです。だから、スタチンを必要としない、あるいはスタチンの副作用で苦しむような人にも薬を出してしまっています。そのへんは日本医療の重大な欠点であり、内海氏の批判も首肯できる部分もあります。
しかし、かといって薬全否定はやり過ぎです。内海氏は引用文献を示さずにこういう勝手なことを言いますが、これが「トンデモ」の「トンデモ」たる所以なのですね。
ところで、内海氏はスタチンはがんのリスクを増やすと指摘しています(32p)。しかし、スタチンががんのリスクを増すという研究はありますが、そうでないという研究もあります。ここはもめている段階です。がんのリスクが増すかもという研究には例えばBonovas Sら Statins and cancer risk: a literature-based meta-analysis and meta-regression analysis of 35 randomized controlled trials. J Clin Oncol. 2006 Oct;24(30):4808–17があります。がんのリスクを増さないという研究にはDale KMら Statins and cancer risk: a meta-analysis. JAMA. 2006 Jan;295(1):74–80があります。また、スタチンが胃がんを減らす(Singh PP, Singh S. Statins are associated with reduced risk of gastric cancer: a systematic review and meta-analysis. Ann Oncol. 2013 Jul;24(7):1721–30)とか、肝臓がんを減らすという研究(Singh Sら. Statins are associated with a reduced risk of hepatocellular cancer: a systematic review and meta-analysis. Gastroenterology. 2013 Feb;144(2):323–32)もあり、スタチンとがんの関係は簡単には分かりません。
この分からないことが分かる、というのが大事なのです。
分からないことが分かる。これはすなわちソクラテスのいう「無知の知」です。真に科学的な態度です。自分に都合の良い研究データだけ孫引きして、都合の悪いデータは隠蔽したり無視してはいけないんです。それをする内海氏は科学的な態度を取れていない、ということになります。
内海氏はアスパルテームやスクラロース、アセスルファムカリウムといった甘味料の入った「トクホ(特定保健用食品)」を批判します。
トクホについてはぼくも前著「リスクの食べ方」で批判しましたから内海氏がこれを批判するのも理解します。しかし、彼は(トクホ食品であるゼロコーラを)「毎日欠かさず飲めば(中略)、実際は病気と死に向かって進むのだ」とここでも極論を述べます(136p)。トクホはアテになりませんが、かといって「病気と死に向かって」は言いすぎです。
また、内海氏はトランス脂肪酸は健康にまったく寄与しない(142p)とも言います。
化学物質の二重結合ではトランスとシスというのがあり、トランス脂肪酸は脂肪酸の二重結合がトランス形になっているものです。これが(いわゆる)悪玉コレステロール(LDL)を増やし、善玉コレステロール(HDL)を減らすという研究が1990年に発表され、トランス脂肪酸はよくない、という論調が高まりました(Mensink RP, Katan MB. Effect of Dietary trans Fatty Acids on High-Density and Low-Density Lipoprotein Cholesterol Levels in Healthy Subjects. New England Journal of Medicine. 1990 Aug;323(7):439–45)。トランス脂肪酸は天然の植物油にはほとんどなく、マーガリンやファストブレッドなどに含まれており、これらを加工した菓子パンやドーナツ、ケーキ、揚げ物などに含まれています。
しかしながら、多くの研究では実際に食べられないくらいの大量のトランス脂肪酸を用いて健康への悪影響の関連を見いだしたりしており、「極論」の原因となっています(Gebauer SKら. Effects of Ruminant trans Fatty Acids on Cardiovascular Disease and Cancer: A Comprehensive Review of Epidemiological, Clinical, and Mechanistic Studies. Adv Nutr. 2011 Jan 7;2(4):332–54)。また、(内海氏自身がそう言っているように)コレステロール値が変わることと、実際に人間の健康に悪影響が出るかは別問題です。血液検査を正常化するために人間は生きているのではありませんから。
極端に菓子パン、ケーキ、ドーナツばかり食べている食生活はよくないと思います。が、ちょっと食べるくらいだったら別に問題ないのです。甘味料とか、トランス脂肪酸については「定期的に大量に長期的に」とらない、という姿勢が大事です。たまにドーナツ食べるくらい、全然健康を悪くはしません。
子どもが誕生日にバースデーケーキを食べるとき、「いやいや、それはトランス脂肪酸が入っているから食べてはいけない」などという大人は、健康を科学ではなく、観念で扱っています。「トランス脂肪酸」という観念だけでものごとを判断しているのです。年にいっぺんのバースデーケーキは健康に害を及ぼしません。そのような残酷なことを子どもに言う大人にだけはなりたくないものです。
本書では「電子レンジが不健康を作る」ともいいます(222p)。それは電子レンジがコレステロールを上げたり、白血球数が増加したり、赤血球が大幅に減少したりするからなのだそうです。しかし、ここでもコレステロールが上がってもかまわないと言っていたのは内海氏自身です。血球数の変化は健康そのものとは無関係です。ちなみに、ぼくはほぼ毎日のように電子レンジを使っていますが、白血球も赤血球も正常なままで善玉コレステロール(HDL)は高く、悪玉コレステロール(LDL)は低いままです。内海氏のように「自称料理研究家が毎日電子レンジであなた方を不健康にするための作戦を練っている」といった陰謀論を真に受ける気にはなれません。
ぼくが「トンデモ」健康本に批判的なのは、単にそれが科学的に妥当ではないからではありません。
「トンデモ」健康本は極論を断言口調で使う傾向にあります。それは一種の脅し文句です。トランス脂肪酸を食べると不健康になるぞ、電子レンジを使うと不健康になるぞと人々を脅します。医学や栄養学を学んでいない一般の人たちはその脅迫に怯えます。子どもを持つ親たちは子どものためを思って怯えます。その怯えがヒステリーにまで発展することがあります。そして、「そんなものを食べると健康になれない」といって他者に毒を振りまき、脅迫するようになるのです。このような社会が豊かで素晴らしい社会といえるでしょうか。
ぼくは外来で患者さんに、なるたけ「これをするな、あれをするな」と言わないように勤めています。もちろん、喫煙はしないように、暴飲暴食はしないように、穏やかで常識的な健康アドバイスはします。しかし、一部の糖尿病診療医がやるようにこれは絶対に食べてはダメだ、みたいな断言口調、脅迫口調はしません。絶対に一口も食べてはいけないような食品は、この世にほとんど存在しないことを知っているからです。それが長期的に、定期的に、大量に摂取すれば健康に害があったとしても、それがたとえ「発がん物質」と呼ばれるものであったとしても。「発がん物質」も長期的に、定期的に、あるいは大量に摂らなければ別に害にはなりませんから。
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