糖質制限、すなわち炭水化物を減らし、脂質やタンパク質の比率を増やす食事方法は1970年代にアトキンス・ダイエットとして有名になりました。ロバート・アトキンスというアメリカ人が提唱したもので、ぼくがアメリカで臨床研修を受けているときはこのアトキンス・ダイエットが大ブーム。患者さんの中にも(そして仲間の医者たちにも)実践している人がけっこういました。もっとも、日本には1950年代に和田静郎という人がやはり糖質制限食を推奨していたようですね。
糖質制限を有名にしたのは夏井睦氏の「炭水化物が人類を滅ぼす」(光文社新書)です。ぼくは夏井氏の傷の治療、「ラップ療法」を愛用し、前著「傷はぜったい消毒するな」(同)も興味深く読んだので、本書も発売すぐに買いました。
夏井氏はこの本の冒頭で「本書では、中年オヤジでもスリムに変身できる方法を紹介する」とあり、「誰でも簡単に、短期間で努力なしに、ほぼ確実に痩せられる」と書いています。
糖質制限にもいろいろな「流派」がありますが、夏井氏のは例えば、
「米、小麦(うどん、パスタ、パンなど)、ソバー>原則的に食べてはいけない(38p)
というやり方です。砂糖も「食べてはいけない」。ただし、天ぷらや唐揚げのコロモは許容、という(夏井氏によると)「スタンダード以上、スーパー未満」なものだそうです。
ぼくは総量こそ少ないものの主食に糖質は欠かさないので「プチ未満」ということで、夏井氏的には「糖質制限はしていない」とい得るかもしれません(程度問題ですが)。
実は本書を読んだ後、ぼくも糖質制限をやってみました。もともとぼくはおかず食いで御飯をあまり食べない方なのですが、昼食の炭水化物をゼロにして、たんぱく質と脂質に変更したのでした。
すると、困ったことにぼくの体重はすぐに増え始めました。
理由は簡単です。ぼくはもともと筋肉がつきやすく、週末に20~30kmジョギングする習慣があったのですが、糖質制限をしてから筋肉量がどんどん増えていったのです。特に二の腕と太ももがどんどん大きくなっていきました。筋肉が増えるのはジョギングには必ずしも適しませんし、手足がどんどん太くなるのも嫌でしたし、気に入った服が合わなくなるのも嫌でした。なので、ぼくは食時を普段通りに戻して、昼ご飯はコンビニのオニギリなどに戻したのです。そうしたら、ほどなくパンパンだった腕や脚も元に戻り、体重も少し減りました。
ここで学習したのは、糖質制限は「誰でもやせる」方法ではないということです。夏井氏は痩せたのです。いくつもの研究が示すように多くの人は痩せるでしょう。でも、ぼくのような体質の場合はかえって逆効果になり、むしろ体重は増えてしまうのでした。
ぼくの場合BMIが20~21、体脂肪率が6%代で筋肉質の体です。運動もそれなりにしています。たんぱく質の摂取量が多くなれば、筋肉がつきすぎてしまうのは、当たり前と言えば当たり前のことでした。
この体験は、決して糖質制限食を否定するものではありません。というか、もともとぼくは炭水化物の摂取量が少なめで、ベースラインからして糖質制限チックな食事だったのですから。しかし、かといって炭水化物をどんどん減らせば減らすほどよいことが起きるというわけではなかったのです。なんでも「過ぎたるは及ばざるがごとし」なのです。
では、「どのくらい」炭水化物を減らすのが適切なのか。
ぼくの意見は、「それは人による」です。その人がメタボ体系なのかそうでないのか、筋肉の量、運動の量、筋肉や脂肪のつきやすさ、、、こうした生活習慣や体質の違いにより、適切な炭水化物の量が変わってくるのでしょう。
よく「糖質制限ならいくら食べても太らない」と言いますが、さすがに「いくら食べても」は言い過ぎだと思います。というか個々人によって満腹の基準は異なりますから。過食症の人などは、何を食べてもカロリーオーバーで体重は増えてしまうことでしょう。すでに紹介したブリファ氏の本でもテレビを見ながらの食べ過ぎには注意を喚起しており、決して「脂肪をたくさんとりなさい」とは言っていません。
だから、あえて言うなら、「いくら食べても大丈夫な人は、いくら食べても大丈夫」というべきなのです。
臨床試験を援用するEBMは帰納法を「けっこう正しい」と受け入れるプラクティスです。しかし、「絶対正しい」とは言えない。それは100羽のカラスの羽が黒いという観察から、101羽目のカラスの羽の白さを「証明」できないというポパーの反証主義からも明らかです。とはいえ、100羽のカラスの羽の黒さを見て、「次は白いだろう」というのも無視筋です。そのような仮説はちょっと無茶じゃないの?というのを数値化したのが、いわゆる「統計学的有意差」というやつです。
帰納法はわりと正しいけど、ときどき正しくないのです。だから、臨床試験の結果は多くの人には役に立ち、少数の人には役に立ちません。
我々臨床医の役目は臨床試験を否定することではありません。しかし、臨床試験をすべての人に当てはめるのも「帰納法が正しい場合」という前提においてのみです。EBMのパイオニアであるサケット氏のいうように、大切なの患者の個別性なのです。(多くの場合誤解されていますが)EBM「こそが」患者の個別性を尊重するのです。
ということは、一律に一定の栄養割合で多数の人を対象に臨床試験をしても、それが「私にとっての最適の食事」であるかどうかは、確実には分からない、ということを意味しています。
夏井氏は昼の御飯を食べなくなってから痩せて体調がすぐれ、居眠りもしなくなりました。それは事実でしょう。ぼくは逆に、昼飯は炭水化物の方が調子が良いです。こちらもまた、事実です。
外科医の先生の多くは長距離ランナー的な仕事をしています。長い手術をこなし、術後に仮眠をとり、また手術、というロングランです。ぼくの仕事は(アメリカの医者がよくやるように)短距離走型です。朝職場についてから全力疾走、休憩を取らずに執務や外来業務を行います。お昼になるともうヘトヘトで、疲労困憊です。疲労困憊なときは、たんぱく質や脂質よりも炭水化物の方が摂取しやすいのはアスリートの食事をみても明らかです。ぼくは昼ご飯は仕事をしながら片手でオニギリ、そのまま全力疾走で夕方まで仕事をして帰宅、炊事や洗濯物の取り込みをする、という毎日です。「そういうライフサイクル」には昼の糖質は見事にフィットしていたのでした。
ですから、ここで大事なのは「糖質制限がよいか、否か」という二元論的な問いではありません。それがあなたにフィットしているか。それだけが大事です。そして、それを誰が判定するのか。それは自分自身で判定するより他ありません。
糖質制限を批判した本もあります。例えば、栄養学者の幕内秀夫著「世にも恐ろしい「糖質制限食ダイエット」」講談社α新書がそうです。
幕内氏の主張はこうです。アトキンス・ダイエットは1990年代に流行ったが今は廃れてしまった。現在はアメリカ人もアトキンス・ダイエットなんてやっていない。幕内氏は、「アトキンス・ダイエットが大ブームになったアメリカで肥満が減ったという話は、誰も聞いたことがないはず」(23p)と言います。
でも、「誰も聞いたことがない」という伝聞でもってアトキンス・ダイエットに効果がないと主張するのはちょっと説得力を欠くようにぼくは思います。
やはりこういうときは、実際のデータで検証するのが大事です。
アトキンス・ダイエットのことを、現在医学用語では「ケトジェニック・ダイエット」と言います。タンパク質や脂肪分の多い食事を摂ると糖分の代わりに脂肪が分解されたケトン体が体内で増えるからです。
で、医学論文をまとめたデータベースDynamedで検索すると、ケトジェニック・ダイエット(ketogenic diet)は体重減少(ダイエット)に有用かもしれないと記載されています。24週間の観察期間で、5人に一人はドロップアウトするという「微妙」な研究ですが、低脂肪食に比べるとたしかに体重は減るという研究はありました(Yancy WSら A low-carbohydrate, ketogenic diet versus a low-fat diet to treat obesity and hyperlipidemia: a randomized, controlled trial. Ann Intern Med. 2004 May;140(10):769–77)。
半年間なので、これがどこまで持続するかという問題は残りますが、少なくともケトジェニック・ダイエットは「ダイエット」(体重減少)には有用だというデータは存在します。栄養学者の幕内氏がこのようなデータを無視した、あるいは知らないというのは問題です。
ちなみに、この後メタ分析もなされ、糖質制限食は肥満や高血圧、中性脂肪には効果があるようだとされています。ただし、その効果は小さいとも結論づけています(Santesso Nら. Effects of higher- versus lower-protein diets on health outcomes: a systematic review and meta-analysis. Eur J Clin Nutr. 2012 Jul;66(7):780–8)。また、長期的には糖質制限を行っても肥満、心疾患、血糖値には影響がなかった、よくも悪くもない、というメタ分析もあります(Schwingshackl L, Hoffmann G. Long-term effects of low-fat diets either low or high in protein on cardiovascular and metabolic risk factors: a systematic review and meta-analysis. Nutr J. 2013;12:48)。
岡本卓氏の「本当は怖い「糖質制限」」(祥伝社新書)も「糖質制限はやめよ」、と警告する本です。本書では糖質制限が体重減少や血糖値を下げる効果があったとしても、「それは短期的なものに過ぎない。長期的な効果についてはまだわからないことが多い」という根拠で糖質制限に反対しています。本書は引用文献名やその内容についてかなり詳しく説明しており、いわゆる「トンデモ本」とはその点で一線を画するものです。
本書の根拠として一番大きいのは糖質制限食のメタ分析で「死亡率があがった」という報告です(Noto Hら. Low-carbohydrate diets and all-cause mortality: a systematic review and meta-analysis of observational studies. PLoS ONE. 2013;8(1):e55030)。
メタ分析とはいろいろな論文を集めてデータをまとめ合わせ、より大きくて信頼度の高いデータを再構築する分析を言います。僕自身、このメタ分析を他の領域で行ったことがありますが、ものすごくたくさんの論文を吟味しなければならないのでとても疲れる研究でもあります。
で、このメタ分析では糖質制限が長期における「全死亡率」をわずかながら上げるという結果でした。糖質制限に対するネガティブな結果です。
このメタ分析を、糖質制限推奨者の江部康二氏は批判します(当然ですよね http://koujiebe.blog95.fc2.com/blog-entry-2511.html)。
ひとつには、メタ分析に質の低いとされる研究が混じっている点です。それに対して江部氏は質の高い研究はこれとこれだ、質の低い研究はこれとこれだ、と指摘し、こういう玉石混合なので本研究はよくないのだ、と批判します。
その批判には首肯すべき点もあります。しかし、これは江部氏がメタ分析をよく理解していないから起きる誤解でもあります。
メタ分析はサンプル数によって重みをつけます。全ての論文を等しく扱うのではなく、小さな研究は小さく、大きな研究は大きく扱うのです。
江部氏が「質が高い」とした研究は死亡率を吟味する上での寄与率が45.2%と大きく扱われています(Fung TTら. Low-carbohydrate diets and all-cause and cause-specific mortality: two cohort studies. Ann Intern Med. 2010 Sep 7;153(5):289–98)。一方、「質が低い」とした研究は寄与率が11.4%しかありませんでした。メタ分析は、このように重みをつけて研究を吟味するので、玉石混合ではあっても、ただ混ぜ合わせているわけではないのです。
また、もう一つ「質が高い」と江部氏が評価する論文は、メタ分析での一番の結論、「死亡率」を評価していません。なので、フォレスト・プロットと呼ばれる分析結果の図にも採用されていないのです(Halton TLらLow-Carbohydrate-Diet Score and the Risk of Coronary Heart Disease in Women. New England Journal of Medicine. 2006 9;355(19):1991–2002)。
江部氏はHaltonらの論文を
「低炭水化物・高脂肪・高タンパク食に冠動脈疾患のリスクなし」
「glycemic load が低いとCHD(冠疾患)リスクが低下。」
「低糖質+高動物性タンパク+高動物性脂肪摂取」がCHD(冠疾患)リスクを低下。」
「総炭水化物摂取量は冠動脈疾患リスクの中等度増加に関連。 高GLは冠動脈疾患リスク増加と強く関連。」
「すなわち高炭水化物食の危険性を明確に指摘しています」と述べていますが、能登論文のキモは「全死亡率が下がるか」なのです。もしかしたら冠動脈疾患は増えないかもしれないし、そのリスクも下がるかもしれないし、、、、だけど死亡率は高かったというのがメタ分析の結論ですから。
確かに、このメタ分析で採用した論文にはいくつかの瑕疵が見られます。なので、これで糖質制限が死亡率をあげる、と断言できるものではないと思います(メタ分析の著者らもそこは認めています)。
しかし、少なくともこのメタ分析は「糖質制限が長期的に死亡率をあげる可能性」を懸念させるものであり、それは江部氏が評価するHaltonらのスタディーとは無関係にそうさせるのであり、全否定すべきものでもありません。
さらに、江部氏が「極めて質の高い論文」と評価するもうひとつの論文も、「糖質制限が全死亡率をわずかにあげるかもしれない」という論文です(少なくとも糖質制限が死亡率を下げてくれるわけではなさそうだ、という論文でもあります(Fung ら。前掲))。この論文があったからこそ、メタ分析でも「全死亡率の上昇」という結論が得られたとも言えます。
とはいえ、Fungらの論文を見ると、糖質制限をしてもしなくても、たいした違いはないなあ、というのがぼくの意見です。死亡率が上がるといっても、その差はごくわずかなのですから(専門用語でいうと相対リスクは1.31とたいしたことはなかったのです)。
岡本氏は「糖質制限はやめなさい」と主張しますが、その根拠は動物実験や他の目的の研究を援用したもので、「やめろ」というには説得力がありません。なにしろ、岡本氏自身がいうように、糖質制限の長期的な有効性や安全性は「よくわかっていない」のですから。よくわかっていないときは、断言口調を避け、「わかったふり」をしないのが、医学者としての良心と誠実さだとぼくは思っています。
そろそろ、結論です。糖質制限によって長生きできる、という保証は(少なくとも現時点のデータでは)なさそうです。かといって、糖質制限をするとバタバタ早死にする、というわけでもなさそうです。長期的には「どっちでもいいじゃん」ということになります。
さて、糖質制限は長生きだけを目標に行われているわけではありません。ダイエット目的に行うこともあれば、病気の治療に、例えば糖尿病の治療の一助として行うこともあるでしょう。
とすればです。一番良いのは「自分で試して確認してみる」ことです。
糖質制限をして痩せる人、血糖が下がる人は「やった、やった」と続ければ良いでしょう。そうでない人はそうでない食事をすれば良いでしょう。岡本氏の地中海食だって試してみても良いかもしれません。ちなみに、ぼくはオリーブオイル大好きで、好んで料理に使ったり、パンにつけて食べています。
体重だって血糖値だってモニターできるのですから、「その個人にとって」よい食事法だったからどうかはすぐに確認できます。糖質制限で痩せた夏井氏のように、あるいは太ったぼくのように。だから、あれやこれやの学説に振り回されることなく、「自分で試して、確認すれば」よいのです。
そして、大切なのは一つの説にこだわりすぎて他者を全否定しないことです。これまで見てきたように、糖質制限をしようとしまいと、長期的な予後は極端には変わりません。ならば、「おいしい」とか「食べたい」という命以外の価値観を加味すれば、「自分で選択したことをやる」でよいではないですか。それを他者が「お前はまちがっている」と全否定するのはおかしいと思います。ぼくの家人はご飯食いで、よくおかわりをしていますが、それがぼくと違う食事法だとしても、全然否定しようとは思いません。
糖質制限に関わらず、ある食事法に「はまった」人は、他の食事法を選択した人を攻撃する傾向があります。
これを教えてくれたのは内田樹先生です。以前、内田先生も(詳細は忘れましたが、麦か何かだったかな)の食事法に凝って、そういう食事ばかり摂っていたそうです。すると、周囲でカツ丼やケーキやいろいろなものを食べている人に怒りの感情が湧いてきたんだそうです。そして「お前の食事はよくない」「あなたの食事はけしからん」と攻撃を繰り返し、ついには食事の時間に周囲に誰もいなくなってしまったんだそうです。で、食事を普通にしたらみんなと楽しく食事を楽しめるようになったんだとか。
どういう食事方法を選ぼうとその人の自由です。周りの人たちが好きなものを食べる自由を形式的にも、本質的にも(睨み付けたりしないってことです)十全に保証している限り。だいたい、「痩せる」という目的だって、万人に共有されるべき価値観とは限りません。すごく痩せたい人も、ほどほど痩せたい人も、それほど痩せたくない人もいるでしょう。極端に痩せていたり、極端に太っていないかぎり、その辺の個人差だって許容すればよいのです。
最後に話はずれますが、ぼくは岡本氏が自著で主張する「命中心主義」は極めて危ないと思っています。
それは「医師がまず、はたすべき役割は患者さんの命を救い、その命をできるだけ長らえされることだ」「どんな状況においても、まず命を第一に考え、命を危うくすることが少しでもあるような医療は行わないことが、医師の使命だ」という考え方です(185p)。
もちろん、命は非常に重要な価値です。しかし、価値の全てではありません。自由とか、夢とか、痛みや苦痛のない状態とか、家族とか、友人とか、お金とか、美味しい食事とか、みーんな大事な価値観というものです。
その患者の多様な価値観を医者が勝手に「命が一番大事」と規定するのは医者のエゴであり、パターナリズムです。患者の価値観を否定することができるほど、医者は偉い存在ではありません。
それは医者の思い上がりというものです。
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