この両名の対談ということで、分かる人には分かる超豪華セッティングです。
ぼくはいわゆる「ヒューマンな」医者が苦手で、学生時代からそういう本は敬遠してきた。今でもそういう御涙頂戴ヒューマンな医療系は若干苦手だ。御涙頂戴が嫌いなのではない(大好き)。医療をネタにお涙をねだるのがイヤなのだ。
しかし、ほぼ唯一の例外が徳永先生であった。もっとも徳永先生は涙をねだらない。むしろ笑みを醸造する。そういう笑いのある死やホスピスの話が腑に落ちるなあ、と思って愛読していた。
学生の時、一度徳永先生が鳥取から島根に講義にこられたけど、これも感動した。話の内容は覚えていない。ただ、講義中に歌を歌っていたのは覚えている。で、帰りの山陰本線に乗り込んで、宍道まで話を聞かせてもらってしまった。今だったら、講義の後どれだけ疲労するか知っているので、ひとりでほっこりしたかったであろう徳永先生と空気が読めない困った学生の構図に気づくけど、当時はそんな余裕はどこにもなかった。ま、余裕しゃくしゃくの学生も小憎らしいだろうけど。鷲田先生とはこないだ本を出させていただいたので、そちらをお読みください。
この本は予想通りよい本でした。とりあえず気に入ったところを(語尾とかは少し変えてます)。
看護師さんには不思議な生態があって、患者さんの家族のことをぼろくそに言って盛り上がる、、、、でも、「一番つらいのは患者さんだよね」とか(誰かが)言う。「確かにそうだね」となる。ボロクソに文句を言うプロセスが、どうしても必要だ。
人から大事にされていると、自分を粗末にしては行けないと思うようになる。
あなたの言うことはわかるけど納得いかない、ということがある。分からないけど納得いく、ということもある。
正義を声高に主張する人の言うことは信用できない。
途方に暮れ合う
サッカーってすごく臨床的(野球はそうじゃない)
「愛してます」とか「許します」って日本人には合わない言葉。
ユーモアとは、にもかかわらず笑うことだ
「全人的医療」は嫌な言葉。トータルペインとか、スピリチャルペインも、、、(ぼくもこういう手あかのついた言葉は嫌い)。
性教育は、性を器官の問題に貶めている
のびのびと喧嘩できるというのは効用である。
あと、お二人の話が噛み合っていなかったり、誤解しあっていたり、同じ言葉に対する評価が真逆だったり、意見が合わないことが案外多いことが面白かった。それでも会話が成立するところが、さらに面白かった。
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