シリーズ 外科医のための感染症 コラム 日本型救急と北米型ER その感染症診療への影響
日本には大きく分けると二つの救急医学の「流派」があります。古典的な、三次救急を専らとする日本型救急と、一次から三次まで、受診者は「何でも診る」北米型ERです。ERはテレビドラマにもなったので、一般の方にもとても有名になりました。まあ、ジョージ・クルーニーのようなかっこいい医者がいるわけじゃないし、現実のアメリカのERは、うわ、やめろ、なにをすあqwせdrftgyふじこlp
ところで、感染症屋の目から見ると、日本型救急のドクターと、北米型ERのドクターとどっちが「話が通じやすい」かというと、これは圧倒的に後者です。
北米型ERのドクターは風邪や咽頭痛など、コモンな感染症診療のトレーニングも受けていますし、こういう「内科的な患者の診方」のコンセプトも理解しておいでです。北米でトレーニングを受けていれば、適切なコンサルトの重要性もよく理解されていますし、感染症屋を呼ぶべきタイミングもバッチリです。
しかし、日本型救急のドクターの多くは、そもそも感染症の「イロハ」を教わっていません。発熱のワークアップの方法とか、抗菌薬使用の原則とか。
どちらかというと体育会系の日本型救急では、何が妥当な診療かを議論する場も少なく、「俺がルールだ」的な強面のボスの鶴の一声が診療方針を決定します。そのボスの感染症診療の知識は、これはボス研修医時代に先輩などから教わった伝統芸能的なものだったり、学会で美味しいランチを食べながら「なんとかマイシン、マンセー」とMRさん御用達の先生の提灯持ち的ランチョンセミナーで薦められた新薬の使用だったりします。血清のエンドトキシン・アッセイとか、プロカルシトニンとか、ハイテクな検査も駆使しますが、その感度、特異度などにはとても無頓着で、「とりあえず、みんな測っとかんかい。うちの患者は重症なんだから」とここでもブルドーザー的です。
そして、こういうボスをロールモデルにして、若手のドクターたちも同じような振る舞いをしだします。3年目くらいからコメディカルやMRさんたちにため口をきき、「俺の経験では、こういうときはカビのカバーだ」とかボスの口まねをしだします。3年目くらいで「俺の経験」とか口にするヤバさも自覚していません。いや、だいたいこういうタイプは他人の言葉に耳を傾けるのがとても苦手なので、全然人のアドバイスを聞きません。こうして救急センターは病院の独立した「城」と化し、完全なる治外法権的な診療が展開されるようになるのです。別名ガラパゴスとも、「井のなかの蛙」とも呼びますが。
もちろん、日本型救急の先生でも、きちんと基本的な感染症診療の訓練を受けていたり、勉強をしていたり、あるいは他人の言葉に耳を傾け、いつも謙虚で笑顔を絶やさず、東に病気の子どもがあれば行って看病してやり、、、みたいな人もいるとは思います。だから、日本型救急だからだめなのだ、とは思いません。
日本型救急にも北米型ERにも長所も欠点もある、、、と両方見てきたぼくは思います。いずれにしても大事なのは質の高い患者ケアが提供されることです。日本型救急か、北米型ERか、は手段のレベルの問題に過ぎません。ぼくは部外者なので、どちらのスタイルをとっていても、それが上手くいっているかぎりはかまわないと思います。日本型救急であっても、そこで妥当な感染症診断と治療が行われている限りにおいては、まったく異存はございません。その限りにおいては。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。