シリーズ 外科医のための感染症 コラム 血液培養はなぜ2セットか(と感度、特異度についてのちょっとした考察)
血液培養は2セットですよ、保険適用も取れましたよ、という話をしています。血液培養の「取り方」についても説明しました。
さて、問題は「なぜ」血液培養は2セットでなければいけないのか、ということです。
これは、「感度」と「特異度」の両方の理由があります。
ちょっと、感度、特異度をおさらいします。
感度は、「病気の人」を分母にし、そのうち検査陽性の人を分子にしたものです。分母に注目しましょう。分子で間違えることはまずありませんが、「分母」で間違えることは、わりとよくあります。人は分母からは注意がそがれてしまいがちだからです(これは分数一般によくみられる傾向です)。
特異度は「病気でない人」を分母にして、そのうち検査陰性の人を分子にしたものです。
感度が高い検査は、患者を「拾い上げる」のに便利です。その検査が陰性なら、病気を「除外」できる可能性が高いからです。特異度が高い検査は確定診断に便利です。その検査が陽性であれば、「病気を持っていない可能性」は低いからです(病気がなければ、検査が陰性になる可能性が高いからです)。
感度は除外(rule out)に、特異度は確定診断に(rule in)に使うので、Snout, Spinなんて覚え方を英語ではします。sensitivityはrule outに、specificityはrule inに、というわけです。
感度、特異度「そのもの」を使って患者を評価することはできません。なぜかというと、目の前の患者が病気を持っているのか、いないのかは分からないからです(分かっていれば、診断のための検査は不要になります)。「分母」が分からないわけですから、これは使えない。
代わりに、「陽性的中率」「陰性的中率」は患者に使えます。陽性的中率は、「検査が陽性の人」が分母で、そのうち「病気の人」が分子になります。陰性的中率は「検査が陰性の人」が分母で、そのうち「病気がない人」が分子になります。こっちのコンセプトの方が、感度・特異度よりも直観的に理解できると思います。これなら、目の前の患者の検査が陽性のとき、陰性のとき、その患者が病気を持っている、持っていない確率を直接検証できます。
むしろ、感度、特異度は患者の属性ではなく、検査の属性を評価するのに便利です。「その検査」がどれくらい除外、確定診断に役に立つか、という検査の吟味です。
しかし、感度・特異度を患者ケアに活かす方法もあります。それは、感度・特異度を組み合わせて用いるやり方です。すなわち、
感度/(1-特異度)
(1-感度)/特異度
という計算をするのです。
前者を「陽性尤度比」、後者を「陰性尤度比」と言います。「尤度(ゆうど」とは耳慣れない名前ですが、ようするに「らしさ(likelihood)」のことです。
尤度比を使えば、単に「どこかの患者」に検査をするより、もっとレベルの高い検査結果の吟味ができるようになります。つまり、「おれはこの患者、アッペだと思う」という患者と、「おれはこの患者、アッペじゃないと思うけど、念のため検査しとこ」の患者を区別することができるのです。
この「この患者、アッペだと思う」を数値化したものを「検査前確率」と言います。例えば、80%とかの数字をここにあてます。「アッペじゃないと思うけど」はそうですね、10%くらいにしときましょうか。
この検査前確率と尤度比を組み合わせると、検査後確率が計算できます。これは「どこかの誰か」の検査結果を吟味する陽性的中率、陰性的中率よりも「この」患者にフィットした病気の確率になります。
で、この検査後確率の計算ですが、その理論も面倒くさいし、その計算も面倒くさいので端折りましょう。最近はスマートフォンで計算してくれるアプリがありますから(http://www.medcalc.org/)。
例えば、「これ、アッペだな」と思って検査前確率80%、(あなたの)超音波検査の感度が80%, 特異度80%として、検査が陰性だったときの検査後確率は50%です。とてもアッペを除外できるものではない、ってことです。ちなみに検査が陽性だったら、検査後確率は94.1%。かなり自信を持ってアッペと言えますね。
余談ですが、感度と特異度を足して1(100%)か、それに近い値のときは、「その検査は無意味」です。これは「尤度比」の定義をみればすぐわかります。例えば、感度95%でも、特異度5%の検査は無意味です。特異度95%、感度5%の検査も無意味です。どちらも陽性尤度比、陰性尤度比は1ですね。検査をしても検査後確率は検査前確率と同じになります。意味ないジャーン。
ということは、感度だけ、特異度だけ見ても検査の善し悪しは分からないってことです。両方見なくっちゃ、いけない。
検査前確率という「主観」が現実に起きている病気のあるなしに影響するという「ベイズの定理」は長い間、論争のたねになっていました。主観が「事実」に影響するなんて、おかしいやん、というわけです。
でも、主観を拠り所にして検査をしている岩田としては、主観を抜きに検査だけを頼りにする医療よりもより臨床医療的だと感じます。みなさんは、どうお考えでしょうか。
さて、血液培養に戻します。
血液培養1セットよりも2セットの方が検出率が高く、よって感度は上がります(Cockerill FR 3rd et al. Optimal testing parameters for blood cultures. Clin Infect Dis. 2004 Jun 15;38(12):1724–30)。1セットだけの陽性はコンタミの可能性が拭えませんから、特異度もあがります。血液培養は感度の観点からも、特異度の観点からも、2セットの方がベターなのです。
最近では、20ccよりも30ccのほうがええんちゃう?好気ボトル2本と嫌気ボトル1本で2セット、6本ボトル出さんかい、、、という場末のスナックならママが歓喜しそうな研究も出ています。どうなんですかね(Patel R et al. Optimized pathogen detection with 30- compared to 20-milliliter blood culture draws. J Clin Microbiol. 2011 Dec;49(12):4047–51)。あと、嫌気ボトルがどのくらい役に立つかも以前から議論がありますが、嫌気性菌感染を疑わない状況では、「とらない」という選択肢もあるんちゃう?という研究を岩田たちは以前出しています(Iwata K, Takahashi M. Is anaerobic blood culture necessary? If so, who needs it? Am J Med Sci. 2008 Jul;336(1):58–63)。例えば、コテコテの尿路感染のときとか。これもまだ、検証不十分な領域ですが。
検査は「なぜ」やるのか、理解し、その必然性を確認しておくことが大事です。「やることになってるから、やる」というトートロジーはよくありません。「うちの医局ではこうなってる」もだめです。「教授がそうしろと言ってる」はもってのほかです。自分の頭で理解、納得して、患者のためにベストを尽くすのが、独立した医者のつとめなのです。昔、「血培とって陽性になると感染症内科が介入してくるから、患者の血培はとるな」という外科医がいましたが、こういう「患者にベストを尽くせない」医者は、いくらメスの持ち方が上手でも、外科医としては(ていうか、意匠者一般としても)失格です。
文献
松本哲哉・満田年宏訳。Cumitechの「血液培養検査ガイドライン」( 2007年)
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