注意! これは神戸大学病院医学部5年生が提出した感染症内科臨床実習時の課題レポートです。内容は教員が吟味し、医学生レベルで合格の域に達した段階 で、本人に許可を得て署名を外してブログに掲載しています。内容の妥当性については教員が責任を有していますが、学生の私見やロジックについてはできるだ け寛容でありたいとの思いから、(我々には若干異論があったとしても)あえて彼らの見解を尊重した部分もあります。あくまでもレポートという目的のために 作ったものですから、臨床現場への「そのまま」の応用は厳に慎んでください。また、本ブログをお読みの方が患者・患者関係者の場合は、本内容の利用の際に は必ず主治医に相談してください。ご不明な点がありましたらブログ管理人までお問い合わせください。kiwataアットmed.kobe-u.ac.jp まで
鹿肉を生食することのリスクについて
鹿肉を生食する文化がどのような地域に分布するのかは明らかでないが、野生のシカ(ニホンジカ:
Cervus nipponやアカシカ: Cervus elaphus などを含むシカ科の動物)が生息する地域では、カルパッチョや刺身といった形で鹿肉が生食されることがしばしばある。また、生食を目的としていなくても、加熱調理が十分なまま喫食されることもある。野生のシカは様々なウィルスや細菌、原虫に感染しており、その肉を生食することで以下のような感染症を発症する危険がある。
- E型肝炎
E型肝炎とは、これまで経口感染する非A非B型肝炎と分類されていたもので、へぺウィルス科のHEVウィルスによって引き起こされる。E型肝炎はA型肝炎のような急性肝炎を呈し、致命的な劇症肝炎は全体の1~2%でみられるが、特に妊婦では10%~20%程度に上昇する。(1
国内では、2003年に兵庫県で発生したE型肝炎患者の血清中のHEV遺伝子と、冷凍シカ残肉から検出されたHEV遺伝子の塩基配列が一致したことにより、鹿肉の生食がHEVの原因となることが初めて確認された。(2(3
- 腸管出血性大腸菌O-157:H7
アメリカコネチカット州で腹痛、血便、嘔吐を訴えた患者の便がO-157陽性であり、DNAフィンガープリント法でO-157;H7であることが確認された。患者は、発症2日前に狩猟によって得られたオジロジカ(Odocoileus
virginianus)の生焼けの肉を食べており、同じ肉を少量食べた患者の父が腹痛の症状を訴えていた。冷凍されていた残肉からも患者サンプルのものと同一のO-157:H7株が検出されたため、この感染が鹿肉の生食によるものであると判明した。(4
また、日本国内でも北海道で狩猟された鹿肉を刺身で生食したことにより、腸管出血性大腸菌(O-157:H7)感染症を発症した例が報告されている(5 他、福岡県、北海道でも類似した症例が報告されている。
- トキソプラズマ感染症
1980年に、Alabama州とSouth Carolina州の3名のシカ猟師がトキソプラズマ症を発症した。これらの患者は発症前数日間に鹿肉を生食しており、ネコとの接触やシカ以外の肉の生食といった既知のリスクファクターはなかった。また、1980年に狩猟によって得られた野生のシカを解体したSouth Carolina州および Georgia州の猟師62人のうち、鹿肉を生食したことのある群は血清中の抗体陽性率が有意に高く、それ以外のリスクファクターと陽性率の関連は少ないことが示されている。(6
鹿肉の生食は以上のような感染症を発症する危険があるが、それがどれほどの確率であるのかは明らかでない。しかし、日本国内に生息するニホンジカ(Crvus
Nippon)に関しては、兵庫県内のシカ139頭を対象とした福永ほか(7 の調査や全国15カ所で捕獲されたシカ417頭を対象とした松浦ほか(8 の調査でもHEV遺伝子は検出されておらず、シカにおけるHEV感染は非常に稀なものと推察される。O-157についても東京都奥多摩町での113頭を対象とした調査(9や、長野県の68頭を対象とした調査(10では陽性率が0%であり、同じく稀であると考えられる。
これらの事実をもとに鹿肉の生食の是非を断定することは困難である。しかしながら、HEVの致死率は妊婦で特に高く、トキソプラズマ症は胎児先天奇形の原因となることから、妊婦および妊娠する予定のある女性については鹿肉の生食は避けるべきであり、腸管出血性大腸菌感染症が重症化しやすい小児や老人も同じく避けるべきであると筆者は考える。
〈参考文献〉
(1 ハリソン内科学日本語版第4版;2204-2211
(2 Tei S, et al., Lancet 362(9381): 371-373,
2003; Zoonotic transmission of hepatitis E virus from deer to human beings
(3 Tei S, et al., Journal of Medical
Virology 74:67–70, 2004; Consumption of Uncooked Deer Meat as a Risk Factor for
Hepatitis E Virus Infection:An Age- and Sex-Matched Case-Control Study
(4 Rabatsky-Ehr T, et al., Emerging
Infectious Diseases 8(5):525-527, May 2002
(5 大谷勝実:鹿肉の生食による腸管出血性大腸菌(O157:H7)感染事例について―山形県.病原微生物検出情報 1997;18:84
(6 Sacks J, et al., American journal of
epidemiology 118(6),832-838, 1983; TOXOPLASMOSIS INFECTION ASSOCIATED WITH
EATING UNDERCOOKED VENISON
(7福永真治ほか:IASR26.264 (2005)
(8 Matsuura, Y. et al.: Arch. Virol., 152,
1375: 2007; Prevalence of antibody to hepatitis E virus among wild sika deer,
Cervus nippon, in Japan
(9 東京都 奥多摩町で駆除された野生シカの E 型肝炎ウイルス等保有状況調査 (平成 17 年度実施結果)
(10 長野県 平成18年度 ニホンジカ疾病等基礎調査結果
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