待ち時間が長い、というのは病院に来る患者さんの最大の苦痛であり、苦情です。しかし、その待ち時間の長さの最大の原因も、ぼくの意見では、患者自身にあります。
あなたの前にはたくさんの患者がいます。どうしてなかなか自分の番がやってこないんだろ。ぼく自身が「イラチ」なので、この気持はとても良く分かります。
でも、振り返ってみてください。あなたの「うしろ」にもたくさんの患者がいるのです。あなたもまた、後ろから、厳しい目線で見られている人たちの一人なんです。
行列や渋滞とは、自分自身も参加している集団なのです。行列に苦しむ人、渋滞に困っている人は、その行列や渋滞に加担している人「だけ」なんです。
ですから、前回も申し上げたように、一番シンプルな「待ち時間」解消法は、最初から病院に来ないことです。そのためには、
近所の開業医さんにできるだけ相談する。
大きい病院に来れば問題が解決すると思っている人はとても多いですが、大きい病院に来る患者さんの半分以上(あるいはそれ以上)は開業医さんでも十二分に問題解決可能な患者さんです。とくに大学病院みたいなところは専門分野が分かれすぎていて、むしろ開業医さんのほうがいろいろな問題を上手に解決してくれるチャンスは大きいかもしれません。
まあ、日本の場合、残念ながら大病院にしても開業医にしても、その能力を担保する仕組みを欠いています。昔使われた医者の指標は「出身大学」と「学位」でしたが、すでに[心得22]で指摘したように、出身大学のいわゆる一流度合いは、医者の能力(脳力)の判定とは関係なく、むしろ逆になるリスクすらあるのでした。「学位」は日本の場合、ほとんどが基礎的な実験室での実験の成果で得られるものなので、医者の現場での実力とは直接は関係ありません。もちろん、学位があるからダメ、ということもないですが。
で、最近は専門医資格を持っているかどうかで評価されることが多くなってきましたが、多くの専門医資格は「学会に入り、学会費を払ってくれること」へのご褒美状態になっており、本当の実力を判定するには不十分です。この話は来月出す新書で詳しく説明しています。
というわけで、日本の場合は、開業医のほうが大病院の医者より信頼出来る、とかその逆、ということは言えません。両者の実力を判定するモノサシがないからです。
いずれにしても、大病院に行けば開業医よりもよい医療が受けられる、というのは幻想に過ぎません。なんとかよいかかりつけ医を見つけて、できるだけそこで問題を解決すれば、あなたが「行列」「渋滞」の一部になるリスクは確実に回避できます。
どうしても大病院に行かねばならない患者さんは、多くの場合、主治医でも「大病院が必要だ」と判断し、紹介状を書いてくれます。
日本の医者の実力は上記のようにピンきりではありますが、それでもシロウトよりは判断力が高いことは、ほぼ間違いはありません。
近年はソーシャルネットワークの発達もあり、「シロウトがクロウトに難癖をつける」のが流行っています。もちろん、ノーム・チョムスキーが指摘するように、クロウトが完全に正しいなんて幻想に過ぎず、案外間違っていることも多いのですが、かといってシロウトの付け焼刃な勉強でクロウトを「簡単に」論破できる、というのもやはり一種の幻想だと思います。
とはいえ!
日本では、医者の実力をまっとうに測る「モノサシ」がありません。これはちょっと困ったことではあります。
でも、医者の実力は、絵画や音楽や文学と同じで「見る人が見れば分かる」ものです。モーツアルトの音楽の素晴らしさが音符の数や楽器の数や交響曲の演奏時間では評価できないように、医者の実力も診察患者数や卒業年度や薬の処方数では評価できません。でも、よい音楽が「よい」ことは、分かる人には即座に分かります。
で、ぼくが思うに、どこの病院にも診療圏にも、あるいはどの専門分野であっても「よい先生」と「そうでない先生」はいると思います。田舎か都会か、男か女か、病院か開業医か、は判定の基準になりません。だから、「こうすれば安心」という絶対安全領域がない代わりに、「これだとダメ」みたいな絶対危険領域もありません。
ながーくお付き合いできるかかりつけ医が見つかるとよいですね。まあ、医者とは無縁な人生のほうが実はずっと幸せなんだとも思いますが。
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