俗に「中毒」と呼ばれる言葉は、止められなくなる「依存症」と、たくさん摂り過ぎてしまう「過剰摂取」の両方に使われることが多いですね。今回は、前者の話。
で、「依存症」には心の依存症と、体の依存症があります。心の依存症は、気持ち的に、ないと耐えられなくなる状態で、体の依存症はなくなると震えが来たり、冷や汗をかいたりと体に影響が出るものです。心の依存症は、ほとんど全てのものに対して起きる可能性があります。例えば、甘いもの、とか、パチンコ、とか。後者の場合はより限定的で、例えばアルコールやタバコがその一例になります。体の依存症を起こす物質はほぼ全例、心の依存症もいっしょについてきます。
と、前置きが長くなりました。今回は、タバコの話。前述のように、タバコは心の依存症と、体の依存症と、両方を起こします。が、ここではちょっと別の話をします。
タバコは様々な病気の原因となります。心筋梗塞、いろいろなガンなどなど。医者にかかって、「タバコを吸っています」と言えば、100%止めるよう忠告されることでしょう。ぼくも100%忠告してます。
ただ、過ぎたるは及ばざるが如し。ま、この連載がほとんどすべて「過ぎたるは及ばざるが如し」の話なんですけどね。
この前、ある医者から意見されました。「ルパン三世や次元や、ポルコ・ロッソや、ジェームズ・ボンド(007)や、フィリップ・マーロウはみんなタバコを吸っている。教育上問題である。けしからん。だいたい、ああいうキャラがタバコを吸っていなくたって、別にストーリーが変わるわけじゃないじゃないか」
どうも、この先生は本気でそうおっしゃっているみたいなのです。
で、ぼくは思いました。たしかに、ルパンや次元やポルコやボンドやボギーがタバコを吸わなくたって、物語の筋は成立するだろう。でも、筋だけの物語や映画なんて面白くもおかしくもないじゃないか。脂身のないサンマみたいなもので、やはりサンマは「目黒に限る」のである。タバコを吸わないルパンや次元やポルコやボンドやボギーなんてとても想像できないし。
そもそも物語というのは善行だけでは成り立たず、むしろ悪徳が登場人物にまとわりついているからこそ、物語は魅力的なのです。「ユリシーズ」も「失われた時を求めて」も「アンナ・カレーニナ」も「罪と罰」も主人公、脇役問わず悪徳に満ちており、それが故に歴史的名作です。善行だけを登場人物に期待したいのなら、映画も漫画も小説も放棄したほうがよいのです。
こういう先生は、落語の「浮世床」でキセルが出ているといってそれを排除しろとか、言いだしかねません。実際、第二次世界大戦中はたくさんの落語ネタが「不謹慎である」として自粛されましたし。日本人にはロジックよりも「空気」でものを決める悪弊がありますから、空気さえできてしまえば、どんなに非常識でヒステリックなふるまいも、わりと容易にえげつなく行なってしまいます。それが「正論」なら、なおさらです。
ていうか、この先生、もっともっと大事なことをお忘れです。ルパンも次元もポルコもボンドもボギーも銃を使います。ときに人も殺しています(ポルコの場合は直接的じゃあないですが、そもそも戦争に参加しているので、殺してないわけがありません)。教育上問題というのなら、タバコなんかよりも、銃を持ったり人を殺したりするほうがよほど重要な問題です。しかし、件の先生は、登場人物が銃をぶっぱなして人を殺すことを忘れてしまうくらい、その登場人物がタバコを吸っていることで頭がいっぱいになっていたのでした。そのことが、一種の病なのだとぼくは思います。
タバコの害が主張され、その排除が主張されることは正当な行為ですが、医者の中には「行き過ぎ」が起きています。タバコに対する、(さらにやっかいなことに)喫煙者自身に対する強烈な憎悪。そんな感情を抱く医者が増えてきました。そういう医者はタバコと喫煙者の全てを憎悪し、糾弾します。そして、あまりにタバコに注目しすぎて、殺人すら看過してしまうのです。
そういう医者は、しだいにタバコの事しか考えられなくなります。
タバコ依存症の患者さんはタバコの事しか考えられなくなります。タバコを吸っていないと落ち着きがなくなり、イライラして、冷や汗をかくようになります。
タバコのことしか考えられなくなった医者は、患者さんの胸ポケットにタバコが入っている、患者さんが喫煙していると、顔がこわばり、落ち着きがなくなり、イライラして、冷や汗をかくようになります。あれ?これっておんなじ症状じゃないですか。
そうなのです。過ぎたるは及ばざるが如し。タバコや喫煙の健康被害のことをあまりにも考え過ぎ、過度にこういうものを攻撃するような医者は、コインの裏表のようにタバコ依存の患者さんと同じようにふるまってしまうのです。まるで、病人であるかのように。周りは困っているのだけれど、本人はその弊害に気づいていないところも、そっくりです。
とはいえ!
ぼくは医者が「タバコのことなんか考えるな」と主張したいのではありません。(ほとんど)「タバコのことしか考えない」状態、行き過ぎはよくないですよ、という話です。過ぎたるは及ばざるが如し、の話ですからね。ほかのいろいろな問題をぜ~んぶ見据えた上で、その一部としてのタバコ、喫煙です。
ものごとを「ある、なし」の二元論でとらえる世界観は危険です。喫煙者にも、「時々吸う」タイプから、「1日数箱」のヘビースモーカーまでいろいろです。両者を同じように捉えてはいけないのは、当然です。同様に、「喫煙を健康問題としてとらえる」のと、「そのことしか考えられなくなる」のは同じではありません。
でも、この話をすると、必ずといってよいほど、「お前は喫煙を擁護するのか」と、「タバコの事しか考えられなくなった」医者が目を三角にしてどなりつけてきます。「ある、なし」の二元論に陥っているからです。予言しておきますが、本稿にも絶対そのような二元論で噛み付いてくる先生が、でますよ。
また、このような話をすると、必ずといってよいほど「いやいや、タバコにはこういう害もあるんだ」という意見をしてくる先生もいます。でも、そもそもこの話は「タバコにどういう害があるか」の話ではないのです。「そういう話」でないのに、話の主題すら汲み取ることができなくなるくらい(普通の医者なら、文章を読み取る能力くらい、本来はあるのですが)、このトピックになると頭がカッとなってしまうのです。ほらね、一種の病でしょ。
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