先日、日本の内科学教科書、翻訳の問題点をある講演会で指摘したら、研修医に「じゃあ、何を読めばよいのですか」と問われたので、ここで答えを再掲。
教科書は、新しさを競うようなコンテンツではない。新しさで言うならばUpToDateやDynaMedがベターだが(そして、そのように利用してますが)、それをいうなら原著論文のほうが新しいし、それを言うなら学会発表のほうがさらに新しいかもしれない。しかし、そのような新規性を競う部分は教科書のコンテンツの一部にすぎない。新規な医学情報はしばしば数年でひっくり返されるし、新薬は未知の副作用でひっくり返る。あまり新しいものに飛びつきすぎる態度は危険である。
教科書は、もう少し医学の射程の長い、寿命の長い内容で勝負、である。
とはいえ、あまりに古い教科書はやはりダメだ。医学の進歩は凄まじく、疫学も診断も治療もどんどん変わる。やはり賞味期限は5年程度であり、どこぞのチュートリアル部屋みたいに1990年代の教科書がいまだに鎮座しているというのは、論外だ。
臨床像がきちんと書いてある教科書は良い教科書だ。ちゃんと典型的非典型的な患者がイメージできるような記載が望ましい。各症状には頻度の記載が必須である。「髄膜炎では項部硬直が見られる」なんて記載で、もう内科的にはアウトである。「項部硬直が何%に、、」と書かねばならない。見逃しのリスクとなるからである。
検査についても、「なんとか検査をする」だけではなく、検査にまつわる偽陽性、偽陰性、解釈の困難、交差反応などピットフォールに言及があるのが大切だ。その検査が何をもたらすのか、という点も大事である。「副鼻腔炎はMRIで評価する」ではダメである。評価したら何が患者に起きるのか、という目線がないからである(MRIは副鼻腔炎を詳細に評価してくれるだろうが、金も時間もかかるし、患者に対する治療は変じないし、偽陽性で無駄な治療は激増するであろう)。
診断についても、間違いやすいピットフォールが記載されていることが大事である。伝染性単核球症で典型的なEBウイルスのことばかり書いてある教科書はだめである。トキソプラズマ、CMV、そしてHIVについて必ず言及しなければ、内科の教科書とは呼びがたい。
治療についても同様。その治療の利点、欠点、期待できる効果が記載されていなければならない。ある生涯学習講座で某疾患のレクチャーでは、「この病気はなんとかいう治療があります。こういう治療もあります。私たちはこういう治療も研究してます」のオンパレードであった。座長が、「で、そういう治療はどのくらい聞くのです?」と聞くと、「いやあ」とまずそうな顔。本疾患は難治性でほとんど治療は無効なのであった。治療法が山ほどあるというのは、女性週刊誌のダイエット法と同じで、これというよい方法がないことの逆説的な証左なのだ。
要するに、よい内科の教科書とは、誠実な教科書のことをいう。そして、ダメな教科書は臨床的な目線を欠き、夜郎自大な言及に終始する不誠実な教科書である。そういうことである。
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