ご存知のかたはご存知と思うが、タイトルは黒澤明の「七人の侍」前半ラストの志村喬のセリフだ。
昨夜、初期研修医の研修修了式があった。5年前に僕が神戸大に赴任したときは生協の食堂でソフトドリンクとカピカピのサンドイッチ、白衣を着たままA4ピラピラの修了書を渡して仕事に戻る、という実に情けない式だった。院長に食って掛かり(literally)、これを改善。神戸の夜景美しいメリケンパークオリエンタルホテルで今年も豪華に式は執り行われた。セレモニーのセレモニー性はこうやって守らねばならないのである。2年間、がんばった研修医に対する「けじめ」でもある。
今年のベストレジデントは4人。それぞれとても優秀だった。選ばれたレジデントが素晴らしいことには例外はない。でも、選ばれないレジデントも素晴らしかった。毎年神戸大の初期研修医のレベルは上がっている。それが5年間の実感だ。
ベストティーチャーは3人。総合内科の金澤先生、豊国先生、そして感染症内科の松尾先生だ。総合内科の先生は3年連続受賞、感染症内科は2年連続だ。うちは外科の先生も熱心な先生は多く、歴代のベストティーチャーには外科医も多い。来年度から外科も必須化されるので、こちらの巻き返しも期待したい。感染症内科からベストティーチャーが選ばれるのは光栄なことだが、それ「そのもの」は目標ではない。病院全体が良くなるのが、僕らのミッションである。
ダメな大学病院は、自分の部局の繁栄のみを希求する連中の集団である。最悪なのは、他者の足を引っ張ろうとする。感染症で言うと、検査部と感染制御部の仲が悪い、みたいな病院は未だに多い。愚かなことである。
自分の部局の利益なんて捨ててしまえばよいのである。病院全体の利益を最優先させねばならない。大学病院全体が良くなれば、関連病院全体が良くなる。関連病院全体が良くなれば、コミュニティーも良くなる。たとえば、神戸大学病院がよくなれば、兵庫県全体の医療レベルがあがる。利するのは兵庫県民である。そうすると、不思議なことに自分たちの部局も働きやすくなる。そういうものである。
教育は不思議な経済学を持っており、与えれば与えるほど自分がリッチになる。これは教育をまじめにやっているものなら誰でも知っている真理である。その教育に利得など求めてはならない。「教育なんかやっても業績にならない」なんて惨めなことを考えてはならない。他人がどう考えようと、自分がリッチになるその身体的感覚を大事にすれば良いだけなのだ。
同様に、病院業務も自分が利することを目的にしてはならない。自分なんてどうでもよいちっぽけな存在だ。病院全体がよくなればそれでよいのだ。そういう振る舞いをしていれば、長い目で見れば自分は「リッチ」になる。主観的なリッチネス、豊かな人生がそこには待っている。他人が自分をどう思うか、というツマラナイ観念からまず自由になることが大事である。
ここが、我々の最終のアウトカムである。ここだけを目指すのだ。自分の部局の利益なんて、ツマラナイことに拘泥してはならない。
残念ながら、神戸大学病院でも「他人の足を引っ張り、自分の部局のみの繁栄を希求する」情けない連中が皆無ではない。愚かなことである。そういう下らない連中がたいてい僕より歳上なので、さらに腹が立つのである。いい年こいて、幼児のようなみっともない真似をするな、と申し上げたいのである。
若手の医師の中には、このように愚かでみっともない幼児的老人をロールモデルとし、自分も同じように振舞おうとする者がいる。ナースにぞんざいな口を聞き、MRを顎でこき使い、他の部局との連携を拒んだり、足を引っ張る、、、、こういうみっともない真似を「かっこいい」と勘違いして真似をするのである。ヤクザと同じだ。ボスザルのような下品な振る舞いをロールモデルとするのである。そのような振る舞いは、他から見るとみっともない事この上ないのだが、内部の論理にどっぷりつかっているとそれに気づかない。そういう下品な上司にガミガミ怒鳴られているのを「愛されている」と勘違いし、「私の上司は理不尽にも周囲に理解されていない。私がいなければ上司はやっていけない。私こそが上司を助け、上司の生き方を模倣し、この理念を踏襲するのだ」と部局の利益のみを考えて努力する。
それは、DVの被害に遭っていても「これは愛情の形なのだ。私がいなければこの人はダメになってしまう」と暴力に健気に耐えて体中アザだらけの妻と論理構造は同じである。一種のストックホルム症候群である。そのような悲劇は、ボックスの外から見るとシニカルな喜劇でしかないにもかかわらず、内部の論理にどっぷり使っていると、自分の悲喜劇的な振る舞いに気が付かないのである。
神戸大学病院の弱点を、兵庫県の病院も、日本全体の医療施設もちゃんと見ている。これはあちこちを訪問したときに必ず言われたことだ。どこにいっても「神戸大学の☓☓はダメですねえ」と指摘されるのである。これを悔しいと思わねばならない。改善しようと思わねばならない。もちろん、「ダメさ」に加担するなんてもっての外である。「鳥の目」をもち、こういう事実を認識せねばならない。
神戸大学病院の若手には言っておく。愚かな老人をリスペクトするな。自分も愚か者になるな。愚か者は、愚か者だとちゃんと自分の目で認識せよ。内部抗争などするな。短気を起こすな。他人の足を引っ張るな。部局の理念や常識を離れ、「鳥の目」で病院全体を見よ。病院全体のため、コミュニティーのため、ひいては患者のために尽くせ。それが医者でいることのレゾンデートルであることを理解せよ。神戸大学病院をよくするために尽力せよ。それが長い目で見れば、自分自身を利するのだ。ほんとうの意味で、「リッチ」になるのだ。
己のことばかり考える奴は、己をも滅ぼす奴だ。目を覚ませ、若手医師たちよ。
最近のコメント