機会があって中国の感染管理担当者に日本の耐性菌対策と抗菌薬適正使用について話す機会を得た。まあ、「日本の現状」についてはそれほど誇るものはない。中国もこの領域ではあまりうまく行っていない、というのが僕の理解だが、まあ目くそ鼻くそだ。日本はこの領域において他国を指南する資格は、まだない。なので、加えて「日本が目指すべきもの」も加えてお話した。
さて、厚生労働省が感染対策防止加算を設定したために、多くの医療機関が加算1をとり、入院初日に500点(5000円)を請求できるようになった。病院の規模にもよるが、これは年間うん千万円レベルの大きな診療報酬につながる。いままで感染管理に全く関心がなかった理事長や院長が急に感染管理担当者にアレコレ言葉をかけるという珍妙な風景が日本のあちこちの病院で見られるようになった。
その、「加算チェック項目表」なるものを厚生労働省が作っている。そのなかに、「抗MRSA薬やカルバペネム系抗菌薬などの広域抗菌薬に対して使用制限や許可制を含めて使用状況を把握している」という項目がある。この「含めて」というのが何を「含んで」いるのか、お役所的アンビバレントな表現ではっきりしないが、この文章を持って医療機関の生殺与奪は厚労省次第、というところだろうか。ある医療機関は抗MRSA薬やカルバペネムの使用制限、許可制の施行が不十分であったために加算を取り消された、と聞く。
抗菌薬適正使用を広域抗菌薬の届出制、許可制の遂行で持って量る、というのはいかにも短見である。数年前、亀田総合病院で厚労省監査で指摘された時のことを今でも思い出す。
「オタクの病院ではバンコマイシンの使用量が平均よりずっと多いようですが、これは不適正使用ではないでしょうか」
「平均的使用量が適正だ、という根拠はどこにあるのですか。他の病院が実はバンコを使わなすぎな可能性だってあるわけじゃないですか。平均的病院が適正で、うちが不適正だ、という根拠を示してください。示さなければ、あなたの見解は理解しないし、賛同もしません」
「・・・・・」
中国の感染管理者に「ぼくは中華料理は大好きだが、年間の塩や胡椒の使用量で料理店を評価しない。そんなことをするのは日本の厚労省だけだ。料理の評価は、食うしかないのだ」と言ったら、大いに喜んでもらえた。厚労省の官僚は、実に嫌なやつが対応したと思っただろうが(お気の毒)、その年の亀田総合病院の感染管理部門はまったくお咎め無しであった。
これは想像の域を出ないが、官僚は病院関係者がすべて自分たちの言うことを無条件に聞く、そのような隷属状態を前提にしており(課長クラスは院長より偉い、みたいなバカ話はよく聞きますね、、、)、僕みたいに堂々と(まっとうな)反論をしてくるような状態を想定していなかったのではないだろうか。上から目線に慣れており、ボスキャラを演じるのに慣れている人物は、想定しないまっとうな反論に弱いものである。声がデカく、居丈高な態度は、弱気の逆説的な証左なのである。
故遠藤和郎先生が教えてくれたエピソードを今でも思い出す。沖縄県立中部病院では、一時、カルバペネム使用届出制を行ったことがある。しかし、カルバペネムの使用量が全然変わらなかった。そのことは中部病院の医師たちが「いかにまっとうに、そして真摯に抗菌薬を使っているか」の証左なのである。
たかだか届出の紙を一枚書くくらいで面倒臭がってカルバペネムの使用を控えるようならば、届出制を導入したくらいでカルバペネムの使用量が減るくらいであれば、それは主治医がカルバペネムという抗菌薬をいかに適当に、いいかげんに、不誠実に使っていたかの証左なのである。本当に真剣に、患者のためにカルバペネムが必要であるという確信があれば、紙一枚くらいの苦労は厭わないのである。そのような病院は、普段実にいい加減にカルバペネムを垂れ流しているのである。
神戸大学病院はBig Gun Projectを行い、抗菌薬使用開始時にはできるだけ使用を制限せず、主治医の裁量を尊重し、円滑に医療が現場で行われることを尊重しようと「した」(過去形)。そして、広域抗菌薬も使用を薬剤部が監視し、「不適切に抗菌薬使用をしたり、血液培養をとっていない」ケースのみ、介入したのである。感染対策チームは、誠実で勉強熱心な医師には一切介入せず、邪魔しない。現場に過干渉な感染管理は一人よがりな感染管理である。不適切な抗菌薬使用を行なっている医師だけに、我々は介入する。「しょっちゅう感染症内科から電話がかかってくる」と腐る先生、、、、それはあんたの態度が直らないから、、、なのである。ちゃんと血培とって、ちゃんとした投与量で治療して、de-escalationきちんと行う。自分が変われば、もっと楽に診療できるんですよ、まじで。
届出制、許可制はあくまで手段であり、目的ではない。それは必要悪であり、まっとうな病院では不要なものである。それを「必要」と一意的に規定してしまう厚労省は、ようするに付け焼刃で勉強したから、そのようなキーワードに飛びつくのである。
厚労省の官僚は優秀で、インテリジェンスは高く、真面目で誠実だが、しかし感染対策においては、いかんせん素人である。1年ちょっとまえに結核感染症課に配属され、1年ちょっと経てばまた別の部署に異動になる素人である。素人が玄人と対峙する方法は一つである。相手の話を聞くこと。それだけであり、決して相手を「指図すること」ではない。オランダで感染対策を監査していた官僚はその道20年以上の大ベテランだったが、彼女にしてもやはりやっていたことは現場の事情を聞き、問題点を聞き取り、解決策を提案、支援することで、決して監視、管理、懲罰的な態度はとっていなかった。玄人にして、そうなのである。いわんや、素人においては、、、なのである。
届出制・許可制をとっているか否か、、、、それは感染管理のクオリティーとはなんの関係もないアイテムだ。届出制・許可制を取ってはいけない、というのではない。しかし、取らねばならない、というわけでもない。そういう瑣末なことは、はっきりいって「どうでもよいこと」なのである。もっともっと、大事なことは別にある。そういうところをちゃんと見てほしいのである。もちろん、素人には玄人に見える風景が見えはしない。だから、相手の話を聞いて欲しい。「聞く」こと。Listen to people. これこそが厚労官僚に必要なことなのだ。
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