これもまとめるのはかなり困難ですが、がんばりましたね。
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内科学会と同時並行で行われているACP Japan Chapterの会合に参加した。やっぱ春は京都ですね。
「イクメンドクターは医療界を変えるか?」というタイトルをいただいたのだが、ぼく自身は自分をイクメンだとは認識していない。ま、いいんだけど。聖路加のG. Deshpande先生と1時間のセッションであった。英語のセッション久しぶりなので、かなり緊張してどこまで意を伝えられたかは、定かではない。
数日前、西條剛央さんと鼎談したとき、インタビュアーから「結婚とは何ですか」と問われた。西條さんは「それは相手に価値を与えることです」とおっしゃっていた。プロアクティブで「前のめり」な西條さんらしい回答だと思う。
僕は逆である。結婚とは「相手から何もかももらってしまう」、被贈与者の立場に立つことだと思う。なにもかも、僕は結婚によって妻から与えられる。例えば、「生きる理由」とか。与えられてばかりのポトラッチ状態なので、そのdebtは甚だしく、可能であればどんどんお返しをしなければ気が済まないメンタリティーになっている。2010年に妻が妊娠し、2011年3月に出産予定となったとき、その周囲でできるだけお手伝いしたいと思ったのは当然であった。
国立大学において育休をとることは制度的に可能である。だが、その場合はフルタイムのオフとなる。フルタイムのオフを僕の妻は望まなかった。少しは病院にいなければ、とも思ったであろうし、家にいつもいられても困る、と持て余していた所もあろう。というわけで、僕は定型的な育休をとるのを断念し、有給休暇を活用することにした。多くの医師のように、ぼくも有給を全然消化していなかった。これを機に、木曜日と金曜日は育児支援に充てた。
とはいえ、家にいる僕がどれほど役に立ったかというとはなはだ心もとない。むしろ、自分の「役立たず加減(uselessness)」を自覚する毎日であった。洗濯物を上下逆に干してしまい、料理はひっくり返し、掃除をすれば不適切な位置に不適切なものを配置して妻の叱責の原因となった。家庭にいるとは、自分がいかに役立たずであることを認識することである、自分がいかに役に立つか、なんて定型的なイクメン的思考は、よしたほうがよい。
2008年に神戸大に異動したとき、とにかくそのアトモスフィアを問題とした。それは、国立大学病院にありがちな、何かを提唱すると「ノー」とかえってくるメンタリティーであった。何を提案してもとりあえず「ノー」なのである。できない理由ばかりが返ってくる。
できない理由なんて、探せば何百万も見つかるのである。そんなもの探し出すことが不健全なのである。しかし、多くの大学病院は、この「とりあえずノーといっとけ」という病理にむしばまれている。
前任地の亀田総合病院は逆であった。とりあえずイエスというのである。そのための方法はあとから考える。方針としてイエス・ファースト、次いで方法論なのである。神戸大は逆であり、ノー・ファースト、「できない理由の言い訳」なのであった。神戸大では、何かをやるときは周りが同じことをやっているかどうかをやたらに気にする。特に阪大、京大がやっていることが必須である。なにをやるにしても「阪大も京大もやっています」がゴーサインのきっかけとなる。阪大、京大の動向がとても大事なのである。亀田は逆であった。「日本で他に誰もやっていません。いまやればうちが日本最初の事例となります」というのが病院長を説得する殺し文句だったのである。
神戸に異動してからの僕の仕事は、ほとんど毎日「ノー・ファースト」文化を「イエス・ファースト」に転じる作業であった。外来のあり方、カルテのあり方、書類のあり方、チーム医療のあり方、、、細かいことが大事である。とにかく毎日、毎日、ノーからイエスに、「できない理由」=言い訳から「できるための条件」にメンタリティーを変えていくのに全力を尽くした。
感染症内科という部内でもメンタリティーは大事であった。原則は「イエス・ファースト」である。研修医たちがプロアクティブに何かをやりたいといった場合、ぼくは「ノー」ということはほとんどない。国内外に研修に行きたい。イエス。研究をしたい。イエス。あれがしたい、これがしたい、イエス、である。海外に長期研修をすると、当然人員的にはマイナスになる。でも、「イエス」の方針をはっきりしておけばなんとかなるものである。業務は人が足りなくても工夫次第で何とかなることがほとんどである。なんとかならなければ、ルーチンの業務をカットダウンすれば良いのである。例えば、勉強会の数を減らすとか。
このようにノーを言わない文化を醸造することが大事であった。イエス・ファースト。こうすれば、朝保育園に子供を送る必要がある医師は出勤時間を遅らせる。家族の体調不良があれば、休ませる。勉強したければ、数週間研修させる。体調が悪い研修医がいれば休ませる。どういう状況でも、イエスを基調にやる文化、チーム構成ができていればそれが常態化する。そういう中での僕の育児休暇だったのだ。もちろん、問題ないわけである。
ぼくは有給を活用して、木金土日を育児・家事にあてたが、結局チームは問題なかった。ここでも自分のuselessnessを自覚した。結局、ぼくがいなくなっても世界は破滅せず、病院は破滅せず、感染症内科も破滅しない。なんとかなるものなのだ。「俺がいなけりゃ、、、」と思っている自尊心高い医者は多いが、そうでもないのだ。病欠含め、いなくなっても何とかなるものだ。
みずからのuselessnessへの自覚は大切だ。己の存在の重要性を膨張的に重要視すると、「おれがやらなきゃ」のエゴイズムでチームが動く。
他者へのまなざしも大事である。他者の幸福は「己の不幸」と同義ではない。しかし、多くの医者は「あいつはこんななのに、おれはなぜ」と「他者の幸福」と「己の不幸」を同一視したがる。ほっときゃいいじゃん。1週7日、1日24時間病院で働く医者がいてもよい。でも、週一で働く医者がいても良いのだ。他人と違うことにたいして寛容であること。他者の幸福を自分の幸福と捉え、それを不幸というねたみゴゴロに転化させないこと、、、こういう雰囲気の醸造も育児という背景には重要である。
時間の使い方も大事だ。ぼくは「一秒もムダに生きない」で時間の使い方について概説したが、とにかく日本の医者は時間の使い方が下手すぎる。しかも、他人の時間を支配しすぎる。教授会なんて最低で、本当に時間の無駄遣い、ムダ発言が多い。夜の10時過ぎまで議論して、「京大、阪大ではもっと遅くまで議論してます」なんてうそぶくバカ教授がいた。それは京大、阪大がアホなんです(ほんとに)。17時には会議を終わらせるくらいの見識がなければ、女性男性問題、育児問題も解決しない。もっともっと、日本の医療現場は時間を有効に使い、帰宅も早くできるドジョウはある。もっと工夫しろ。もっと既成概念、前提条件を疑いつづけろ。
二元論(dualism)もだめである。仕事と家庭、夫と妻、あなたとわたし、男と女、ワーク・ライフの二元論は、解決を生まない。その弁証法の先にある統一概念が大切である。相手より遅れていくこと、自分のuselessnessに自覚的であること。欧米的な自己self中心ではなく、配偶者中心に考えること、自らは遅れていくこと、behindであること、ゲマインシャフトからゲゼルシャフトという一意的な線形的世界観を是とするのではなく、ゲマインシャフトに回帰すること、、こういうことが大事なのである。
という話をしました。基本的には、レヴィナスの「遅れてくる人」の概念、ヘーゲルの弁証法がベースの話だったけど、時間も限られていてどこまで伝わったかおぼつかないです。
投稿情報: 17:30 カテゴリー: 考え方のピットフォール | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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偶然、ネットで見つけて、「おお、これはすごい。是非買わねば」と思っていたら送られてきた。あ、そういえばぼくも共著者でした。忘れてたぜ。
日本の感染症診療の問題点はたくさんある。たくさんあるが、特に中でも問題なのが、「検査の解釈」が苦手なドクターが多いことだ。そこに検査がある、だから検査をする。そういうトートロジーで検査をしている場合がとても多い。検査は手段であり、目的ではないのに、検査が目的化する。あるいは検査陰性化を目的化する。こういう誤謬は初期研修医からその道何十年のベテランドクターまで、外科医にも内科医にも蔓延する日本のドクター最大の欠点(のひとつ)である。よく、感染症のプロの世界でCRPが問題視されるが、それはCRPという検査の属性そのものというより、その使われ方があまりに稚拙である点に帰属する。
検査の教科書にも問題が多い。検査の成り立ちや正常値ばかり書いていて、「どう解釈するか」に言及が少な過ぎるのが問題である。例えば、いま感染症学会専門医試験のためのテキストを読んでいるけど、検査のところの記載に酷いものが多い。感度・特異度にまったく言及がない、添付文書のデータをそのまま「感度・特異度」として書いている、など「解釈の方法」についての無配慮、誤記があまりにも多い。あのテキストで専門医を作るのはとても心配だ。
これは、日本の検査医学(とくに感染症)において、患者のファクター、症候の解釈学、検査前確率といったコンセプトが非常に希薄だったため、検査室とベッドサイドがうまくかみあっていなかったことが遠因である。今でも、残念ながら、検査室と臨床現場にまったくコミュニケーションがない病院も多い。検査技師と医師が日常的に対話しない病院に、質の高い診療は期待できない。
で、話がずれたけど、日本において臨床検査医学と臨床感染症学の両者に一番目配りが効いているのは、なんといっても細川直登先生だとぼくは思う。検査に対する専門的な知識、経験、臨床医学コンセプトの理解、アプリケーションと実に素晴らしい。本書は各セクションがとても読みやすく、各執筆者も編者が厳選した一流の「検査解釈者」たちだ。梅毒検査、百日咳抗体、カテ先培養など、誤用されやすい検査のアプリケーションとピットフォールが簡潔にまとめられている。若手からベテランまで、ぜひ一冊手元において、ふだんオーダーしている検査のピットフォールを一つ一つチェックしてみてほしい。
投稿情報: 14:03 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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最近、「東大話法」という言葉があることを知りました。
Wikipediaによると、 東大の学生・教員・卒業生たちが往々にして使う「欺瞞的で傍観者的」な話法のこと。東大教授の安冨歩が、著書『原発危機と「東大話法」』(2012年1月出版)で提唱した。
だそうです。
で、その詳細はというと、
• 規則1 自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。
• 規則2 自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する。
• 規則3 都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする。
• 規則4 都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す。
• 規則5 どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す。
• 規則6 自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する。
• 規則7 その場で自分が立派な人だと思われることを言う。
• 規則8 自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する。
• 規則9 「誤解を恐れずに言えば」と言って、嘘をつく。
• 規則10 スケープゴートを侮蔑することで、読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる。
• 規則11 相手の知識が自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す。
• 規則12 自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する。
• 規則13 自分の立場に沿って、都合のよい話を集める。
• 規則14 羊頭狗肉。
• 規則15 わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する。
• 規則16 わけのわからない理屈を使って、相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する。
• 規則17 ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる。
• 規則18 ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす。
• 規則19 全体のバランスを常に考えて発言せよ。
• 規則20 「もし○○であるとしたら、お詫びします」と言って、謝罪したフリで切り抜ける。
という20の規則で成り立っているといいます。
ぼくは東大生や東大卒の人をそんなにたくさん知っているわけではありません。たしかに、「昔の」東大生、1990年代の東大生はこういう傾向があったような記憶がないでもありません。でも、少なくとも今ぼくが知っている東大関係者で、こんな露骨な人たちはあまり見たことないですねえ。というか、このような「東大話法」的な分類そのものが、「規則13 自分の立場に沿って、都合のよい話を集める」だと思うのですが。
ただし、ここで問題にしたいのは、「東大話法」なるものの是非、あるいは妥当性ではありません。そうではなく、ぼくは「東大話法」なんていうレッテル貼りは(その妥当性とは無関係に)止めておいたほうがよいと言いたいのです。
「それは東大話法だ」というレッテル貼りを行えば、その人物の言説は(その言説の内容とは無関係に)自動的に貶められます。話の内容ではなく、レッテルが貶めるのです。しかも、常に同じパターンで貶めることが可能です。
東大話法であろうとなかろうと、大事なのは言説の中身です。レッテル貼りは安易で便利な相手を貶めるツールですが、その内容吟味を放棄してしまう点でとても問題なのです。同じように、「御用学者」とか「原発擁護派」「反原発派」などといった、言論の内容ではなく「立場」にネーミングをするレッテル貼りもやめたほうがよいです。その言葉の妥当性(妥当な場合も、そうでない場合もあると思いますが)とは無関係に使わないほうがよいタームです。
ぼくらが大切にすべきは相手を貶め、議論に打ち勝つ(あるいは主観的に勝利の感覚を味わう)ことではありません。大事なのは、議論の末に妥当な解を見つけ出すこと、あるいはその解に近づくことです。「東大話法」なんて物言いをした瞬間、その解は遠くに過ぎ去っていきます。相手が「東大話法」的な人かどうかとはまったく無関係にそうです。
物事は各論的に議論しなければなりません。
「お前は東大話法を使うヤツだ」 といわず、
「今のは、訳の分からない理屈で私を煙に巻こうとしていますよ」
と指摘すればよいだけの話なのです。
投稿情報: 12:42 カテゴリー: 考え方のピットフォール | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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本屋に行くと、こうするだけで健康になれる、若返る、長寿になれる、ガンにならないと喧伝する本が沢山並んでいます。このことについて考えて見たいと思います。検討のために、例として根来秀行著の「身体革命ー世界最先端のアンチエイジングの法則」を例にとります。
本書は、アンチエイジングに関する一般向けの本です。
まず、最近の研究で100歳以上の長寿者で産生されているデヒドロエピアンドロステロン(DHEA)。これをアンチエイジング・ホルモンとして紹介しています(18ページ)。「適切な運動、睡眠、食事を組み合わせることによって私たち自身の体内でたくさん作り出すことができます」とあります。さらに、時差ボケなどに使われるメラトニンもアンチエイジング・ホルモンとして紹介されています。アンチエイジング・ホルモンを高めるような生活習慣が若さと健康の秘訣と本書の筆者は主張します。
次に、「老化のカギを握るのはミトコンドリア、フリーラジカル、ホルモン、免疫系」(24ページ)と説明し、ミトコンドリアが老化を引き起こすフリーラジカルを放出し、これが有害物質となって細胞機能の低下や減少に寄与する。細胞機能の低下や現症があると、神経内分泌機能や免疫機能の低下をもたらし、老化を早めてしまうというのが本書の提示するセオリーです。そして、これに抗うために
1.ミトコンドリアを大切にする。
2.フリーラジカルの細胞酸化を防ぐ
3.(その結果)ホルモン・免疫系などの生体機能の低下を防ぐ
ことを提唱しています。ミトコンドリアを大切にするために過激な運動を避けたり、腹八分目の食事(カロリーリストリクション、本書では八分目というより7割程度と説明しています)を推奨します。そして、本書全体を通してアンチエイジングに効果があるとされる食事、睡眠、生活習慣の推奨を行うのです。
全体的に、本書で主張している規則正しいバランスのとれた食事、睡眠、運動といったコンセプトにはぼくも特に異論はありません。自分の患者さんにも同じように申し上げると思います。「一般的な健康」という観点からは、どれもお奨めだと思います。
しかし、科学は各論的に議論しなければなりません。本書が「健康一般のためにバランスのとれた食事、睡眠、運動は大切ですよ」的な一般論を述べているのならば、ぼくは納得理解します。しかし、「ハーバード大学に籍を置く世界最先端の医学研究者が実践する「若さを保つ健康術」」(14ページ)となると、ちょっと誇大広告な感じがします。科学的に正しい、という印象操作をそこに感じ取ります。「あなたに素晴らしい身体革命をもたらします。(中略)近い将来、今よりぐっと若返っている自分に気づくはずです。それは将来的にあなたの健康寿命を延ばすことにもつながります」という喧伝文句は、ちょっと言い過ぎだと思うのです。「勉強をがんばれば東大に入学するチャンスがありますよ」的なジェネラル・ステートメントと、「私の○○勉強法で東大にはいれますよ」は同義ではないのです。
その「言い過ぎ」な点について考えてみたいと思います。
さて、本書によると、カロリーリストリクションで「大幅に寿命が延びる」(43ページ)ことが判明したのは、アカゲザル、ラット、ショウジョウバエ、ミジンコなどの研究によるのだとか。そして、人の集団でもカロリーリストリクションと寿命との関係を見る研究が進行中なのだそうです。
しかし、進行中ということは結果がまだ出ていないということです。その結果が出るのは「まだ先」と本書には書かれています。本書出版が2009年、手元にあるのが2011年10月の第三刷だそうなので、その時点ではまだ結果が出ていないと考えられます。医学系の論文データベース、Pubmedでcalorie restrictionのヒトでの研究を検索しましたが(2012年4月9日)、ヒットした論文では「寿命が延びる」ことを示したものは見つかりませんでした。また、calorie restriction, Hideyuki Negoroで検索したら、ヒットした論文はゼロでした。で、Hideyuki Negoroだけで検索したら11の論文が見つかりましたが、この中にヒトあるいはその他の動物の寿命を延ばすことに(直接)関連した論文はありませんでした。
カロリーリストリクションが人の寿命を延ばすとは証明されていない。僕ら的な言葉で言うと、「エビデンスには乏しい」のです。
確かに、動物実験のカロリーリストリクションについて、例えばラットやアカゲザルではカロリーリストリクションによる死亡率低下を示した研究があるようです。
Colman RJ, Anderson RM, Johnson SC, Kastman EK, Kosmatka KJ, Beasley TM, et al. Caloric restriction delays disease onset and mortality in rhesus monkeys. Science. 2009 Jul;325(5937):201–4.
Sun L, Sadighi Akha AA, Miller RA, Harper JM. Life-Span Extension in Mice by Preweaning Food Restriction and by Methionine Restriction in Middle Age. J Gerontol A Biol Sci Med Sci. 2009 Jul;64A(7):711–22.
しかし、人間の食事カロリーを操作して腹八分目とか腹七分目という食事がアンチエイジング(あるいは長寿)に有効という研究はなされていません。動物に起きることが人間に起きるとは限りません。そうではないことも多いのです。
いや、むしろこのような過度な主張には懐疑的な見解もあり、高齢者がカロリーリストリクションを行うのは実験的で危険ですらありえると警鐘を鳴らす研究者もいます。
Morley JE, Chahla E, Alkaade S. Antiaging, longevity and calorie restriction. Curr Opin Clin Nutr Metab Care. 2010 Jan;13(1):40–5.
性ホルモン、DHEAについての言及も微妙です。長寿の方の特徴として、血中DHEAが高い、低体温である、血中インスリン値が低いという健康調査の特長があったことを紹介しています(47ページ)。
しかし、長寿の方のDHEAが高いことと、DHEAを摂取すれば長寿になるということは同義ではありません。DHEAは長寿の結果であり、その原因とは限らないからです。長寿の方はしわが多いですが、しわを増やせば長寿になるわけではないのと同じ論理です。
「アメリカではDHEAを体内投与する抗加齢治療も盛んに行なわれており、それなりの効果が得られつつあり、DHEAはサプリメントとして市販もされています」(49ページ)
とありますが、この文章もとても微妙です。アメリカで「盛んに行なわれ」「市販もされ」というのは効果の証明ではなく、イメージしか伝えていません(そもそも、アメリカ人より日本人のほうがずっと長命ですし)。「それなりの効果が得られつつあり」は日本語として意味が分かりにくいです(効果は得られつつあるというのは、「得られていない」という意味ではないでしょうか)。
内分泌の教科書、Williams Textbook of Endocrinology (12版)にも、性ホルモン、DHEA, GH, ghrelinアゴニストへの高齢者への効果は限定的で、しばしば副作用も起きていると指摘しています(27章)。筆者が主張するようなアンチエイジング的手法は科学的に証明され、学的なコンセンサスを得たオーセンティックな手法とはいえないのです。
本書ではマクガバン報告を取り上げ、世界一理想的な食生活を行っている国は日本である。それも元禄時代以前の和食であると紹介しています(88ページ)。それに対して、アメリカ人の平均余命は1960年代に非常に悪いレベルであったとします。近年、日本では食の欧米化が進み、肉の消費量が増え、野菜消費量が落ちたため、がん、心疾患、脳血管障害の死亡率は年々上昇することになったと指摘します(90ページ)。そして、これに対して70年代のマクガバン報告以来アメリカ人の食生活は改善され、生活習慣病が改善されつつあるというのです。
この辺も主張も微妙だなと思います。例えば「改善されつつ」という表現です。マクガバン報告は30年以上前の報告ですから、改善されたのであればそういう成果が出ているはずですが、後述するようにそのようなすっきりした事実ではないのです。2005年のデータでは日本人の平均余命は世界一で、アメリカは29位でした(UNDP, 人間開発報告書)。一方、日本人の食生活は確かに欧米化しましたが、現在でも日本人は総じて長命なのです。グラフを見れば、アメリカも日本も並行して平均余命を延ばしていることが分かります。1950年の日本人の平均余命はまだ58.0年でした。それ以前はもっと短かったのです。元禄時代の食生活で健康、長寿というのは必ずしも事実ではありません。そういう一面はあると思いますが、ここでも「言い過ぎ」の問題が生じています。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1620.html
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/20th/ss02.html
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/20th/ss01.html
厚労省のデータを見ても、本書で「増加している」とされる日本人の脳血管障害はむしろ減少し続けています。これは「伝統的な日本食」の最大の弱点である塩分摂取が近年少なくなっているためと予想されます。心疾患も横ばいから減少傾向、悪性新生物(いわゆるガン)の死亡率は増え続けていますが、これはむしろ長寿がもたらしたもので、長生きをして高齢化が進むと、最終的にガンの患者が増えるのは当然です。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai06/kekka3.html
確かに、本書が指摘するように、アメリカの心疾患による死亡が減っているのも事実です。
http://www.cdc.gov/nchs/data/databriefs/db88.htm
ただし、アメリカでも糖尿病のような生活習慣病は増加しています。それから、アメリカの宿痾的問題とされる肥満は小児、大人ともに増え続けています。高血圧は75歳以上の高齢者で減少傾向ですが、それ以外の年齢層では増加し続けています。
ちなみに、アメリカの心疾患の有病率(病気をもつヒト)の割合はそれほど変化していません。有病率が変わっていないのに心疾患の死亡率が減っているのは、食事の改善による発症予防というよりは、むしろ治療の進歩に寄与するところが大きいのではないでしょうか(もちろん、治療には心疾患発症後の食事指導も含まれますが)。
http://www.cdc.gov/nchs/hus/healthrisk.htm
ぼくは本書の内容が全部デタラメ、と主張したいわけではありません。例えば、睡眠は長過ぎず、短過ぎないほうが良いという主張(106ページ)は2010年のメタ分析という方法で検証されています。たしかに人の死亡率と睡眠時間は関係しており、長過ぎても短過ぎてもよくないことさ示唆されました。
Sun L, Sadighi Akha AA, Miller RA, Harper JM. Life-Span Extension in Mice by Preweaning Food Restriction and by Methionine Restriction in Middle Age. J Gerontol A Biol Sci Med Sci. 2009 Jul;64A(7):711–22.
次に、フリーラジカルを防ぐ「抗酸化作用のある食べ物」です。これについてはたくさん研究があるようです。しかし、臨床的な効果はまちまちです。
228ページでは、ハーバード大学の研究グループが1993年にビタミンEのサプリメントを採っていた場合、心疾患罹患率が43%も低下していたと報告しています。残念ながら本書の著者は研究のもと論文名を明示していないので、これがどの研究なのかははっきりしません。259ページにリスト化されている参考文献にも必ずしも呼応していないようです。
探してみると、ハーバード系の研究者が1993年に発表したものがありました。本書で紹介された研究は、このことではないかと想像されます。
ただ、これは観察研究でした。観察研究というのは、交絡因子の可能性は否定できないのが問題です。「ビタミンEを摂っている人に心疾患が少ない」というのと「ビタミンEを摂っていたから心疾患が少なかった」は同義ではありません。前者は前後関係、後者は因果関係を表現しています。もしかしたら、ビタミンEを多くとっている人は他にも重要な健康法を行っていたかもしれません。この研究は医療従事者を集めてビタミンEをとっている人とそうでない人を比較しているのですが、そもそもビタミン摂取が多い人は他にもいろいろ健康に気を遣っているのではないか、というツッコミ可能性が「交絡因子」の問題です。だから、この研究の著者達も「さらなる研究が必要である」と自らの研究の問題点を認めています。
Stampfer MJ, Hennekens CH, Manson JE, Colditz GA, Rosner B, Willett WC. Vitamin E consumption and the risk of coronary disease in women. N. Engl. J. Med. 1993 May;328(20):1444–9.
Rimm EB, Stampfer MJ, Ascherio A, Giovannucci E, Colditz GA, Willett WC. Vitamin E consumption and the risk of coronary heart disease in men. N. Engl. J. Med. 1993 May;328(20):1450–6.
さて、観察研究の問題点を払拭するため、21世紀になって交絡因子を排除した前向き試験が行われました。そして、その研究ではビタミンEの心疾患予防効果は示されなかったのです。また、がんの予防効果も示すことができませんでした。
Lonn E, Bosch J, Yusuf S, Sheridan P, Pogue J, Arnold JMO, et al. Effects of long-term vitamin E supplementation on cardiovascular events and cancer: a randomized controlled trial. JAMA. 2005 Mar;293(11):1338–47.
臨床データをまとめたDynamedによると、ビタミンEによる心疾患予防効果があるというエビデンスには乏しいとされています。例えば、以下の研究は女性を対象としたものですが、1993年の研究結果を否定するものになっています。
Lee IM, Cook NR, Gaziano JM et al. Vitamin E in the primary prevention of cardiovascular disease and cancer– The Women's Health Study: a randomized controlled trial.JAMA. 2005; 294:56-65.
これらの研究が発表されたのは2005年で、本書の出た2009年にはすでに周知なものになっていました。専門家である筆者がこれらの研究について知らないはずがありません。自説に都合の良いデータは強く取り上げ、自説に都合の悪い(より質の高い)研究はあえて黙殺するというのは医学者としては誠実な態度とは呼べないと思います。
前にも紹介しましたが、ビタミンA、C,Eやセレニウムといった抗酸化作用を期待される物質が死亡を減らす(つまりは長命につながる)というデータはなく、むしろ否定的であると2007年のメタ分析では示しています。
Bjelakovic G, Nikolova D, Gluud LL, Simonetti RG, Gluud C. Mortality in Randomized Trials of Antioxidant Supplements for Primary and Secondary Prevention Systematic Review and Meta-Analysis. JAMA. 2007 Feb 28;297(8):842–57.
フラボノイドのようなポリフェノールもガンの予防効果は示されていません。
Wang L, Lee I-M, Zhang SM, Blumberg JB, Buring JE, Sesso HD. Dietary intake of selected flavonols, flavones, and flavonoid-rich foods and risk of cancer in middle-aged and older women. Am. J. Clin. Nutr. 2009 Mar;89(3):905–912
以上のような話は、きちんと学術論文を吟味している医者であれば常識的な内容です。「今更何を」とお考えの方もおいででしょう。ぼくも、本書が仮説の提示(ぼくらはこういう仮説で研究をしています)という形でアンチエイジングを主張する内容でしたらとくに引っかかりはしませんでした。
ただ、日本の本屋さんで売っている「健康になるための本」にはこのように、実験室での実験データを(臨床的検討なしに、あるいは臨床的には否定されているのに)針小棒大に解釈し、あたかもそれが人間の利益に直接につながるかのような主張が多いのです。「○○で健康になれる」「がんにならないためのなんとか」的な本です。新聞、テレビといったマスメディアでも病気の治療や予防についてミスリーディングなトピックをよく取り上げていますが、その多くは動物実験レベルでのデータでしかなく、臨床応用が可能かどうかは不明確なものが多いです。これは歴史的に日本では臨床研究が軽視され、基礎研究が相対的に重く取り上げられていたのも理由の一つでしょう。しかし、医学は仮説、検証の繰り返し、演繹と帰納は両方向から検証を繰り返さなければなりません。帰納のない演繹は「トンデモ論」に陥るリスクがあるのです(麻しんワクチンで自閉症になる、みたいな)。
ぼくら医者が健康情報を提供する上で、このような針小棒大な情報が医者と患者のコミュニケーションを困難にしている大きな原因になっているとぼくは思うのです。専門家は「健康本」を「馬鹿馬鹿しい」と相手にしない傾向があります。そういう態度を大人げない、みっともないと考える人も多いようです。しかし、このような無関心(complacent)さが、一般診療における患者と医療者の対話を困難にしています。健康に関する「仮説」が絶対的な真理に転化され、不毛な対立が生じます。だから、一般の人たちに妥当な健康情報が提供されているか、検証することはとても大事だと思います。
最後に、本書ではしばしば「ハーバード大学の研究では」と筆者が所属しているというハーバードを権威付けの道具にしています。「ハーバード大学医学部の教授」である筆者(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E6%9D%A5%E7%A7%80%E8%A1%8C)はここで「医学研究、教育、臨床などに携わっている」(2ページ)とありますが、この辺の書き方も微妙だとぼくは感じています。
これは推測の域を出ていませんが、筆者はアメリカで実際に患者の診療はしていないと考えます(あくまで仮説です)。アメリカの内科専門医が登録されているABIMに筆者の名前がないからです(http://www.abim.org/)。まあ、「携わる」というのはいろいろな携わり方がありますから必ずしも虚偽のステートメントではないと思いますが(カンファレンスに参加するだけでも「携わる」でしょう)、本書のあちこちに実際に患者を診療しているような文章をさしはさんでいることもあり、ミスリーディングではあると思います(もし実際に診療されているのでしたらこの部分は謝罪、撤回しますのでご存知の方は教えてください)。このような印象操作の臭いが感じさせるのも本書の特徴です。
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http://www.carenet.com/info/bangumisanaka/
ケアネットでは、岩田健太郎先生による「Dr.岩田の感染症アップグレード2012」の公開収録を行います。つきましては収録に参加していただける聴講生(医学生・研修医)を募集します。参加費は無料。参加された皆さまには完成した番組DVDを進呈します。
参加を希望される方は、応募資格をご確認の上、下記の要領でお申し込みください。
応募多数の場合は、厳正なる審査をもって選定させて頂きます。
岩田 健太郎(いわた・けんたろう)氏
神戸大学 教授
神戸大学都市安全研究センター 医療リスクマネジメント分野
神戸大学大学院医学研究科 微生物感染症学講座感染治療学分野
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http://www.igaku-shoin.co.jp/misc/seminar/20120617.html
[日時]
2012年6月17日(日)
13:30~16:10 セミナー
16:20~17:30 懇親会(コーヒー・紅茶とお菓子付)
[会場]
東京都文京区・医学書院 本社2階 会議室 地図・交通案内(PDFファイル,310KB)
[講師]
岩田 健太郎 氏 (神戸大学医学部感染症内科教授)
名郷 直樹 氏 (武蔵国分寺公園クリニック院長)
[対象]
医学部 5・6年生および研修医(後期研修医を含む)の方限定
[定員]
80名
[参加費]
2,000円(懇親会費は無料)
2012年発行の雑誌 『JIM』 ご購入の方は購読者割引として参加費が1,000円となります。
当日ご持参・ご提示ください。
[プログラム](予定)
13:30~13:40 ご挨拶および講師紹介
13:40~14:20 岩田健太郎氏講演「ゼロからの診断学」(仮)(質疑10分含)
14:20~15:00 名郷直樹氏講演「構造主義科学論からみた診断学
—現象と診断名のギャップに焦点を当てて」(質疑10分含)
15:20~16:10 岩田氏 vs 名郷氏:クロストーク「差異と同一性の診断学」(質疑20分含)
16:20~17:30 懇親会(コーヒー・紅茶とお菓子付。サイン会あり)
[お申し込み方法]
2012年5月13日(日)正午(昼12時)から5月27日(日)正午(昼12時)までの間に,
こちらのセミナー申込専用Webサイトからお申し込みください↓
http://www.igaku-shoin.co.jp/misc/seminar/images/apply2.jpg
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4月4日朝に(再度)訂正したものです。間違いご指摘に感謝します。
以下、放射線医学が専門でない内科医がまとめたものです。間違いがあったらご指摘ください。
まずは、放射線の内部被曝について考えてみましょう。福島県産の食べ物は一切食べるべきではないという意見があります。これについて検討してみたいのです。
放射線については(ぼくもふくめ)多くの方がたくさん勉強されたと思いますが、ここでもう一度おさらいしておきます。すでに基本的な事項について了解されている方はここは飛ばしても構いません。
放射線は原子より小さな粒子線あるいは電磁波です。その放射線を出す能力を放射能といいます。放射能を持つ物質を「放射性物質」と呼びます。放射能の単位としてはベクレル(Bq)があり、これは1秒間に改変する原子核数を指します。いわば放射能の「強さ」の指標です。これに対して、被爆の単位としては吸収線量であるグレイ(Gy)と実効線量あるいは等価線量であるシーベルト(Sv)に分けられます。グレイとは物質1kgあたり1ジュールのエネルギー吸収があるときの線量です。ジュールはエネルギー量を表す単位です。放射線にもエネルギーがあるのです。そして、シーベルトは生物(基本的には人間)への影響を示す指標です。福島第一原発事故の影響を議論するときはグレイを用いることはあまりなく、基本的には「もの」を評価するときのベクレルと、「ひと」への曝露を評価するシーベルトで議論することが多いです。シーベルトには実効線量(全身への被爆の評価)と等価線量(組織や臓器への被曝)がありますが、これまた福島原発事故以後の話題では実効線量が議論されることがほとんどなので、今はこちらについて考えましょう。
この単位に「ミリ」とか「マイクロ」がつくことがあります。ミリがつくと1000分の1,マイクロがつくと1000かける1000で100万分の1になります。だから、1シーベルトは1000ミリシーベルトですし(1Sv=1000mSv)、1ミリシーベルトは1000マイクロシーベルトです(1mSv=1000μSv)。単位はとてもとても重要ですから、ややこしくてもこの辺をないがしろにしてはいけません。
さらにさらに、これに時間の単位がつくことがあります。分あたり何ミリシーベルト、とか時間あたり何ベクレルというものです。自動車の速度も時速50キロ、といいますね。1時間で50キロ進むという意味です。時間の単位がついているかいないかも大切ですから、しっかりチェックします。
次に放射線の種類です。放射線にはα線、β線、γ線、中性子線などがあります。それぞれ飛距離が異なり、α線は5cm以内、β線は3~5m、γ線や中性子線は約1000mと遠くに飛んでいきます。また、それぞれ遮蔽(しゃへい)=ブロックされること、の程度が異なります。α線は紙一枚で遮蔽され、β線はゴムや金属の膜で遮蔽されます。γ線や中性子線はなかなか遮蔽されません。
次に被爆のされ方です。大きく分けると外部被爆と内部被曝に分けられます。外から放射線を浴びた場合を外部被爆、体内からの被曝を内部被曝といいますが、多くの場合は放射性物質を「食べたとき」の話を意味しています。
内部被曝を考えるときには、次の要素を考えます。
1. 放射性物質は何か。
2. その量はどのくらいか
3. その放射性物質が出す放射線の種類は何か
4. その放射性物質の半減期はいくらか
5. どのくらい体内に残っており、どのくらい体外にでていくか。その時間はどのくらいかかるか。
6. 実際にどのくらいの健康被害が生じるか
これら全てを考えなくては、内部被曝のきちんとした評価はできません。
とくにとっちらかちがちなのが4と5です。4でいう「半減期」とは放射性物質が半分になるまでの時間を指します。その放射性物質がなくなるまでは半減期よりもさらに数倍の時間を要します。5はそれとは「まったく関係なく」いったん体に入った放射性物質が体の外に出ていくまでの時間を指します。どちらも時間の単位ですが、全然別なのですね。
福島第一原発事故で、内部被曝という観点から問題になっているのがセシウムです。事故直後問題になった放射性ヨウ素は半減期が8日程度なので今はもう原発周辺でも検出されなくなっています(文部科学省 放射線モニタリング情報http://radioactivity.mext.go.jp/ja/contents/1000/263/view.html)。現時点で、原発事故後の内部被曝で問題になっているのはセシウムということになります。
そのセシウム(Cs)ですが、39種類の同位体を持っています。このうち、放射線を出す放射性同位体で内部被曝で問題になる半減期の長いセシウムには半減期が2年の134Csと230万年の135Cs、30.17年の137Csがあります。このうち135Csは生成されないか136Xeに返還されるため、実質的に内部被曝が問題になるのは134Csと137Csということになります。他は半減期が極めて短いので内部被曝的な問題にはなりません。また、セシウムにはα線を出すものとβ線γ線を出すものがありますが、α線を出すセシウムは半減期が短くてこれも内部被曝上の問題にはなりません。
次に、5です。セシウムは体中のあちこちの臓器に吸収されますが、その後はカリウムと同じ代謝を受け、体外に出て行きます。成人では110日、小児では5歳で30日、1歳では13日が半減期です(これは放射性物質の物理学的半減期ではなく、生物内にいる量を測る生物学的半減期です。ややこしいですね)。実際には半減期の数倍の時間をかけて体から出ていきます。134Cs、137Csはとても半減期が長いのですが、体内に留まっている時間はそれほど長くはないのです。
ここまでは分かっている事実の羅列です。なんでこんな面倒くさいことをするかというと、物事は各論的に考えなければならないからです。大ざっぱに考え、あれとこれの議論をごちゃごちゃにすると訳がわからなくなります。まずは立場を捨て、事実(と思われるもの)に虚心坦懐に目をむけ、自分が何の話をしているのかを丁寧に確認します。
ここでは「311以降の福島第一原発事故後の放射線内部被曝について考える」が命題です。そこでは、
1. 放射性セシウムが問題である。
2. セシウムは体内に広く分布する。
3. その半減期は134Csで2年、137Csで30年程度である。
4. セシウムは体外に排泄される。成人では半減期が110日。小児ではもっと短い。
となります。もちろん、ここで「事実的な間違い」があれば、反論を受けます。それは甘んじて受けなければなりません。事実の確認で間違えてしまうと、先の議論もかみ合わなくなるからです。
次に、放射線が身体に及ぼす害について検討します。福島第一原発事故後の内部被曝の場合、事故直後の急性放射線症候群とかの問題とは別ですから、区別して考えなければなりません。より長期の影響、具体的には細胞内の遺伝子に与えた影響がもたらす(かもしれない)健康被害を考えます。放射線の長期的な人体への影響には様々なものがあるようですが、特に注目されているのは発ガンのリスクです。
さて、放射線が遺伝子を傷つける方法には直接的な方法と間接的な方法があると言われています。直接的な方法とは放射線が直接遺伝子(細胞のDNA)を破壊すること、間接的な方法とは、細胞内の水(水分子)を放射線が分解して活性酸素と呼ばれる物質を作り、これが生体分子を傷つけるという方法です。
ちょっと話が脱線しますが、後者については、最近アンチエイジングやガン予防の領域で注目されています。活性酸素を抑える物質はたくさんあり、コエンザイムQ10、ビタミンE、ビタミンC、ワインに入っているポリフェノールであるレスベラトロールなどがあります。こういう物質はサプリメントとしても販売されており、「長生きする」「ガンにならない」などと喧伝されます。ぼくが見つけたサイトでは「高級」ワインを飲むのがよい、と主張しているのもありました(http://www.charmant-wine.com/tanosi.img/tanoshi03.html)。
さて、医学の世界では必ず理論の成立とその実証という2本の柱が必要です。医学の世界にはたくさんの「理論」が生み出されます。ただ、理論は間違えることもあります。例えば、劇症肝炎という病気があります。B型肝炎ウイルスなどにより肝臓にものすごい炎症が起きる病気です。炎症が起きているのだから炎症を抑えればよいという「理論」に基づき、抗炎症作用があるステロイドが治療薬に使われたことがありました。ところが、実際にはステロイドを与えられた患者の方がずっと死亡率が高かったのです(Editorial: Steroids in severe hepatitis. Br Med J 1976 Jun;1(6024):1491.
)。現在では劇症肝炎にステロイドを使うのは「だめ」というのが定説です。同様に、インフルエンザにアスピリンを大量に飲ませる治療が流行したこともありましたが、これも合併症が増えるだけで患者には利益がないことが分かりました(Remington PL, Rowley D, McGee H, Hall WN, Monto AS. Decreasing Trends in Reye Syndrome and Aspirin Use in Michigan, 1979 to 1984. Pediatrics 1986 Jan;77(1):93–98)。
人体とか病気についてはまだまだ分かっていないことが多いのです。理屈では正しいと思っていても、実際やってみると間違っているということはしばしばあります。だから、ぼくら医療者は常に謙虚に、自分たちが間違っている可能性を吟味しながらどういう医療が患者に適切なのかを検討しつづけなければならないのです。
で、先ほどの抗酸化療法ですが、抗酸化作用によりガンが減るかも、という研究はあります。例えば、魚や野菜を食べると肉食よりもガンになりにくいという研究があります(Key TJ, Appleby PN, Spencer EA, Travis RC, Allen NE, Thorogood M, Mann JI. Cancer incidence in British vegetarians. Br. J. Cancer 2009 Jul;101(1):192–197)。しかし、抗酸化作用を期待されたビタミンを摂取してもガンは減りませんでした(Hackam DG. Review: antioxidant supplements for primary and secondary prevention do not decrease mortality. ACP J. Club 2007 Aug;147(1):4)。フラボノイドのようなポリフェノールについてもガンの発生を減らす効果は認められませんでした(Wang L, Lee I-M, Zhang SM, Blumberg JB, Buring JE, Sesso HD. Dietary intake of selected flavonols, flavones, and flavonoid-rich foods and risk of cancer in middle-aged and older women. Am. J. Clin. Nutr. 2009 Mar;89(3):905–912)。最近では、レベステロールの研究論文捏造問題もあり、物議を醸しています(http://www.cnn.co.jp/fringe/30005262.html ただし、この捏造問題は心臓への影響を検証した研究のみなのでガンへの影響は議論されていません)。
なんか、実際の研究データを見てみるとすっきりしませんね。分かりにくいですね。これが医学の本質をついています。一つの理論(抗酸化作用ー>健康)が全てを説明することはあまりないのです。あるときにはそれはうまくいき(オメガ3脂肪酸のガン予防作用)、あるときにはうまくいきません(ビタミンやフラボノイドのガン予防作用)。だから、みんな一緒に議論せず、あくまで各論的に「これ」と「あれ」を分けて検証しなければならないのです。
話がずれました。放射線の内部被曝と健康被害に戻ります。
長期にわたる放射線曝露の被害については、二つの仮説があります。そこに閾値がある、という仮説と、ないという仮説です。後者についてはLNT(linear non-threshold)仮説と呼びます。もちろん、両者は「仮説」つまり仮に立てられた学説ですから、どちらが正しいかどうかは決着がついていません。
どちらが正しいか決着がついていないとき、少なくとも良識を持ち、ある立場に立つことを前提にしなければ、そこに無理に答えを出さないことが大事になります。
ところで、科学的に決着がついていない医療の問題について、その「分からない部分」があるが「ゆえに」、分かることもあります。それは、「LNT仮説が正しいとしても、間違っていたにしても、仮に想定されるリスク(があるとしてもそれ)は大きいものではない」ということです。
LNT仮説が正しいとしても、間違っていたにしても、放射線曝露量と発ガンのリスクは相関することについては異論がありません。つまり、放射線曝露が大きければ大きいほど発ガンのリスクは大きいのです。ただ、十分に小さな放射線曝露量では発ガンのリスクがなくなってしまうと考えるか、それが「なくなってはしまわないか」という違いが残ります。しかし、後者が正しかったとしてもそれは「なくなりはしない」けれど「減りつづけている」ことには変わりありません。たとえリスクがあったとしてもそれはとても小さなものである、という言い方はそこから生じています。
さて、4月から食品中の放射性物質許容量は食品1kgあたり500Bqから100Bqに引き下げられました。飲料水では10Bq、牛乳で50Bq、乳児用食品で50Bqです(http://www.jacom.or.jp/news/2012/03/news120329-16516.php)。これはあくまでも食品管理上の基準値であり、人間の健康にとって大事なのは、これらの放射性物質をどのくらい摂取するかが大切になります。
1Svの放射線曝露による発ガンリスクの増加は絶対値で4.1%といわれます。これをNNH(number needed to harm)という指標に直すと24~25人に1人のガンが増加するという計算になります。この10分の1の100mSvであれば0.41%増で240-250人に一人の増加(NNH=240くらい)、10mSvですと0.041%の増加となります。小児や胎児だとこの数値は変動するかもしれません。
現在の食品基準値100Bq/kgですと、年間750kg食べるとICRPが定める年間曝露量の1mSvになります。福島産の食品であってもこの基準値以下であれば、常識外の大量接種をしなければ健康被害は(たとえあったとしても)非常に小さいことが計算から分かります。これは(仮に)LNT仮説を採用したとしても、同じです。これは発ガンのリスクですから、これによる死亡を考えると、そのリスクはさらに小さくなります。
もちろん、「どんなリスクも許容できない」という健康価値観をお持ちの方もおいでです。価値観は主観ですから、正しい、正しくないというものはありません。そこは否定できないと思います。
さて、人体には自然界の放射性物質も取り込まれています。例えばカリウムや炭素、ポロニウムなどがそうです。日本人の体内にあるカリウムから受ける内部被曝は年間約0.41mSvです。他にも宇宙線や空気中のラドンからもありますから、自然界からの放射線曝露は約1.5mSvとなります。人間の多くはガンになりますが、自然界からの放射線がどれだけガン化に影響を与えているかは分かりません。でも、原発から放出された放射性物質の作る放射線も自然界の放射線も同じものですから、どちらも等価にその影響を考えなくてはなりません。放射線による(ポテンシャルな)リスクはゼロにはできないのです。
ときどき、自然界にあるもの、天然のものは体に良くて、人工のものは体に悪いとおっしゃるかたがいますが、これも「立場」にたったものの考え方です。自然界か、人工かは健康とは直接関係ありません。あくまでも健康によいか、悪いかという各論的な議論が大事で、それがたまたま天然か、人工かということになります。天然のものでもトリカブトやフグ毒など体に悪いものはたくさんありますし、人工のものでも医薬品をはじめ健康に寄与しているものはあります。問題は、「そこ」にはないのですね。
というわけで、福島県の食物を摂取するときの内部被曝について検討してきました。以上はデータであり、解釈ではありません。解釈は人間が恣意的に行う行為です。
で、ぼくの解釈です。ぼくは内科医として、福島県の食品で放射性物質のモニターをしており、基準値をクリアしているものについて過度にこれを否定する必要はないと思います。もちろん、妊婦や授乳中の母親、新生児など、いろいろな人がいますから、ここも各論的に考える必要はあるでしょう。そういう例外は儲けてもよいと思います。LNT仮説を採るにしても採らないにしても福島の食べ物のポテンシャルな健康被害は非常に小さくて、ほとんど無視してよいくらいです。個々人でそれを忌み嫌う人がいても、それは個人の好みの問題ですから仕方ないとは思いますが、制度的に規制するには無理がありすぎます。仮想のリスクの小ささを考えると、福島県の人たちに与えるリスクが大きすぎるのです。
個人的に個人の好みである特定の食べ物を回避するのは自由です。が、大声で危険を過度に煽り、福島県の人たちに必要以上の苦痛(もうこれ以上ないくらい苦しんでいるはずなのに)を与えるのは良識ある大人の態度ではありません。繰り替えします。放射線や放射能が安全か、危ないかというおおざっぱな二元論を離れなければなりません。あくまでも今の福島県の食品を我々が食べることの妥当性をきちんと各論的に吟味すべきなのです。
くどい、と思われた方もおいででしょう。ぼくもそう思います。しかし、健康とか安全という情報はこれくらいくどく、各論的に議論しなければよく分からないのです。少なくともツイッターなどで安全だ、危ない!と断言口調、断定口調で言いきるだけという情報におどらされてはいけません。彼らの多くも善意から自分の説を主張しているのでしょうが、残念ながら「他者の言葉に耳を傾ける」態度を欠いています。
科学とは、正しい事実がそこに単立しているのではありません。正しい事実を人間が知ることはとても難しいのです。だから、自分は本当に正しいのだろうか、実は間違っているんじゃないかと自問しながら検討を進めていくのです。仮説や理論を提示し、それを検証するための実験をします。それでも真実はそう簡単には分からない。だから、自分自身と、そして仮説や理論と、さらには他者と静かな対話を続けていく他ないのです。俺は正しいと断言し、他者は間違っていると罵倒する。このような態度はもっとも科学から離れた態度です。ぼくたち日本人は311以降、厳しい試練に静かに耐えるというスタティックな強さを見せましたが、同時に他者に恐ろしく不寛容で断定的で罵倒的である一面も露呈してしまいました。震災から1年、そろそろ静かに心を落ち着け、静かに他者との対話を重ねながら今後のあるべき姿を検証する態度をもつべきだとぼくは思います。
*被災財、いわゆる「がれき」についても同じように各論的に吟味しなくてはなりません。これについては清山先生のブログが参考になります。
http://www.kiyoyama.jp/blog/2012/03/100bqkg8000bqkg.html
文献
図説 基礎から分かる被爆医療ガイド 鈴木元(監修) 日経メディカル開発
災害ボランティア健康管理マニュアル 岩田健太郎ら(監修) 中外医学社
「放射線」どんな種類がある?人体への影響は? 酒井一夫 Newton 2008年10月号 114-115p
放射能汚染ほんとうの影響を考える 浦島充佳 化学同人
投稿情報: 15:54 カテゴリー: 考え方のピットフォール | 個別ページ | コメント (7) | トラックバック (0)
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