書店で衝動買いしたが、著者(岸本先生)からサイン入りでお贈りいただいたのでわが家にはこの本が二冊ある。
もったいないとは少しも思わない。結論から言うが、医学生はみんな本書を読むべきである。本書のような重厚な本を多忙な医療者が読み通すのは困難かもしれない。ぼくもたまたま何十時間というフライトを要するブラジル出張の際にこの本を読んだ。読めてよかった。
アメリカの医師には(他のどの国の医師もそうであるだろうように)もうひっくり返りたくなるくらいすごい先生と、あれあれやれやれ、な先生がいる。ひっくり返りたくなるくらいすごい先生で思いつくのは診断の神様、L ティアニー、HIV診療のP サックス、感染症ではP ファーマーなどがいる。このリストにリタ・シャロン先生を加えたい。
ハーヴァード医学校で医師となった後コロンビア大学で英語学の博士号授与。倫理学者でもあり、「ナラティブ・メディスン」の著者である。
ナラティブ、の既存の書物と本書ではなんというか、間口の広さというか、のり代の大きさというかが違う。ぼくはそう思う。
医者はたいてい、医療のことしか考えない。でも、患者はいろいろなことを考えている。NBMでは患者のナラティブを重視するが、それでも医者は医療のコンテクストから逃れることが困難である。シャロン先生はしかしここにハイデガーやフッサールの現象学、ソシュール、レヴィ=ストロースたちの構造主義、バルトらのポスト構造主義、レヴィナスの倫理学、そして(そうは直接的には言っていないがおそらくは)メルロ=ポンティらの身体論など重厚な思考を織り込んでナラティブ・メディスンを概説する。そして文学。文学理論が臨床医学にリンクする見事なダイナミズムがシャロン先生によって示唆される。文学に惹かれてきたぼくには納得いく展開だ。そうと意図していなくても、臨床医学には文学的視点が必要だ。ピンチョン、ガルシア=マルケス、トーマス・マン、、、文学を読むとは患者の話を聞くのと同義である。うすっぺらいヒューマニズムでもお道徳でもない、突き詰めた「語り=ナラティブ」の意味を模索する学的な誠実な態度がそこにはある。そして最後に「あの」ポール・ファーマー先生も出現する。
パラレル・チャートと筆者が呼ぶカルテの書き方をぼくは偶然(たぶん偶然)外来カルテで何年も用いていた。「私って○○系な人間」と定型的なカルテでは書かれない書き方でぼくのカルテには記されている。規定しないカルテの書き方という冒険を規定的なアメリカで試みるシャロン先生の勇気に感謝したい。
おそろしくエキサイティングな本だ。ナラティブの教科書は教条的で読むのに苦痛なものが多いが、本書は逆である。ペイジ・ターナーだ、リアルな。
レジデントの3年目のときに、シャロン先生の特別グランドラウンドがありました。予備知識無しで行ったのですが、(確か当直明け)目からウロコの講義でした。1時間があっという間に過ぎました。彼女が壇上に立った瞬間から部屋の雰囲気が変わったんです。少し間をおいてからの、最初の第一声のトーンを今でも覚えています。低く、しかしよく通り、ヨーヨーマのチェロのようで、一気に引きこまれたのを覚えています。この人 何物だ?と戦慄が走ったのです。
その時の講義の内容をまたブログに書きますので、良かったら覗いてみてくださいませ。
投稿情報: AkihiroAsai | 2011/11/12 13:22