この忙しい農繁期に、ついつい一気読みしてしまった。本当に面白い。
映画に限らず、批評は難しいと思う。特に、インサイダーストーリーを開陳しない形で(出演者の誰とだれは実は夫婦で、、、みたいな)、あらすじで字数を稼がないでやるのは本当に難しい。ただ、自分の好みを押し付けて好きだ、嫌いだ言わないのも難しい。ほとんどの批評はこういう形になってしまう。内田先生も作品、つまらないというけれど、決して押し付けたりしない。ユリイカなんかでよく見られる文体とは、まるで違う。
内田先生の恐ろしいところは、「この映画は結局○○と同じですね」と本質に(しかもこき下ろす感じでなく)ずばっといってしまうところにある。AとBの違いを指摘するだけなら、注意深い観察とちょっと意地の悪い精神があればたいていの人にはできる。でも、細かい違いを取っ払えば、AもBもおんなじじゃん、と言いきるのはものすごい知性を必要とする。このような類化性能の方がずっと知的作業としてはレベルが高い。
こっそり白状するが、僕は類化性能が割と高い方だと自分を評価していた。がんばれば、内田先生のようなモノの見方や考え方ができるのでは、とも思っていた。汗顔の至りである。ムリムリ、絶対無理。政治や教育みたいな硬い評論よりも、お気楽な映画批評になったとき、その観察眼のするどさは顕在化される。タイトルが示唆するよりもずっとすごい本である、これは。どのくらいすごいかは、読んでください。
易しい文章を書くのは難しい。それを模倣するのは、簡単なようで難しい。村上春樹の小説が誰にもマネできそうで30年以上誰にもマネできなかったのはそのためである。チャンドラーの模倣者は山ほど現れたが、ついに本家を越える人はでなかったのもそうだろう(原りょうさんがかなり肉薄したけど)。
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