この文章はいろいろなご意見を聞いて訂正を重ねています。最後に直したのは、4/2の午前8時31分です。
放射線の素人である医者が放射線について考えてみた。放射線が人体に危険性はあるか?もちろん、ある。問題はそこではない。「どのくらい」危険があるか?である。調べる限り、放射線のリスクは「案外」小さい(少なくとも僕が想像していたよりははるかに小さかった)。こういう「語り口」がリスクを語る時は重要だ。
次に、母乳について考えてみた。母乳の素人である内科医が母乳について考える。
exclusive breastfeeding, つまり母乳だけで育て、母乳以外は一切使わないこと(ビタミン、ミネラル、医薬品を除く)が生後6ヶ月間は推奨されている。推奨しているのは世界保健機関(WHO)、ユニセフ、アメリカ小児科学会(AAP)、アメリカ家庭医学会(AAFP)、アメリカ産婦人科学会(ACOG)、母乳医学協会(?)(ABM)である。
ウェブで調べた限りは日本小児科学会も母乳育児を「推進」しているらしいが、詳細は見つけられなかった。他の学会についても同様。
利点
母乳だけで育てると、消化管や呼吸器感染症を減らすことができるかもしれない。ただし、これはほとんど観察研究に基づく。
イランとナイジェリアのスタディーでは、母乳だけで育てた場合と母乳・人工乳混合の場合は呼吸器感染症が前者のほうが少なかった。
どちらも成長には違いがなかった。
母乳だけで育てると鉄が足りなくなるかもしれない(ただし途上国)
母乳だけで育てると母の生理再開が遅れるかもしれない。(ホンジュラス、バングラデシュ、セネガルのスタディー)
母乳だけで育てると母親の体重減少が早いかもしれない(ホンジュラスのスタディー)
アトピー性皮膚炎、喘息などのリスクについては差がなし(フィンランド、オーストラリア、ベラルーシのスタディー)
最初の三週間を母乳だけで育てると、12週後も母乳が継続していやすい。
スキンコンタクトは母乳だけで育てることにつながりやすい。
ケース・コントロールスタディーを集めると、母乳で育てると(この場合はexclusiveではない)侵襲性乳癌のリスクが減る。5万人フォローで、母乳を12ヶ月で「相対リスク」が4.3%減る。
母乳で骨粗しょう症が減るかは不明
アメリカのスタディーでは高血圧(OR 0.88)、糖尿病(OR 0.80)、脂質異常(0.81)、心血管性疾患(0.91)が少なく、肥満には関係ない。Obstet Gynecol. 2009;113(5):974.ただし、これはexclusive lactationではない。母親のこれらのリスクがアメリカより低い日本では?
アメリカのスタディーでは母乳(exclusiveにあらず)で肥満が減るかもというスタディーがある。JAMA. 2001;285(19):2461.そうではない、というベラルーシのスタディーもある。Am J Clin Nutr. 2007;86(6):1717.
14のケース・コントロールスタディーを用いたメタ分析では、母乳(exclusiveにあらず)は白血病(ALL, AML)を減らす。Public Health Rep. 2004;119(6):521.
小児の癌全体も減る。これもケース・コントロールスタディー。 (odds ratio = 0.92, 95% Cl 0.84-1.00, P = 0.05) Br J Cancer. 2001;85(11):1685.
母乳で心血管疾患の「リスクファクター」が減る。例えばCRPが下がる。
糖尿病の発症がへるかも、、
あと、認知機能や視力、聴力、ストレス低下につながるかも、、、という情報があるがこのへんは微妙。
というわけで、母乳は母児ともに利益を与え、(その経済効果も加味すると)一般的にはぜひ推奨されるべきだと僕は思う。思うけれど、その利益は「案外」小さい。母乳で育てられなかったからといって親を責めるほどでもないし、母乳で育てられないと幸せになれないというほどでもない。一部の本がほのめかすように、母乳以外のものを与えないとダメな母親、、、みたいなのはちょっと違うんじゃないか、、、特に、exclusive breastfeedingの利益は(僕が想像していたよりも)小さいものだった。
母乳をエンカレッジするのは大事だ。けれど、そうしない選択も否定するほどでもないな、、、と僕は思う。「それはそれで、やり方がありますよ」。そういう言い方もあってよいと思う。こういう良い意味での「二枚舌」が大切だと思う。
今気がついたけれど、こういう「口調」って専門家以外が語ったほうが案外上手くいったりして、、、あくまで思いつきだけど。
参照
Exclusive breastfeeding: Dynamed. viewed April 2, 2011
Maternal and economic benefits of breastfeeding. UpToDate 19.1 viewed April 2, 2011
Infants benefits of breastfeeding. UpToDate 19.1 viewed April 2, 2011
私は母乳分泌中ですが社会的に好ましい「感じ」でなく科学的な論考歓迎します。自分で検索し結論を導けたらよいのですが力及ばず大きな助けと思っています。
投稿情報: Marulayy | 2011/04/02 18:30
一連の投稿を共感を持って読みました。少しだけ雑感です。
> 「案外」小さい(少なくとも僕が想像していたよりははるかに小さかった)。
この「僕」は、一般名詞としての「僕」だよね(笑)。自分の専門以外の部分の情報は、突出したもので、特に不安につながりやすいものが、選択的に入りやすい、そして増幅される性質を持ちますね。「少年の凶悪事件が増えている」というイメージとか。
> こういう「口調」って専門家以外が語ったほうが案外上手くいったりして…
これも賛成です。なので、岩田先生の場合、普通の感染症の専門家ではなくて、「実在しない感染症」(←面白かったです)の専門家だから(笑)、感染症についての「口調」も面白いです。
とはいえ、当事者・アクティビスト・いわゆる専門家や評論家(これらの言葉も、いろいろ汚れちゃってますが…)の綱引きも面白くて、そこから、その周辺にいる人に知恵が渡されていくのかと思います。
いずれにせよ、何かを「良い」という行為は、周縁化されたマイノリティを必ず作り出すと思います。自戒をこめて。
投稿情報: 粂 和彦 | 2011/04/02 10:40
こんにちは。
先生のおっしゃる通り「それはそれで、やり方がある」というのはあると私も感じます。
実際にお母さんと向き合うと、母乳育児が出来ない、と自分を責める方はやはりいます。
今の母乳育児推進の姿勢には「どうしても母乳育児が出来ない場合どうするか」という視点が今一つ足りないと私は思っています。そして一部の急進的な方は「工夫すればそういう例はもっと減らせる」としか答えてくれなかったりします。
そういう訳で先生の意見には賛成なのですが「専門家以外が語った方が…」のくだりには、控え目に意義を唱えておきたいと思います。小児科医はまだまだ先生に負けるつもりはありませんよ(笑)。
投稿情報: おいかわ たくみ | 2011/04/02 10:13