地震が3日めになっている。被災された方にはお見舞いの言葉もない。まだ安否が確認できていない知人や友人がいて、心が痛む。
僕は5年生の夏休みに病院実習を受けている。コメディカルから医学生を教育するという特異なプログラムで、たくさんの方に貴重な教えを受けた。当直やオペにも入って夜中にいろいろ臨床医としての大事な話を教えてもらった。今の僕が医師として何らかの価値があるとすれば、その基盤を作ったのはこの実習である。
それが、宮城県亘理町の病院であった。この町が土砂に埋まっている空からの映像を見て、息が詰まる思いがした。
原発の問題が報道されている。僕は原発にも放射線にも全く不案内だが、安全に関する問題は、断定口調をとれない、ということをこれまでの経験で理解している。難しい問題に対する即答できる解決策はほとんど存在せず、福島原発の問題は第一級の難問である。記者会見で枝野長官たちが口ごもるのはあたりまえである。「これこれこうなっていますから、こうすればよいんですよ」などとぺらぺらとはしゃべれないのである。ためらいの口調、「分かりません」という回答は、このような困難な状況では、むしろ当然なのである。
内田樹さんのブログにもあったが、こういう未曾有の災害時で一番大切なのは寛容である。誰かが誰かを糾弾するような口調は厳に慎まなければならない。政府も東京電力も必死である。当たり前だ。この問題を適当にあしらってやろうなんて思っているものはいない。こんな大事な問題、ちゃっちゃとやっつけ仕事ができるわけないではないか。
メディアはお願いだから、リスクに関して「はっきり言わないのはけしからん」とか「後手にまわっている」などと糾弾するのは止めてほしいと思う。このような場合では、メディアはいつもの糾弾口調は慎み、慎重になっていることを称賛し、苦労と心痛をねぎらうべきなのである。
読売新聞は、視察をした副大臣が「居眠りをした」と糾弾した。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110313-OYT1T00127.htm
僕は外来で診察しているときに居眠りしたことが何度かある。やってはいけないことだが、臨床医なら何度か覚えがあるはずだ。患者さんに申し訳ない気持ちでいっぱいなのだが、「先生も疲れてるんだね、無理しないでよ」と労われて救われたことがある。
ぎりぎりのところで身も心もぼろぼろになって尽力している人にかけるべきは罵倒ではない。労いである。どうかあいまいさを許容し、寛容な心で、みなが協力して同じ方向を向いてほしいと願っている。
これだけの規模の災害で、暴動も起きず、略奪も起きず、貧富によって救助のされ方が違うなんてことは想像すらされず、サンデル先生が例示したみたいに、人の不幸を踏み台にして悪質なビジネスも(少なくとも公然とは)行われない。、、、規律と善意と寛容な心を持って団結できている日本という国は本当にすごいと思う。自然の力はものすごい、と感じ入る一方、関東大震災の時より遥に大きな地震でも多くのビルはびくともしなかった。たしかに自然の力はあまりにも巨大だが、この100年あまりの間に、人間も飛躍的に進歩したのだ。人の力にも驚嘆している。
先生の御意見に賛成です。但し、私は、元々マスコミの報道には、懐疑的でしたので、このようなマスコミの対応は、想定内でした。一般大衆もこれを機にマスコミの報道を疑ってみる事を学習して頂きたいです。そうすれば、医療に対する報道をそのまま信じるような愚行も改善されていくと思います。
投稿情報: 一勤務医 | 2011/03/21 17:19
先生の明快な文章に感銘を受けました.先生のような発言力のある方が今こそ声を上げる時ではないでしょうか.
今回の東電バッシングは医療事故バッシングを連想させる極めて不快な報道です.安全対策は素人に言われなくても二重三重の備えがあったはずです.それを遥かに凌駕する大震災・大津波が起きてしまったのです.前例のない刻々と変化する非常事態の中で,その時点その時点で最善の策をとっているのです.任せている僕らはある意味気楽です.自分でなんとかしなくちゃならない人の心労は計り知れないものでしょう.恐らく逃げ出したくなる思いをぐっと堪えて踏みとどまっているに違いありません.私は外科医なので,術中の予期せぬ大出血を思いおこし(些末な喩えで恐縮ですが,それはそれで命の縮む思いです),他人事とは思えません.彼らの勇気と努力を称え,事態の収束を祈るほかありません.
投稿情報: 平岡さとし | 2011/03/18 19:49
おっしゃる通りだと思います。私は、読売新聞をずっと購読しているのですが、読売新聞の民主党批判にはほとほと嫌気がさしています。一体何を求め、何を意図しているのでしょうか?
ついさっきも、家族と「もう読売はやめようか」と話していたところです。購読者が減れば少しは変わるでしょうか?
人を育てるのも、新しい政党を育てるのも、寛容さが必要だと思います。でなければ、新しい可能性は潰れてしまいます。
この難局に必死に眠らずにやっているのですから、後ろから水をかけるようなことを無責任に発信すべきではなく、自分たちに何ができるのかを考えて行動すべきです。世論に対して大きな力を持つメディアなのですから社会に対する責任だと思います。
先生の勇気ある正論を読み、拍手しています。
投稿情報: チェシャネコ | 2011/03/17 21:17
私も全く同感です。寛容さとサポートすることが重要だと思います。
投稿情報: ヒイロ | 2011/03/16 11:58
岩田先生の意見は、私も考えていたとおりです。何で記者会見での記者は、あんなに罵声をあびせ、命令口調なのでしょうか?そのくせ、質問は、的外れ質問が多く、右か左かどちらにしろ、と訳の分からんことばかり言っています。品がない。知性と理性を感じない、感情の塊です。それが、国民を代表しているとうぬぼれている記者の実態でしょう。まるで、みんな芸能リポーターみたいです。現地で頑張っている東電の社員、被災された方々、頑張ってください。大きな声を出さなくても、表現できなくても、現場に行けなくても、皆応援しています。協力します。
投稿情報: shinちゃん | 2011/03/15 14:42
私も同じことを感じていました。この記事を多くの方が読んでくれることを望みます。
投稿情報: おおやま ひつじ | 2011/03/15 12:55
Care Net.から引っ張られてこちらにきました。青森生まれで今は他で消化器内科している者です。以前に内田樹先生の講演も聴きました。本当におっしゃるとおりで、短絡的にいらだちを権力者にぶつけているテレビを見ると、そのいらだちが関係のない人たちに波及して悪循環を起こしてしまうことを分かってやっているんだろうかと思います。いらだちを報道するのではなく、自制している様子や現場の苦闘などを表してほしいです。それがスムーズなよりよい協力を生むのではと思っております。今の日本は寛容がなさすぎ、我慢できず、それが今の閉塞感を生んでいるのは震災以前からだと思いますが。まず被災地のことを思うべきだと思います。
投稿情報: Gast | 2011/03/15 12:32
私も共感です。今は批判でなくがんばっているみんなをサポートし、生きる力を絶やさないことを、どんな遠いところにいてもできることを自分が考えてする時期です。批判や中傷はだれも救いません。ならその手をさしのべてあげてと思います。
投稿情報: ねこまつ | 2011/03/15 10:17
メディアの情報はどう料理されてしまうかの事例です。
アメリカ在住の友人がWeb情報を見て、福島原発は34年前のオンボロ原子炉(だから事故発生)、福島県知事は県民の反対を押し切りMOX載荷を半年前に了承(県民がかわいそう)、核エネルギーの時代ではないとメールが参りました。
これに対し、34年前に発電所が建設されたのであり原子炉は現在の基準に相当する設備でなければ稼動できないこと、つまり34年前のオンボロのままではないこと、MOX載荷と今回の事故は無関係であること、合意形成には県民と知事以外の○○団体なども実は関与すること、今の電化生活を放棄しない限り現状は核エネルギーを排除できないことを伝えました。
オンボロのままのはずはない、そう考え直してほしいと期待して伝えました。
投稿情報: Axl Rose jp | 2011/03/14 04:43
本当にそう思います。
投稿情報: ちんすこう | 2011/03/13 20:23