僕が子どものころは、停電は割と日常的であった。少なくとも島根の田舎町ではそうだった。それは、21世紀の日本という先進国では異常なことなのだが、今の日本そのものが異常な状態なのである。
カンボジアやケニアなどでは停電は割と日常的である。そのような制約の中でなんとかかんとか病院はやりくりをする。1999年のペルーでは、大学病院でも人工呼吸器が足らず、挿管されている患者の家族がアンビュバッグを交代で押していた。それはアメリカや日本の医療のスキームから考えるとあまりに異常な光景であったが、やってやれないことはないのだった。ケニアのスラムにおける仮設診療所では、採血、画像がゼロの状態で外来をやった。それは100%の保証がない大変困難な外来であったが、これもやってやれないことではなかった。
土曜日、僕は災害時の感染対策について看護師たちに話をしたが、レヴィ=ストロースの言う「ブリコロール」が大事である、と言った。あれがないとできない、ではなく、今あるリソースで、手持ちのリソースでやりくりする。停電したならしたなりの、医療のスタイルがある。
亀田時代に検証したことだが、検査を減らすと患者さんと対話する時間は増える。今こそ電気を要する検査を最小限にして、患者さんと対話する時間を増やしたい。患者さんも(今は)それを望んでいるのではないだろうか。
今の日本は常時の日本ではなく、明らかに非常時の日本である。だから、常時のメンタリティーのままでは不満、苦痛、イライラがたまる。ケニアではこういうとき、「ポレポレ」という。ゆっくりと、、というような意味である。繰り返すが、こういうときに大切なのは寛容の精神である。
もう記憶の彼方に行ってしまいそうだが、地震の前の民主党政権は風前のともしびであった。次の総選挙の話をするかしないか、ではなく「いつ」するかという話をしていた。
現政権がパーフェクトな集団ではないことは我々は承知している。常時でもエラーを繰り返してきた政権が、非常時に無謬な、パーフェクトなパフォーマンスを演じることを期待してはならない。
平時の日本ではこの数年、政治家、首相がダメだと非難轟々、途中でキレちゃって辞任、というサイクルを延々と繰り返してきた。しかし、今のこの最悪のタイミングで解散総選挙という選択肢をとりたいとは、さすがの自民党も思っていないだろう。それは禁忌のカードである。現首相には、安倍、福田、麻生、鳩山(あと、他にもいたっけ)のように途中で投げ出す「権利」を与えられていない。血へどを吐いても、どんなに罵倒され、その名誉が泥にまみれても、現政権を維持し続ける「義務」がある。これもブリコロールである。
したがって、平時のメンタリティーで現政権や首相がけしからん、と罵倒するのはまったく理にかなった行為ではないということである。おそらく、今後もあれやこれや、細かいミスは起きるであろう。しかし、常時では突っ込みの入るであろうそのようなミスを「ポレポレ」の精神でゆっくりとゆったりと受け入れることが今は大切なのだと思う。
昨日の午後、ようやく僕は本を読む気力を取り戻し、森嶋通夫の「血にコクリコの花が咲いて」を読んだ。太平洋戦争時、日本が、森嶋のいた海軍がいかに唾棄すべき集団に成り下がっていたかが描写されていた。太平洋戦争は日本の精神がアメリカの物質に敗北した戦争と言われることがあるが、森嶋はそうではないという。日本は、戦争時、精神論を訴えすぎてそれが高じて精神そのものも破綻してしまっていたというのだ。
今回の地震で暴動も略奪も悪質な商売も起きていない日本を本当に誇りに思うと僕は書いた。しかし、それは先験的に、遺伝的に日本人が暴動も略奪も行わないという意味ではない。歴史を振り返ると、僕らの祖先は口にすることもできないひどい所業を沢山行ってきた。僕の場合、仕事柄、周囲には「理性が吹っ飛んでしまった」愚かとしか呼びようのない人々と付き合うことが最近は多い。先天的に自動的に、日本人が優れているとは限らない。
今の日本を支えているのは共同体の中での理性だが、それは天から降ってきた所与の理性ではない。僕らがなんとかかろうじて保っている理性である。この理性は吹っ飛ぶリスクを足下に携えている。疲労困ぱい時は特にそうである。
この理性は僕らが必死に守らなければならない理性である。日本政府は僕らの外にある他者ではない。僕もあなたも政治家たちも、みな「チーム・ニッポン」のチームメイトである。少なくとも今はそうだ。チームメイトを罵倒しても、チームのパフォーマンスはよくならない。
このようなことを書いて不愉快に思う人もいるかもしれない。「お前は安全なところにいるから、そんなことがいえるんだ」という反論も覚悟している。森嶋通夫も、僕の尊敬するもう一人の日本人、白州次郎もプリンシプルとインテグリティーの人であった。僕も、プリンシプルとインテグリティーのある誇り高い日本人でありたいと思っている。だから、これを書きました。
追記 こんなものがあります。みんなの知恵を出し合いたいですね。
http://togetter.com/li/111325
ケアネットの記事から参りました。
ここ2,3日、もやもやとしていたものが晴れた気がしました。
ありがとうございます。
本当に、そうですよね。
私はカウンセラーとして勉強を重ねていますが、
いつも、「犯人探しをしても誰も幸せになれない」ということを思います。
起こったことを非難することではなく、今・此処で何ができるかが大事。
私自身は決まった政党への支持はしていませんが、
枝野官房長官が、汗をかきながら何度も会見に立たれている姿を見て、
話が下手だと文句を言う人がいることに心を痛めています。
関西でも節電のチェーンメールが流れました。
いたずらであれば悲しいことです。
でも、これだけ広まったのは、距離のある関西でも
何かできないかと必死に考えている人がたくさんいるということだと思います。
投稿情報: くー | 2011/03/15 08:57