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2011/03/31

コメント

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杉本先生、
>今回の先生の訴えは「喫煙を例に挙げながら、よりオープンで発>展的な意見交換によって、新たな解釈モデルが社会的に構成され>る」と受け止めたのですが、なぜその主張とは無関係な喫煙が殊>更議論されるのか、僕は理解に苦しんでいます。

 それは岩田先生の手法が、存在するかしないか分からない、あるいは存在しない架空の人物を作り上げて自分の議論の枠組みの中に押し込めるからです。その時、対象になるのが喫煙問題に取り組んでいる医師達や、薬害問題に取り組んでいる人達なのです。架空の存在と言っていないので、読む側は、そんな人達が実際にいるように思うでしょう。そして実際に喫煙問題に取り組んでいる医師達や薬害問題に取り組んでいる人達がそういう人達であるかのように思うでしょう。だから喫煙が議論になっちゃうのです。無関係な議論を関係あるようにしているのは岩田先生なんです。既に指摘した原発問題だって、岩田先生は原発か電力不足かの枠組みに持って行きました。実は原発反対と言った時に真っ先に「電気はどうなるの?」電力供給の疑問が出ます。街中の議論でも国立研究所の議論でも。ですから電力不足に対する回答を原発反対派は用意しています。そもそもドイツみたいな産業国が脱原発を宣言しているのですよ。不思議だと思いませんか?2極対立構造を批判したい岩田先生が架空の議論を作り出しているのです。まあ原発問題は知らないのだなで済みますが、喫煙、薬害となると、指摘されれば考えなおしていただかねばなりません。自分の議論に押し込めないでくださいと価値転換を迫っているのですが、無理そうです。

岩田先生、
 ということで、また1点指摘します。『感染症は実在しない』167ページ左から4行目から最終行まで。「無批判に『タバコはよくない、だからよくない』といったトートロジーに陥るのは危険なのだと思います」こんな医師がいるかのようです。196ページ「喫煙は絶対悪か」というところにも、「そうではないと主張する医者も多いでしょうが」とあります。まるで禁煙の意志がない喫煙者の喫煙を無理矢理辞めさせたがっている医師がたくさんいるかのようです。しかし、いないのです。喫煙問題に取り組んでいる医師ほど、驚くほどはっきりしています。彼らの対象はタバコを辞めたいのに辞められない喫煙者です。それと新規の喫煙が始まらないように(特に未成年に)言っているだけです。禁煙の意志ががない喫煙者は対象外なのです。実際そんな人の喫煙を辞めさせるのは無理でしょうしね。もちろんタバコの害や依存性、タバコの構造などについては一般の危険情報としては知らせていますがね。まあこれはアメリカFDAが1990年代後半に打ち出した方針でもあります。これも喫煙・反喫煙の構造を批判したい岩田先生の作り出した架空の医師達です。

岩田研太郎先生

糖尿病を専門とする内科医で、杉本正毅と申します。
今回のブログをM3.comを通じて拝読しました。僕自身の考えにとても近いので大変共感を感じ、さっそくアマゾンからご著書を2冊注文させていただきました。さらに失礼とは思いましたが、自身のブログで紹介させていただきました。
http://www.diabetes-cafe.com/largetable/modules/popnupblog/index.php?param=2

この中で僕は、以下のようなコメントを添えさせていただきました。
<引用開始>
社会構成主義では「すべては相対的なものであり、唯一絶対的な真実というものは存在しない」(絶対相対主義)という前提に立っています。このような立場から岩田氏の主張を以下のように言い換えてみました。

原発推進派も反対派も、お互いのメリットとデメリット、強みと弱みを踏まえて、創造的でオープンな議論をするべきである。つまり、「お互いが自らの不完全さを認め、その考え方の限界や欠点を相手に提示しながら、相手に歩み寄りつつ議論を展開することによって、それぞれの限界を超える新しい解釈モデル(=物語)が社会的に構成されるのではないか?」というのが、岩田氏の主張ではないか?と、僕は理解しました。

そして、エンパワーメントと呼ばれる患者中心主義の考え方も、このような「等価価値交換」という観点から述べることもできます。糖尿病をもった人々の食生活や飲酒行動、喫煙行動・・・、それらと医療者の勧める「健康行動」が等価価値とみなされなければ、患者さんに行動変化は起こりません。それ故、医療者はもっと謙虚になって、患者さんに共有されない自分たちの価値観を強要するのではなく、まずかれらが等価価値と考えている日常行動の意味を理解した上で、彼らに「等価価値交換」してもらえるような魅力的な提案を創出する努力をするべきではないか?と言い換えることができます。糖尿病のセルフケア行動は「身体的な満足度」「社会的な満足度」の他、インスリン自己注射や血糖自己測定など、QOL(生活の質)や治療に対するアドヒアランスなど、複雑で複合的な内容を含むので、単に「等価価値交換」という言葉では表現しきれない側面があることは事実です。しかし、岩田氏は「等価価値交換」という言葉で、一般の医療者が見落としがちな視点を大変わかりやすい喩えで表現しています。<引用終了>

今回の先生の訴えは「喫煙を例に挙げながら、よりオープンで発展的な意見交換によって、新たな解釈モデルが社会的に構成される」と受け止めたのですが、なぜその主張とは無関係な喫煙が殊更議論されるのか、僕は理解に苦しんでいます。
先生の益々のご活躍をお祈り致します。

私は公害地域の出身で呼吸器疾患を抱えております。
ご意見を拝見して少し思うところがありますので、書き込みをさせて頂きたく思う次第です。

寝不足、過労、ストレス、栄養過多、飲酒等の例を挙げられているようですが、これは何れも行為者本人のみがリスクを負う事象ですね。本人が承知でリスクを負っているのだから許容してやれと。
なるほど、確かに自己責任と言えなくもないかもしれません。

車の運転については、交通事故を起こせば他人を殺めることになるので、行為者だけがリスクを負うものではありませんが、他者を危険に晒さないよう厳格に法律で規制が行われ、違反者には罰則が課されています。
セックスなんかもそうですね。他人に強要すれば犯罪です。

人の行為は、自己決定権の範疇においては許容することは「是」だと思うのですが、他人の自己決定権の範疇に属すること、つまりは他人の健康や生命を奪ったり、危険に巻き込んでしまう行為は「否」であるし、社会はそれを許してはいけないのだと思います。

タバコの煙や公害は、巻き込まれる側にはリスクコントロール出来ないものです。
被害者達は、否応なく健康や生命を奪われ、危険に巻き込まれてしまうので、明らかに自己決定権を蹂躙されることになります。

また、現実的な問題として、他人の健康や生命を奪っても、危険に巻き込んでも、自らが罰せられなければ平気という自己中心的な人達はどんな世の中でも存在しております。それは水俣病や四日市ぜんそく等における企業や政治の対応を見れば明らかですし、害があることが判っているのにタバコを吸い、他人を受動喫煙に巻き込む人達も同じです。

残念なことですが、現実を直視すれば、他者の価値観が自主的に変換されていくことを促すだけでは何の解決にもならないでしょう。
自らの生命・健康と自己決定権を守るためにも、被害者は社会に対して、その行為の規制を積極的に求めていかなければならない。

「聴く」だけで「総意」に従っているだけでは何も変わらないし、何も変えられない。
それは虐待されている子供が、黙ったまま誰にも助けを求められずに死を迎えてしまうのと同じ・・・。

被害者にとっては「話す」ことが必要であり、社会を変えることが必要なのであって、「総意」を変える努力をしなければならない。

そういった被害者に手を差し伸べ共に社会を変えようとする人達は、被害者の声を聴き耳を傾けている。
しかし、現状を「総意」と捉え、被害者に対して「聴く」ことを求める人は、被害者の声に耳を傾けていない。

もっともらしい言い訳を並べて「聴く」ように求めるだけでは、目の前の惨状から目を背けているに過ぎない。

よく考えてみて下さい。

はじめまして。先生のファンの末席を汚す一人であり、いつか先生に頼りにされるような皮膚科医目指して日々奮闘中です。
すべての物事にはメリットとデメリットがあり、個々の人間の価値観によって判定は異なってくる。しかも原発事故、医療事故のように普段はメリットしか自覚しないが、まれに深刻なデメリットのみを享受することになるなって愕然とするようなケースだと、ますます価値判断は難しくなる。すべてを良くする青い鳥などまずありはせず、そう主張する連中はインチキである可能性が高い。でも需要側は無謬性を求め、それに呼応して供給側は絶対安全を演出する。でもそのようなことは到底無理なので、隠蔽、無責任にはしる。先生が厚生労働省や医療を批判する構図が、原発や大相撲でも成立するということなのでしょう。大相撲も八百長が競技を成立させるための必要悪であることを認めてしまえばよかったのに、実際は週刊誌を訴えて多額の賠償金を得たりしている。もちろん、気に入らない仲間をかわいがって殺してしまうような相撲世界の伝統的な価値観が現在の人々の価値観に合わないから公開できないというのであれば、そのことを堂々と公表した上で近代的スポーツに生まれ変わるための方法を社会全体で考えていく(例えば、体重別制度を導入するなど)しかないのでしょう。

参考:反原発と推進派、二項対立が生んだ巨大リスク
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110328/219175/?rt=nocnt

おまけ:不謹慎な曲ですが、ゼロリスク症候群に陥ることの愚かさをうまく表現しています。

【危険!】蒟蒻ゼリーを食べると死にます【初音ミク】
http://www.youtube.com/watch?v=N27a95NRtaI

母としても喫煙所からもれる煙を苦々しく思いますが、5年、10年単位では禁煙学会的なアプローチが功を奏するでしょうし、50年、100年単位の未来像としてはこのブログの視点が通じる世の中であることを私は望みます

岩田先生
 早速ご返事ありがとうございました。先生のおっしゃる「語り口」とはどんな語り口なのですか?禁煙で語っておられる方はたくさんいます。私が知る禁煙の方々は、むしろ抑制的な語り口の方が多いので、価値交換の観点で問題となる人はそんなに見当たらないのですが。ご教示賜れば幸いです。平行線も何も先生は何も具体的なことを提示されていませんよ。

岡山大学 津田先生

コメントありがとうございます。依存性については了解していますが、今回は価値観についての言及なので申し上げていないだけです。アメリカやイギリスのタバコ会社の経営戦略については僕は映画「インサイダー」のモデルに直接お会いしたこともありますし、それについて原稿を書いたこともあります。この原稿は近著「ケニアのスラムで高血圧を治療しない」に再掲したのでご参照ください。僕はタバコのエキスパートではありませんが、さすがに教科書レベルの知識は了解しています(でなければ前掲の論考などは書けません。ちなみに僕も禁煙指導はしています)。繰り返しますが、僕が問題にしているのはタバコが健康に害があるかないかの問題ではなく(健康に有害なのは明らかです)、あくまでも「語り口」の問題です。そこに気づいていただかないと議論は平行線ですねえ、、、残念ながら。

原発の健康リスクについては僕は全く無知でしたので勉強してみました。どこまでうまく認識できているかはもちろん全然自信がありません。ご指導ください。

 「かげで書き込みをされる」と思っておられるようですので、実名で書き込みますね。岩田先生のタバコの議論には、依存性の問題が出てきません。これは今日、医学テキストにも載っていることです。従って、「もし日本の社会がタバコによる健康被害を価値として(好みとして)許容しなくなったならば、そのときに日本における喫煙者は激減するだろう。」というほど問題は単純ではないでしょう。一方、タバコ会社は1960年代からニコチンの依存性を熟知してタバコを販売してきました。アメリカのインテリの間ではよく知られているはずです。また「体に悪くない」と本気で思っている人は少数派かもしれませんが、喫煙による害影響に関しては喫煙者は特に不足しています。非喫煙者の岩田先生も教科書レベルの知識が不足している感じは否めません。知識が不足している方からは、禁煙活動は「自らの価値観を押し付ける」ように見えるでしょう。
 原発の問題を「原発反対」か「電力必要」かでしか見ることが出来ない先生の原発問題理解も、教養レベルの知識不足を指摘されても仕方ないでしょう。
 恐らく、「自分の価値観を押し付けるのではなく、他者の価値観に耳を傾けるべきである。」という岩田先生のお言葉は、岩田先生ご自身に対しても必要なのではないかと思います。
 先生の本のファンのひとりとして、衷心からご助言申し上げます。         岡山大学・津田敏秀

> 喫煙がこれだけ健康被害を起しているのに喫煙が「禁止」されないのは、国内産業を保護するためでも税収のためでもないと僕は思う

ごもっとも。

タバコ産業はタバコの社会的価値についてこう言っています。
「年金の潜在的な節約」と。
(週刊東洋経済 2007年3月24日号)

国民を殺す、そして年金を節約する、そのためにタバコを売る。
「たばこ事業法」なんていう酔狂な法律があるのは
世界広しといえど日本だけです。

死者の数だけで、是非を判断するというのは、いかがなものでしょうか。

原発の問題点は、人類がコントロールし切れていないと言うことではないでしょうか。

東電社長の「想定外」という言葉が非難されたりしていますけど、医療の世界でも、往々にして想定外のことが起こり、患者が死亡して、医者が逮捕されたり、訴えられたりとすることは、ままあることです。

また、原発の危険性を原発関係者や電力関係者が素直に認めず、安全性を強調していたのも問題だと思います。

同様に、医療行為によって、人が助かることもあるが、逆に死ぬこともあると言うことを人々が受け入れてくれないところに問題があると共に、医療の安全性を強調する医師の側にも問題があるように思います。

医者が素直にワクチンを危険だと認めることができないように、東電が原発は危険だと認めてこなかったことに、大きな問題があるのではないでしょうか。

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