元のはこっちにあります。まあ、受験の時の内申書みたいなものでオーバーステートメントになっていると思いますが、どうぞごらんくださいませ。
http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/603671.html
「現場の人」の共通点
こんなことを言うと怒り出す人が多いと思うけれど、この数年(いや、もっとかな)、知り合って知的な興奮を覚えた相手は全員「理系の人」である。文系の学者としゃべって、わくわくするという経験は絶えて久しくない。 岩田健太郎さんはそのような「理系の人」の一人である。彼は人の話を聴くとき、まず「うなずく」。これは「現場の人」の共通点である。うなずいて、それから考え始める。現場では前代未聞の事態が次々起こるからである。マニュアルに従って、メカニカルに処理する人間は危機に適切に対応できない。だから、「現場の人」はなにごとにつけ予断を持たない訓練を受けている。 僕が何か岩田さんによく理解できないこと(単に非論理的なだけでそうである可能性も多々あるが)を口走っても、岩田さんはまずうなずいて静かに「そうですね」と言う。それから僕の発言について吟味を始める。内容の正否にかかわらず。すでに僕の発した言葉は否定しがたい現実として彼の前に投げ出されている。これを何とかしなくてはならない。医者が「そんな病気が存在するはずがない」という理由で診療を拒否することができないのと同じである。僕はこのような構えを取れる人をほんとうのリアリストだと思っている。 本書では「感染症屋」であるところの岩田先生が(こういう「ナントカ屋」という名乗りは「現場の人」の徴である)日本の医療の直面している諸問題を静かに「そうですね」と受け容れながら、懇切に吟味している。「あるべき医療」についての理想像があらかじめ用意されていて、それに基づいて個々の事例の適否を判定しているわけではない。現場はつねに「待ったなし」である。「最高の医療をするから待ってなさい」と言っている間に患者が死ぬこともある。だから、手元にある資源でやりくりするしかない。焼酎で消毒し、ホッチキスで傷口を縫合し、薪ざっぽうとガムテープで副え木を作るような臨機応変が現場の医療の骨法である。治療者も病院や医学教育のシステムも、患者のマインドも、メディアの医療報道も「ありもの」を使い回し、そこから最高のパフォーマンスを引き出すしかない。どれほど医療環境が劣悪でも、「これじゃ治療はできない」とプロは言わない。岩田さんは大学病院という、彼に与えられた現場についてこう書いている。 「僕ってなんて幸せなんでしょう。/このような逆風の中で診療をしなければならない感染症屋は世界にそんなにたくさんはいません。」(198頁) 最高のパフォーマンスをするためにはいつだって「機嫌のいい人間」でなければならない。それが「現場の人」の骨法である。僕が理系の、先端的な仕事をしている人が好きなのは、彼らが劣悪な条件下でも、決然と上機嫌だからである。 (うちだ・たつる 神戸女学院大学教授)
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先生 こんにちは。
「学び」についての記事や「電車通勤中での勉強」など、
本当に、参考になり、考えさせられる内容がたくさんあって、
なかなか、そうしたダイヤモンド原石をすべて拾えきれて
いない自分のスピードに、自身 苛立ちを覚えることが
ありますが、なんとか前向きに努力しております。
☆最高のパフォーマンスをするためにはいつだって「機嫌のいい人間」でなければならない。☆
そのとおりだなと、私自身は考えておりますが、
ときどき、本当はしんどくて、ソファーのうえでリラックマのように、べったりと横になりたいと思っていても、背筋をただして、笑顔で会話していたりすると「先生、楽そうだねー」と
嫌味を言われることもあります。
それでも、自分のなかで、最高ものを提供できるように、
感情の起伏はできるかぎり少なく、仕事をこなしていけるように
努力をつづけたいと思います。
投稿情報: あこ | 2011/02/18 08:40