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2010/12/10

コメント

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今回の朝日新聞報道についての先生の行動について興味深く読ませていただいています。

新聞社、テレビによる報道に対してフィードバックをかける方法を模索する姿勢は大変勉強になります。
ただ、残念ながら現在のところそのアプローチは奏功していないようです。

だからと言って先生方のアプローチが誤っているとは私は考えません。

朝日新聞側としては
「事実を積み上げて語っているのだから自分たちは誤っていない。ねつ造というのは名誉棄損ではないか」という姿勢であり、

医療者側は
「直接の責任者でない人間の名前を執拗に新聞に掲載するのは記事として妥当とは考えられない。また医学的には妥当と考えにくい不特定の関係者の証言を載せて、特定の団体を攻撃してもよいのか」というねじれたやりとりになっています。

新聞社側の見解はミクロの視点からは誤っていると立証できないわけですが、それが社会・個人に対してどのような影響を与えるかという点について無頓着です。

論点の一致から図るべきなのでしょうが、同じテーブルに座らない限り、解決は難しいように思います。
双方の対話で解決できる問題でしょうが、対話という文化を問題解決の手段として利用できるかどうか、現時点で私は悲観的です。

長年にわたり報道側に刷り込まれてきた「報道の自由」、「説明責任」、「取材源の秘匿」などの金科玉条のような言葉がありますが、それらの言葉について情報の消費者は慎重になるべきではないでしょうか。

「説明責任」については誤用が氾濫し、「取材源の秘匿」は法律上認められたものと言えないため田原総一朗氏の一件が裁判で論点となっています。医師の守秘義務は法律上の問題であり、同列に論じるのは違和感があります。
医療従事者さんの視点ももっともだとは思いますが、「それを言っちゃあ、おしまいよ」とか「それを言い出したら捏造しほうだいだよね」とも思ったので追記させてもらいます。

私の記憶違いでなければ、この件は、Captivation Networkの記者会見(動画で公開されています)の後の、質問の時間に決着がついていたはずです。

Captivation Networkが調査を行ったが、取材を受けたと申し出た人はいなかったというはなし以上でも以下でもないこと、取材を受けていても申し出ない可能性が原理的にはありうることを、Captivation Networkの方が、別の新聞社の記者さんとの間でなごやかにはなされていたと思います。

普通に考えて、このような調査をもとに記事を「捏造」というのは、到底無理です。(調査を行うこと事態は、それはそれでアリかな、と思いますが。)

新聞社なのですから、「捏造」と批判されれば当然反論するはずです。また、当然ですが、読者として、これはこの件に限らず一般論としてですけれども、そうしてもらわないと困ります。ちなみに、「捏造」という主張を行った場合、その証明責任は当然ですが、「捏造」という主張を行った側にあります。

「捏造」などということばを使わずとも、議論は可能なはずです。

ジャーナリストの情報源の秘匿についてはどう考えているのですか?

このように捏造の疑惑を吹っかけられるごとに情報源を公開していたら、誰も情報源にはなってくれなくなるでしょう。

医療従事者における、患者情報の保護(守秘義務)と同じくらい守られるべきものじゃありませんか?

捏造の疑惑があると吹っかけておいて、情報源を公開させるやり方はジャーナリスト相手には有効ではないでしょうし、公開しなかったからといって捏造の疑惑の可能性が高くなるものではないでしょう。

少なくとも現時点で、捏造の確固たる証拠を内部調査でしか示せていない以上、現状では捏造の点において取り下げる方がいいのではないでしょうか?
訴えられるリスクを冒してまで、本筋ではないそこに固執する理由がありますか?

売り言葉に買い言葉で「捏造」と言ったのならば、信頼関係構築のためにまずそこから手を引いて大人な対応を見せる事の方がより有効な手だてでは無いでしょうか?

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