内田樹先生の「もういちど村上春樹にご用心」が届いたので読んでいる。新しい原稿と前作の混成というちょっと変わった本の構成だが、こちらとしては全然気にならない。
なにしろ、僕は恐ろしく忘れっぽいからである。前に読んだはずの文章も全然思い出せない。そもそも、この本の下敷きである村上春樹の文章すら「読んだはずなのに」思い出せないことも多い。内田さんの文章はブログの再構成なことも多いが、この忘れっぽい性格のせいで同じ文章を何度でもフレッシュな気持ちで味わえる。実生活ではいろいろと困ることの多い「忘れっぽい」という僕の属性も、こういうときは(たぶんこういうときだけ)役に立つ。
ここのところ、必要あって「レジデント・ノート」「月刊レジデント」と続けざまに原稿を書いた。このような研修医向けの月刊誌にはもうさんざん書いたのでもういいでしょ、と最近は遠慮していたのだが、久しぶりに書いてみたら面白かった。前者にはQFT活用のための条件、後者では感染症診療における病歴聴取と身体診察の話を書いたが、たぶん研修医が読んだらとても勉強になるはずだ。というより、QFTの項は指導医こそ読んで欲しい。検査を「使える、使えない」という二項対立的に切る不毛な議論を脱するヒントになる(と思う)。
このような研修医向けの雑誌を快く思わない人たちがいることも認識している。文体が「軽い」し、なんとなくいけ好かない、という感じだ。
でも、文体なんて関係ないと思う。以下、「もういちど」からの内田さんが引用した村上春樹の言葉である。
僕は本当にできるだけ、小説というものの敷居を下げて書きたい。それでいて質は落としたくない。僕が最初からやりたかったことってそれなんですよね。
とにかく、エスタブリッシュメントみたいな小説は書きたくないし、かといって、アヴァンギャルド的な反小説的な小説というのも書きたくない。(中略)そういうものを、非知性的だ、大衆的だとばかにすることは、わりに簡単にできちゃうんですよ。(中略)
いい小説が売れない、それは読者の質が落ちたからだっていうけれど、人間の知性の質っていうのはそんなに簡単に落ちないですよ。ただ時代時代によって方向が分散するだけなんです。この時代の人はみんなばかだったけれど、この時代の人はみんな賢かったとか、そんなことはあるわけがないんだもん。知性の質の総量っていうのは同じなんですよ。(中略)よくね、日本でも「村上が日本文学をだめにした」とか言われるんだけど。だってね、僕ごときにだめにされるような文学なんて、最初からだめだったんじゃないか、というふうに正直に言って思いますね。開き直って。
内田さんは村上春樹の言及に全面的に賛成だし、ぼくもそうだ。「レジデント・ノート」の文体は軽いが、質の高い内容は多い(そうでないこともあるが、それはどの媒介でも同じだ)。例えば、林寛之先生のあの軽妙なコラムくらい質の高い医学的読み物を何人の救急専門医が書けるかというと、そんなに多くはないはずだ。それに、多くの臨床医はNEJMはおろか、レジデント・ノート「すら」読んでいない。
NEJMやランセットを読まなくて良い、という意味ではない。コンテンツには多様性があった方がよいと言っているだけだ。「あれか、これか」、ではなく、「あれもこれも」というのが楽しい生き方なのである。
マンガの感染症本なんて、、、と毒づく人もいるけど、感染症について何も読まない人のままでいるより、「何かを読んでいる」人の方がよいに決まっている。あれもコンテンツの量は厳選して、本当に大事なことだけに絞っているけれど(だから、感染症屋が好きそうなリケッチアとか輸入感染症とか、HIVの耐性メカニズムなどについては一言も言及していない)、質については全然安売りしていない(つもり)。何も読まずに熱とCRPをみて抗生剤を出している医師よりは、「熱とCRPだけみて抗生剤出しちゃダメよ」というマンガを読んでいる医師である方が、ずっとよい。
アジアの医学教育はどんどん英語化している。韓国なんて、国内の学会ですら英語でやっているそうだ(辺境ラジオで内田さんがそう言っていた)。僕は英語が上達するのは大切だと思うが、そこまでヒステリックにやるのも何だかなあ、と思う。どうせどんなに英語で医学を勉強してもエピゴーネンが、本家のアメリカやイギリス以上のアウトプットが出せるわけではない。シンガポールやタイが医学の主流になる可能性は低い(アメリカが没落して相対的に上がる可能性はあるが、、、)。ましてや、日本が今からシンガポールや韓国を追っかけて彼ら以上のパフォーマンスを示す可能性はほとんどない。英語か、日本語か、という問いの立て方をまずやめること、、、ここから日本の歩み方が見つかるはずだ。そうすれば、日本は世界で一番豊かなコンテンツをもつ医学教育環境を手にすることができる。マジでそう思っている。ときどき、教授会だけは英語でやったら無意味な発言が減って良いんじゃないかと思うことは、あるが。
こんにちは。
「英←→日プロが教える基礎からの翻訳スキル」がとどいたので、「iPhone英語勉強法」と共に読んでいます。前者を先生が一押しされていた理由が、最初の10ページくらいでわかりました。目下熟読中です。
【このような研修医向けの雑誌を快く思わない人たちがいることも認識している。文体が「軽い」し、なんとなくいけ好かない、という感じだ。】
自分へのネガティブな感情を一端は受け止める。でも、それに屈するというのではなく、更に自分の信念のようなものを示して、議論をより多角的に展開させていく。という方法を、先日ハーバード白熱教室で拝見しました。先生はすでにそうしたものを身につけていらっしゃるんだろうなと感じました。
そういう精神的なタフさ、見習いたいと思います。
ソウル大学の医学生は朝早くから夜遅くまで、勉強しているとうかがったことがあります。日本では、そういった勤勉さが失われつつあるのでしょうか。
最近、とある学会の専門医試験では、英語の試験?と思うような問題がでたりします。日本の医療が、アジアのなかでこれ以上の遅れをとらないようにという偉い先生方の危機感の表れなのでしょうか。と、先生のブログを拝見して感じました。
私も、アホなりに、前向きな努力は継続していきたいと思っています。
投稿情報: あこ | 2010/11/27 21:51