森鴎外はもちろん明治の文豪として大変有名である。最近、谷口ジローの漫画で久しぶりにその名前をみる機会があった。
医学の世界では、森鴎外と言えば高木兼寛との「脚気の論争」で有名である。陸軍医師であった森鴎外は脚気を感染症が原因だと「理論的に」推論し、海軍医師の高木は栄養説をとった。しかし、実際に麦飯を食わせた海軍兵士からは脚気が激減したのに対し、森鴎外の説をとった陸軍は日清戦争で4000人、日露戦争で28000人の脚気による死者をだしてしまった。
今では脚気はビタミンB1欠損による疾患であることが証明されているが、当時ビタミンが発見されていなかった日本では「理論的に」脚気がビタミン不足で起きる理屈が説明できなかった。高木も森との「論争」では勝てなかったという。しかし、実際にやってみて、脚気は減ったのだ。理屈は後からついてくる。
松村先生たちの近著にもこのエピソードは詳しい。
地域医療は再生する―病院総合医の可能性とその教育・研修
医学の世界では演繹法はあまりそぐわない思考方法である。帰納法、つまり現象を観察してからあとで理論がついてくる方が実際的だ。疫学研究もRCTも症例報告も、つまるところ帰納法を用いたものの考え方である(もっとも、症例報告には後付のこじつけみたいな演繹法的な発表も多いが)。
ところで、この「理論が事実よりも優位に立つ」現象は平成の今でもみることができる。例えばインフルエンザワクチンだ。
あちらこちらで、「注射によるインフルエンザワクチンは鼻腔粘膜におけるIgAを十分に作らないから効果がない」と指摘される。理屈の上では、そうかもしれない。
しかし、注射のインフルエンザワクチンはプラセボに比べてインフルエンザの発症を減らすことが出来る。このことはたくさんのスタディーが証明している。さらに、その鼻腔粘膜を刺激する経鼻生ワクチンよりもよく効くのだ。実際やってみないと分からないものだ。
N Engl J Med 2009; 361:1260-1267
僕らは明治時代からちゃんと進歩しているのだろうか?これは一考を要する命題だ。
もっとすごい「理論」になると、ホメオパシーというのがある。たとえば、
それでもあなたは新型インフルエンザワクチンを打ちますか?―常識を覆すインフルエンザ論-インフルエンザはありがたい! (由井寅子のホメオパシー的生き方シリーズ 5)
によると、
かぜというのはある種の浄化であるということです。私たちはかぜをひくことで、体毒を外に出していけるのですよ。だからそのかぜの症状を誘発してくれるインフルエンザ(流行性感冒)はありがたいということです。みなさんも、新型インフルエンザにかかって十分体毒を外に出しましょう。やっぱり流行には乗り遅れないようにしないと、なんたって新型ですからね。(14ページ)
なんて書いてある。
僕自身は、ホメオパシーの理論やプラクティス「そのもの」を否定も肯定もしない。信じるものは各人の自由だからだ。僕のやっていることや考えを妨害されない限り。
ワクチンについてのホメオパシーの見解は僕のインタレストに障害を与える。ここにはきちんと反論しておくべきだ。とんでもな話を黙殺するのは、リスクコミュニケーション上のタブーである。くだらない見解ほど、丁寧に真摯にまじめに反論しなければならない。
インフルエンザワクチンは予防効果がありません。だからインフルエンザの予防接種をすればするほど、そのぶん免疫が低下するので、よりいっそうインフルエンザにかかりやすくなるというわけです。中略 私も多くのクライアントさんから、インフルエンザの予防接種をしたらインフルエンザにかかったと聞きましあた。中略 だから、一度きちんと統計をとってみたらいいと思うのですよ。インフルエンザの予防接種をした人の方が、インフルエンザやかぜにかかる確率がかなり高くなるはずです。インフルエンザの予防接種をした人の方が、インフルエンザやかぜにかかる確率がかなり高くなるはずです。(65ページ)
予防効果がない、と主張しておきながら、実際には存在する「統計」を見てもいない。
さらに、さらに、筆者は予防接種を受けると人間が「動物化」すると主張する。それはジェンナーが牛から得た牛痘を使って予防接種した故事を援用し、
もともとウシの病的生命の一部を埋め込まされたわけですから、人がウシ化するのも当然ではないかと思うのです。(92ページ)
たしかに、昔の風刺画ではジェンナーが牛痘を接種すると牛になってしまう、というのがあった。
さらに、
予防接種の重度の被害者の映像を見ていたとき、私には彼らがウシに見えたり、サルに見えたり、ニワトリに見えたのです。本当に。(93ページ)
予防接種の被害者の方々も、ずいぶんなめられたものである。
最近のコメント