借り暮らしのアリエッティに関するメモ
以下、ネタバレなので観てない人は読まぬ方が良いです。
「借り暮らしのアリエッティ」は、結論から言うと素晴らしい作品と思う。このようなスタティックで動かない映画を上手に見せるのは本当にすごい。映画は結局、面白ければいいんだよ。
僕は宮崎アニメは「紅の豚」までが好きで、「もののけ姫」以降がどうしても好きになれない。ポニョにいたってはみてもいない。テレビ放映されていた時、たまたま出張先のホテルでテレビつけてたが、全然観る気になれなかった。ポニョがダメな映画だと言っているのではない(みてもないし)。単に好き嫌いの問題で、ああいう政治的な正しさを全面に出した映画が苦手なのだ。
でも、アリエッティはよい。久々に大仰なテーマを前面に出さず、小さなストーリー、個人的なストーリーを語るやり方は素晴らしい。絶滅種とか、ヒトとそれ以外の共生という大きなテーマも少し入るが、やはり人間と小人は一緒に住めない、という結論に納得してしまうのも良い感じである。近年の宮崎アニメにありがちな「政治的な正しさ」も希薄で、しょうがアリエッティに「お前は絶滅する運命にある」なんて言っちゃうところはすごい。キャラの複雑さが素晴らしい。最大の悪人も、所詮、家政婦というのも面白い。悪って言うほどの悪でもないし。
宮崎アニメの父親は弱くて、おっちょこちょいで、親しみの持てる柔らかい人が多いが(魔女、トトロなど)、それは80年代のいけていない理不尽なお父さんに対するアンチテーゼだったかもしれない。逆に理解はあるけど頼りないパパが増えた現在、アリエッティの父親はスーパーな娘がすごいと思う父親である。ナウシカにおけるユパみたいな存在だ。こういう父親が出てくるのも時代だろう。母親はポパイのオリーブみたいな逆に頼りない存在で、これも近年の宮崎アニメにあるしっかりした母親とは違うタイプ。でも、父も娘も彼女をなじったりせず、よい母親とみなしている。このへんも面白い。
全体的に話がスタティックである。一家を危険にさらし、引っ越しまで強いる行為を取ったアリエッティに父も母も別にどなったりしないし、鍵をかけてとじこめた家政婦をしょうもなじったりしない。この映画では「間違ったことをやる悪人が正しい善人に懲らしめられる物語」という、ハリウッド映画の定番的構造を取っていない。
たぶんわざとだろうが、設定の省略も巧みでヘミングウェイの小説のような意図的な割愛も感じる。アリエッティたちが日本語を解するのも不思議だし、ひらがなを読めるのも分からない。「心臓」とか「手術」というボキャブラリーや社会通念を持っているのも一切説明はない。でも、それはしなくてよいのだ。「借り」はもちろん、「狩り」に対峙する用語である。
主人公アリエッティは美人である。最近の宮崎アニメは美人否定の流れになっていたが、久しぶりに、ナウシカ路線の強くて美しくて優しいヒロインの復活だ。物語の基本を政治的に揺さぶらなかったのは良いと思います。
あとは、古典的な宮崎アニメのオマージュが満載で、ファンにはサービス満点でした。どのくらいあるのかよく分からなかったが、とりあえず
ジムシー(!)が「うまいぞ!」と足を出すとか、
猫バスっぽいでかい猫、口を開けるとトトロっぽい。
ルパンの様に壁を這い上がり
ナウシカがオウムの目をとる刀のシーンとかぶるまち針
パンダコパンだの洗濯物干し
メイとさつきっぽい古い写真
オウムのようなダンゴムシ
ムササビジムシーとハンググライダー不二子(このへんになるとこじつけかも)
ハイジのパンとチーズ
ラピュタのパズーのようなパンの上のおかずの食べ方。
あと、宮崎アニメはヨーロッパ好きだが、古い日本も捨てがたい、、、という揺れ動きがあった。今回見事に日本の中にヨーロッパっぽい小人の世界を作り、両者を併存させてしまった。ここも戦略的だ。
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