あさ、FMラジオのアンテナをチューニングする。ひさしぶりに(学生以来?)朝からNHKFMを聴く。ちょっとアンテナを動かすだけでできなかったFM聴取ができるようになる。こんなものだ。
僕はNHKラジオが大好きだ。特にFMと第二放送がよい。こういうのを聴くとNHKに投資するのも悪くないな、と思う。代わりに、テレビをほとんど見ない。新聞も読まない。朝、身支度をするときになんとなくテレビをつけていたが、これもばかばかしくなって止めてしまった。
昨日は朝からO病院でタイムマネジメントの講義。外来の後は1年生に医学序説の講義。どちらもパワポは使わない。できるだけ本質的な話を、対話を試みる。レトリックではなく、ディアレクティクを志向する。
パワポを使わないとせかさず、よりよい講義が出来たと感じる(ちと、自画自賛)。今日も医師会で講演なので、準備する。去年のスライドを見直しに見直し、スライド数は28まで減らした。これで1時間。いかに意味のないスライド紙芝居をやっていたかと、汗顔しながら反省する。これでは本当の対話なんて無理で、自説をひたすら主張することしかできない。自説を主張するだけでは、おそらくはうまく伝わらない。人の話を聞かない人に、耳を傾けたくはないものだから。こんな簡単なことに気がつくのに何年もかかった。
気づく。フィッツジェラルドの「This side of paradise」を読む。いろいろなことに、気づく。GWはこればかり読んでいた。本当はSapiraの翻訳をやらねばならないのだが、回り道してしまった。でもよかった。ワンランク上の英語にどっぷりつかったので、Sapiraも容易に読める(かのような勘違いをする)。
本ブログはもちろん、このタイトルのパロディである。パロディにしていながら、今まで読んでいなかった。だって邦訳ないんだもの。時間に余裕がないとこんな大作はじっくり読めない。このゴールデンウィークはほとんど仕事ゼロで、こいつをじっくり読んだ。実におもしろかった。英語は難しかった。単語もよく分からないことが多い。電車の中で、iphoneとi英辞郎が使えるようになったのが大きい。これで大きい辞書なしで移動しながら英語を読めるようになった。単語力が足りない。epigram, Philistine, sulkily, prerogative, dossier, gloat, effulgent, trite, pete, calisthenic, misogynist, astute, braid, auburnと分からない単語を片っ端からひく。1ページにいくつもの知らない単語が出てくる。でも、苦労の価値はあった。プリンストン大学の衒学的な環境でエゴ丸出しで生きてきた鼻っ柱の強い若者が、ついには全てを失っていく悲しい悲しい物語だ。ジャン・クリストフのようなビルドングスロマンと、言えなくもないし、「罪と罰」を想起しないでもない。若気の至りを老境の立場から俯瞰した物語とも言える。これを若干20代前半のフィッツジェラルドが書いてしまった奇跡をすごいことだと、思う。
昨日はクリプトコッカス髄膜炎のケース。ひさしぶり。墨汁染色でうまく見つけることが出来た。僕は昔、クリプトを染色でうまく見ることが出来ずしくじったことがあるので、ぐっと熱い思いがこみ上げる。須藤先生のせいで(おかげで?)衝動買いしたRicohのCX3で接写を試みるがあまりうまくいかない。カメラが良くても腕が悪い。やや遅刻して、そのままGIMカンファに突入。興奮と寝不足のままで参入したので、我ながらいけていないコメントが多かった。大いに反省。
今日は講演は午後からなので、それまでに掃除やアイロンがけや洗い物や、たまった仕事を片付ける。Sapiraを訳す。苦痛だが快楽。そんな仕事だ。読むのは快楽。日本語に直すのは苦痛。でもよい訳語を見つけるのは快楽。快楽と苦痛はほぼ同義だ。
イタリアとオーストリアのワインについてちょっと勉強する。スペイン語をちょっと勉強する。フランス語もちょっと勉強する。ラジオ第二のフランス語講座ではテグジュペリの「星の王子様」を扱っている。星の王子様は美しいバラの花を愛して慈しむが、バラにつらく扱われて旅に出てしまう(そして地球に来る)。とても寂しい気持ちになる。フィッツジェラルドを読んだあとだと、なおさら寂しい。寂しいときは勉強も仕事もはかどる。ほんと、何が幸いし、何が災いするかはよくわかんない。
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