おととい土曜日は、昼から豊岡の医師会でお話。JRで神戸から姫路経由で。兵庫県はとても広いですね。新型インフルエンザの話で、たくさんの質問を受けました。ウイルスの質問も受けましたが、あいにくこちらはウイルス学は完全に素人なので、それは神戸大の専門の先生に聞いてください、という感じでした。その後車で鳥取駅に。日本海側の田舎道を久しぶりに懐かしく重いながら、景色を眺めていました。稲刈りの時期です。1時間30分かけてJR鳥取駅に。長いので退屈して、圓生の「子別れ」三部作を聴いていました。感慨深く聴いていました。その後「まつかぜ」で米子、「やくも」に乗り換えて久しぶりの実家。一晩泊まって、昨日は鈍行で宍道から松江。会議の後で、「やくも」、「のぞみ」、、、、てっちゃんが聞いたらさぞうらやましいでしょうが、こっちは大変だ、、、
その会議は「山陰と阪神を結ぶ医療人養成プログラム」における4大学合同FDでした。島根大学、鳥取大学、神戸大学、兵庫医大の後期研修連携で、これをつかって、うちでも島根大と鳥取大から研修に来てくれました。
文科省高等教育局医学教育課大学病院支援室(こんなところがあるなんて初めて知った)の小林万里子室長の基調講演。正直、当初は何も期待していなかったのですが、とてもよい話でした。採択のプロセスもそうなのですが、「自分の言葉」がしっかりしていて、プログラムの文章も長すぎる、分かりづらすぎる、という部分もきちんと指摘し、反省もされていました。反省する官僚は希有な存在です。最近は霞ヶ関でも世代交代が進んでおり、こういう「実のある」議論ができる人もでてきているのだなあ、と見ていて思いました。
もう少し上の世代の人たちは文章の「てにをは」に執拗にこだわる人が多いです。俺たちは文章書きのプロ、と自負している人が実に多いし、「地方の役人は文章書くのがへたでしようがない」とくさす人もいます。にもかかわらず、その実、その中央官僚が書く文章の99%は、中身は空疎で読点がやたら多くて主語がない悪文なのです。どうしようもなく、へたくそな文章なのです。ヘミングウェイでも読んで勉強して欲しい。
パネルディスカッションはパネルディスカッションの名前を借りた単なるショートプレゼンの羅列でしたが(日本はたいていそう)、鳥取大学のプレゼンは魅力的でした。教育の理念や理想、ヴィジョンがしっかりと描かれており、大学病院の発表では希有なことだと思いました。大学に人がいないから、もっと人を集めて循環型の医療復活、なんてヴィジョンもヘッタクレもない哀しいさびしい見解が多い中で、すばらしいと思います。そこで理想型として出されていたのがエコール・ド・パリとトキワ荘、というのもかっこよかったです。そうそう、教育やる人は、もっと、かっこつけなきゃ。
エコール・ド・パリとトキワ荘こそは、教育におけるひとつの理想の形だと僕も思います。
僕の理想の教室(ロールモデル)は島根大学の第一解剖学教室(今は名前が違うかも)です。あの自由闊達たる雰囲気、個が共を、共が個を生んでいくダイナミズム、一人一人が「自分の頭で考える」空気、こういう環境ができていくとすばらしい。エコール・ド・パリやトキワ荘、それに梁山泊みたいな場所になれたらよいな、といつも思っています。
帰りの電車では、実家からがめてきた宮崎駿の「雑草ノート」を読んでいました。1992年に発行された本でたぶん、学生だった僕自身が買ったもの。とても、とても面白い。宮崎駿の絶頂期がこの頃です。PKOに反対しながら、共産主義・社会主義に共鳴しながら(ホルスを見れば一目瞭然)、それでも戦車や戦闘機が大好き、うしししし、という矛盾に満ちた、躍動感あふれる宮崎駿。自然、緑の美しさを誰よりも美しく描写するのに、その環境に悪い車やたばこが大好きな宮崎駿。politically incorrectな宮崎駿。本当に美しく、面白かった宮崎ワールド。
この後、「もののけ姫」以降、宮崎駿は「正しいこと」しか言わない面白くもおかしくもない「巨匠」へと没落していくのでした。正しいことしか言わない、とは、何も言っていないのと同じなのでした。
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