先週あったIDATENのインストラクターコースでもちょっとそういう話をしたのですが、私にとって初期研修と後期研修は全く別の存在です。前者はteacher-studentの関係性における学習であり、楽しく充実したコースを目指します。後者はmaster-disciple、師弟関係になりまして、その目標は自らの分身か、できればそれ以上を目指します。その教育はセグメンタルというより全人的、総合的、精神的になり、研修は険しい登山のように厳しいものになります。一領域におけるプロを養成するのですから、英会話学校のようなノリではとうていもちません。
と、研修医の方も大変ですが、それと同様、あるいはそれ以上に大変なのは教える側です。魂を削るようなこの作業は膨大なエネルギーと情熱を要求します。だから、指導医はプログラムに二人以上いるのが望ましいです。一人だとこの重圧と苦痛にとても耐えられない可能性が高いからです。本当は手抜きをして、楽をしたいという誘惑もあります。しかし、ここで楽をして駅前の楽しい英会話学校にしてしまい、未熟なままそのまま現場に送って仕事をさせたら、悲劇を背負うのは卒業した研修医なのです。「あいつは使えない」「あいつには相談できない」なんて影でこそこそ言われる存在にだけは、なってほしくないわけです。大人になったら面と向かって評価してくれる人なんて、師以外にはほとんどゼロになってしまうのですから。そんなわけで、研修終了後の就職先からその後の仕事ぶりまで、むしろ目の届かない研修修了後の方が心配は大きいです。
ここで、いつも想起されるのは、映画「愛と青春の旅立ち」です。
逆に、卒業生が自分の予想通り、予想以上に活躍してくれれば、こんなにうれしいことはありません。冷静に考えてみると、その功績は教育プログラムのお陰と言うより、その人物が勝手に努力して勝手に頑張った自律的な成果のことが多いのですが、まあなにが要因であったにせよ、結果がでてくれば当方としては大満足なわけです。
大学病院にいると、よく「教育をやっても評価されない」とか「業績に結びつかない」「モチベーションが上がらない」という相談を受けます。そんなことはありません。教え子ががんばってくれているときの幸福感。このカタルシスを経験してしまえば、くだらない履歴書や業績記録に何が記されていようが、だれがどう読もうが、そんなことは全然気にする必要はないのです。自分のミッションが明確になっている限り、どんなに疲労や苦痛があったとしても、モチベーションだけは下がりようがないのです。
え?教え子が頑張ってくれないときは?、、、、このときは疲労・苦痛は数倍、自己嫌悪と自己反省と無力感でとても苦しみぬきますから、やっぱ指導医は孤独でないほうがいいですよね。でも、どんなに行き詰まった研修医であっても奇跡の大逆転、大成長というエピソードはよくあることなのです。「こいつ、大丈夫かな」と思っていた研修医が数年で「ちょっと相談してもいいですか」とこちらが教えを請うような存在になることがあります。そういう快感も体験してしまうと、なかなか研修医をあきらめる、ということはできないのです。
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