8月7日の日経朝刊では、「医療機器の添付文書に記載された注意書きや同省の通達が医療現場で守られていない実態を浮き彫りにした」と報道されており、厚労省は「医療機関や都道府県に改善を促す方針」なのだそうです。
しかしながら、日本の医薬品や医療機器の添付文書は、そもそも医療者(医師など)に対する法的な拘束力を持っていないはずです。あれは薬事法が規定する文書で、「医師は添付文書に従わない医薬品・医療機器の使用をすると罰金○○円」なんて文面、医師法にも医療法にもないはずです。新型インフルエンザには、倍量長期投与のタミフル(150mg bid10日など)がNEJMなどでは推奨されています。このように、off labelな医療、添付文書を外れた医療というのは(患者の同意は必要ですが)世界中で認められたやり方です。ここで添付文書の権威をなんとなしに強化してしまうと、医療現場は大変な苦痛を味わうはずです。
おまけに、日本の添付文書は不適切な記載が多く、おまけに間違いがあってもなかなか改訂されません。改訂の窓口が製造者だけ(ユーザーである患者や医療者は物言いが出来ない)とか、新薬の承認で手一杯で既存の添付文書には手が入れられない、など様々な理由はあるようですが、いずれにしても、時代遅れな添付文書の記載は現場を混乱、苦悩に押しやっています。例えば、肺炎球菌ワクチン再接種は「禁忌」だし、抗菌薬の投与量も非科学的な「最大投与量」を設定しており、「副作用をおこすくらいなら患者は死んでしまえ」というフィロソフィーの元で作られています。最近はさすがにPK/PDに則って妥当な投与量を記載した添付文書が増えてきましたが、以前書かれた添付文書はほったらかされたままです。
通知も然りで、不可思議な通知は多いです。というか、通知ってどこまで法的拘束力があるのか、誰に聞いても明解な答えが返ってきません。
このように、法的拘束力があいまいで、かつ科学的信憑性にも乏しい添付文書や通知だからこそ、微量採血器具問題のような「大多数がviolate」するような問題が起きたのではないか、少なくともその遠因になっているのではないか、と私は思います。厚労省がやるべきは「添付文書通りやらんかい」と高圧的な態度をとることではなく、「信憑性の高い、そして分かりやすい添付文書、通知を出し、みんなに信頼されるようにします」と考えることではないでしょうか。
微量採血器具問題は、単なる病院内の安全管理にかかわる問題ではありません。添付文書や通知のあり方(ちなみに、この通知は採血器具をたくさん使う保健学科などには送られていませんでした、些細な話ですが)、行政と現場のコミュニケーションのあり方、血液由来の感染症をどう防ぐのか、というグランドデザインやイニシアチブの行方(どこにあるのでしょう)、安全のプライオリティーの立て方、といった複合的な、そして構造的な問題です。一部のふらちな(ほんの50%以上の)医療機関が、けしからんことにルールを守っていませんでした、という表層的な解釈をメディアや官僚は行っているようですが、問題の構造をよく咀嚼して問題の根っこをきちんとつかむべきでしょう。
ここからは完全に蛇足ですが、表層的な解釈とknee jerk reflex的な対応はメディアや官庁だけでなく、日本全体に普遍的に存在するようです。私は、少なからぬ日本の医師がどうして尿量が少ない患者に必ずラシックスを投与するのかずっと理解できませんでした(hypovolemicでも!!!)。でも、最近、職場を変えて、ようやくその理由が分かってきたような気がします。「熱が出たから抗生剤(あるいはステロイドパルス)」、「血圧が下がったので輸液(なんで血圧低いの?)」「ヘモグロビンが下がったから輸血(なんで下がったの?)」、このような表層的な現象にダイレクトに反応する(だけ)というプラクティスをよく観察するようになったからです。これは、日本の初等教育から始まる根の深い、オムニプレゼントな問題なのではないか、、、と最近誇大妄想気味に考えるのですが、、、蛇足はここでおしまいです。現場も会議室も、もっともっとよくしていかねば、という感じでしょうか。
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