1987年に、ある大新聞にエイズに伴うカリニ肺炎にステロイドパルスを使用したらよくなった一例、というとある大学病院の経験が記事になりました。で、そのタイトルが
エイズ死の最大原因、カリニ肺炎に切り札 ステロイド大量療法
です。もちろん、現代の私たちはPCPにステロイドパルスは有害であっても無効なことはよく知っています。過去の医師が今の医師の知っていることを知らないのは当たり前で、問題はその点ではありません。問題なのは、一例報告レベルで「切り札」と喧伝した大学病院の医師と、それに乗っかったメディアにあります。
EBMという言葉がカナダで誕生したのは1990年ですから、80年代はプレEBMの時代です。しかし、EBMとて雨後の竹の子のようにある日にょっきり生まれてきたわけではなく、そこにはちゃんと伏線がありました。それは、目の前の臨床データをいかに「妥当に」吟味していくかどうか、という模索でありました。RCT、エビデンス、という用語はその方法論として提唱されたので、問題の根っこは「目の前のデータは臨床的に妥当か?」という問いを投げ続けることであったと思います。
実は、ほとんど同じ時期にフランスでエイズ患者のPCPに対してサイクロスポリンを投与してよくなった、という6例の報告がされています。これも今の目から見ると「なんちゅうやばいことを」という感じですが、問題の核心はそこではありません。この報告に対して、米国のNIHは「たった6例の報告で治療法として確立されていると信じるのはあまりに妥当ではない」と反論したのです。つまり、プレEBMの時代においても米国においては数例の症例報告を治療法として確立されるのは「妥当ではない」と理解していたのでしょう(すくなくとも、研究者レベルでは)。フランスなど欧州各国にEBMが入って行くにはタイムラグがありましたし、特に80年代はプレインターネットの時代でもありますから、もしかしたらこの時代は日本とヨーロッパは同じようなコンセプトで治療を評価していたのかもしれません。もっとも、もしかしたら当時過熱していた米国とフランスのエイズ研究ヘゲモニー争いで両者が反目しあっていただけなのかもしれませんが。いずれにしても、一例報告を持って「切り札」なんて呼べない、とプレEBM当時の彼らは考えていたのだと思います。
米国も「エビデンス」一辺倒なのではありません。それは保険会社の干渉もありますが、単なる習慣や勉強不足が原因のことも多いです。我々日本人医師が米国医療に接するのはほとんど教育病院ですが、非教育病院ではまた別の医療が展開されており、米国の病院の大多数はそういう非教育病院です。そこで、私たちの経験だけではなかなか「米国医療」は分かりづらいのですが、データを見ると、例えば気道感染症や尿路感染症でも多くの在野の医師は学会ガイドラインの推奨通りに治療薬を選択していません。その是非はあるでしょうが、それが米国の一つの現実です。また、「私がいた病院ではこうしていた」という経験も根拠に基づいたものなのか、習慣がなしたものなのかは割と区別するのが難しいです。私はある時期、ヨーロッパやオーストラリア、南アフリカの家庭医と一緒に仕事をしていた時期がありますが、「スタンダード」と信じていたやり方が意外に北米以外では受け入れられていないことを知って結構びっくりしたことがあります。日本に帰っても適応障害に陥らなかったのはこのときの経験のおかげです(もっとも、大学病院に異動したときはかなりカルチャーショックを受けましたし、今も毎日驚きの連続ですが)。
エビデンス=RCTではない、というのも大事な、しかしときどきすっぽかされる点であります。最近、Annals of Internal Medicineのpodcastで米国で初めてペニシリンを使用したときの経験がインタビューで語られていました。当時のペニシリンの現場にもたらしたインパクトは相当なものだったようで、いままで死亡宣告だった重症感染症の患者がどんどん治っていくのを目の当たりにして医師達は戦慄したと言います。1930年代、ハーバードの医学生が熱を出し、皮膚の点状出血を見て自身が心内膜炎に罹患したと悟り「私はあと数ヶ月で死ぬでしょう」と語ったと言います。当時の細菌感染症はそういう病気だったようです。今に至るまで敗血症・敗血症性ショックにおける抗菌薬の立ち位置は、エビデンスなしだが推奨度Aみたいな感じですが、それはこういう歴史的経緯をたどったからなのでしょう。PDA(palmやiphoneじゃなく)へのインドメタシン治療も歴史的コントロールとの死亡率の差があまりに大きかったためにランダム化試験はされなかった、と記憶しています。
面倒くさい言い方をすると、power計算の時の両群にあまりに違いがあり、「一目瞭然」レベルになったときはランダム化試験も不要か、あっても少数のトライアルでOKなわけです(その理由はpower計算のやり方を見ればわかります)。よく、製薬メーカーが「このトライアルは数万人規模でやった巨大なエビデンスでして」とか言ってきますが、数万人も使わないと差が分からないなら、臨床的な意義はその程度、という考え方だってあるわけです。敗血症性ショックに対するステロイドは、効く、効かない、やっぱり効く、いやいや効かないと少女の花占いみたいに揺れまくっていますが、このことが私たちに教えてくれることは、ステロイドが効くにしても効かないにしても、その臨床的な意義はちょびっと、、、ということだと思います。ここに人間の恣意性が強くプッシュされているので、論文、データ、ガイドラインから当該者の恣意性や思い、主張を完全に取り除くのはどだい不可能だということも自戒を込めて認識したいと思います。
さて、1980年代は薬の乱用と医療費削減というメーカーと厚生省の争いの時代でもありました。この時代、世界の薬剤消費のトップ国は米国でした(いまでもそうです)。2位が日本です。そして、日本の薬剤費のうち、何と20%以上を抗生物質(当時の表記のまま)が占めていました。当時の新聞記事をひもといてみると、「○○製薬の牽引役、ペコポコマイシン」「○○マリン、大ヒット」というバブリーな記事が載っており、製薬メーカーはどんどん抗生物質を大量販売し、株価もうはうはに上がっていた、という時代です。プロパーさんが病院中にはびこり、医者はその提供する情報と先導に載っかってバブルな時代を回していたのでした。
これに対して厚生省が取った対策は今から考えると稚拙としか言いようのないものでした。すなわち、普及して売れている抗生物質の薬価を無理矢理に下げたのです。そして、申請されていた量の大きな抗生物質も使いすぎになるといけない、という理由で承認を拒む姿勢を見せています。このことが、現在の日本の抗菌薬量の不適切な運用の遠因の一つになっていると思います。また、無理矢理価格を下げられたメーカーはどうしたかというと、薄利多売戦略に転じるようになり、益々抗生物質はむりやりな適応でもって無理矢理使われるようになります。抗菌薬の適正使用という点にメスを入れずに値段だけ操作すれば何とかなると考えた役人の浅はかさのうんだ失敗です。そして、それにまんまとのっかった学術界や医者、薬剤師の失敗でもあったでしょう。また、このことは臨床的には価値があるんだけど単に「古い」という理由だけで薬価が下げられ、場合によっては販売停止になり、ちょっと側鎖を代えただけのme too drugsの跳躍の原因となり、広域抗菌薬使いまくりの温床になりました。まあ、もっとも米国も(若干経緯は異なりますが)似たような歴史を歩んで、似たような泥沼にはまってはいますが、、、、、、
1981年10月29日の日経夕刊には、当時の日本病院薬剤師会常務理事の寄稿でこんなことが書かれています。
(quote)
「ちょっとカゼをひいたようなんですけど……」。お医者さんにかかると、帰りがけにプラスチック包装のカプセルやポリエチレンの袋に入った薬を看護婦さんが紙袋に入れて手渡してくれる。「お大事に——」。私たちがよく手にする袋の中身は、たいていが抗生物質、解熱剤など。さらにせき止め薬などの場合もある。
開業医や病院で最もたくさん使っているのが「抗生物質」だ。日本では年間約八千億円分をつくっている。抗生物質は、細菌感染症の治療薬。カゼというのはそもそも細菌より下等な生物であるウイルスが原因でかかるのだが、カゼがちょっとでもこじれた状態になると、それを引き金に気管支炎や肺炎など細菌感染症を併発する。抗生物質はこうした症状を抑える働きがある。
ところで人間の体内にはもともと良い細菌と悪い細菌がバランスよく共存していることが明らかになっている。しかしなんらかのきっかけで体が弱ると、このバランスが崩れて人体に害になる細菌が異常に増えてしまう。こうした“悪い細菌”の増殖を抑えるのも抗生物質の重要な役割。そこでたとえば手術後の患者などにも抗生物質をたくさん用いる。(unquote)
私は、この1980年代から90年代あたままでのバブルの時代が、日本と北米を大きく分けてしまった分水嶺ではなかったか、と仮説を持っています。現在の日本の医療現場(少なくとも今私がいるところ)では、80年代の亡霊がまだ闊歩しているように思えてなりません。
最後までお読みいただいた方、ご苦労様でした。
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