神戸大感染症内科の回診に参加された方はご存知だと思うが、患者のアセスメントがしっかりなされることが強く要求されている。アセスメントとは「患者に何が起きているか」という命題についての話者(学生や研修医)の判断だ。
判断は、事実を根拠として行われる。判断の前提は事実の十分な吟味である。
事実ー>吟味・判断ー>アクション
となるべきなのだ。
ところが、このアセスメントが日本の医学生や研修医は非常に弱い。実を言うとシニアなドクターでも苦手な人は多い。なぜかというと、多くの人達は、
事実ー>アクション
に先走ってしまうためだ。医者が概ねせっかちだ、というのもあるが、判断(事実吟味)よりもアクションの方に興味関心が高い、という理由も大きい。
CT撮ろうと思います、なんとかマイシン出すことにします
というアクションのステートメントに飛びつこうとするので、ぼくに「ちょっと待て、それで患者に何が起きているのか」とつっこまれるのだ。
東京都で超過死亡が起きているのではないか、という懸念が生じた。ここは事実関係の確認が必要なわけだが、多くは自分のポリティカルステートメントたる「日本はちゃんとやってる」「日本はだめだ」のどちらかに肩入れしようとして、この超過死亡説を侃々諤々議論した。が、議論以前に「そもそも超過死亡は発生しているのか」という事実確認が大事なのだ。
Jリーグのドーピング冤罪問題を論じた本を読んだ。このときも本来なら「事実関係の確認」を徹底し、その事実から導かれる判断が、判定(ジャッジ)の根拠となるべきだった。が、ドーピングの根拠となる文面の事実確認、注射の内容や目的など、事実関係がおろそかなままに自分の主観(願望)から結論ありき、そして「皆が納得する生贄探し」モードになったために、事実はそっちのけにして非力な選手を犠牲にするという誤判断に至ってしまった。
そこで気になるのは感染症研究所だ。超過死亡問題が論じられたときに慌てて(おそらく)、感染研はウェブサイト上にQ&Aを載せている。引用する。
https://www.niid.go.jp/niid/ja/from-idsc/9627-jinsoku-qa.html
Q. 2019-2020年シーズンは東京で超過死亡が発生しているように見えます。
A. このシステムでは、東京では過去3シーズンにわたって超過死亡を認めています。2019-2020年シーズンも東京で超過死亡が観察されていますが、「実際の死亡数」は過去3シーズン並みか、やや低い傾向にあります(図)。
これ、丁寧に読むと質問に答えていないことに気づくだろう。質問は「東京で超過死亡が発生してるか」である。答えは「過去3年より低い傾向にあった」である。もちろん、「いやいやいや、ちゃんと「超過死亡が観察されている」と答えてますよ」と言い抜けるであろうことは承知している。官僚の常套手段で「嘘はつかない(印象操作はしていても)」なのだ。「(クルーズ船の)本部を船外に出してください」と僕に願った数日後に「(船内の感染対策は)きちんとできていた、完璧ではないにせよ」としれっと言えてしまうのである。このコトバの秀逸なところは、「きちんと」の定義が明示されていないオールマイティな言説になっていることだ。何が起きていても「嘘はついていない」。なんとでも言えてしまうというカンゼンなる言抜け。僕のような不器用な人間にはとてもできない芸術的なまでのテクニックである。
感染研の回答は、「超過死亡はあるけど、気にすることはないですよ」という印象を与えている。そうは断言していないにしても。
しかし、日経は「4月」に東京で超過死亡があることを報じた。超過死亡は「インフル流行がない」ことを前提とした状態に上乗せされた死亡を吟味している。が、ご存知のように19-20シーズンはインフル発生は非常に少なく、緊急事態宣言発令中かつ春になった4月にそういう超過死亡が発生するのは筋が通っていない。
これがすべてコロナのせい、というのは議論をすっ飛ばしすぎである。かといって「これはコロナとは無関係である」と断じてしまうほどの根拠もここにはまだない。当然、吟味検討は必要であり、「気にすることはない」はずがない。
医学問題を論じるときに利益相反は非常に重要なポイントだ。利益、は金銭的利益だけではない。人間関係や、組織内での承認や昇進など、いろんなしがらみから独立して「科学に、事実に誠実である」ことを希求するのが本来の利益相反の理念である。利益相反チェックリストにちょんちょん印を付けてハンコを押すことでは決して、ない。
本来ならば、感染研や専門家会議は、省庁や内閣からはカンゼンに独立した形で存在するべきなのだ。それは金銭の授受以上にそうで、例えば専門家会議のステートメントは事前に役所や政治家の検閲にかけられるべきではない。感染研も同様だ。ルールブックに明記されていなくても、そこに配慮・忖度があればやはりそれも利益相反だ。
とはいえ、そういうドロドロした利益相反があっちこちに遍在していることを看破したのもまたコロナ問題だ。このウイルスには人間の本性を暴き出す恐ろしい作用がある(ウイルス学的作用じゃないけど)。それはひとの恐怖があぶり出す本性とも言える。しかし、人間の最大の美しさは勇気にあり、勇気とは恐怖に抗う小さな人間の覚悟にある。願わくば、コロナ問題のもたらしたパニックが人間社会への絶望を導くのではなく、恐怖に抗う人間社会、人間個人の美しさの実証とならんことを。そのためにも、ゼロベースで事実は、事実だ。
> これがすべてコロナのせい、というのは議論をすっ飛ばしすぎである。かといって「これはコロナとは無関係である」と断じてしまうほどの根拠もここにはまだない。当然、吟味検討は必要であり、「気にすることはない」はずがない。
その通りだと思います。
しかし、そんな緻密で手間のかかる注意深さを要求されることを社会の大多数の人が当然に行われることを期待するのは幻想です。
知性のある人すら恐怖に囚われればヒステリーを起こします。
そこから貴殿がいうところの「官僚の言い抜け」が必要になります。
私は別段、いい抜けだとは思いません。
なぜなら注意深く読めば分かることですし、事実に反しているとまでは言えないのですから。
「事実は事実」だとしても事実を表現するには無数の方法があり、事実のどの側面に重点を置くかにも無数の組み合わせがあります。
そしてその中のどれを選択するかによって、社会への影響は異なります。
そしてその選択の結果に責任を持つのが政治であり、高度の技巧を要する営みなのです。
自分好みの「事実」の表現のしかたしか気に入らない、事実そのままではない、というのは子供っぽいわがままですらあります。
投稿情報: Emporioarbitris | 2020/06/27 10:20
感染症研究所のウェブサイトにはグラフも載っています。ピンク色の閾値を超えた分の事が超過死亡数ですから、2019-2020年シーズンにも超過死亡は生じています。また、ブルーの四角が実際の死亡者数ですから、過去3シーズンよりも、やや少ない傾向にある事がはっきりと読み取れます。言葉による印象操作とは思えません。
コロナに依る死亡者がいる事は事実ですから、インフルエンザに依る死亡者が、例年より減少している事が推察されます。また、コロナ治療の為に各病院が混乱しており、コロナ以外の患者への治療が十分に行えなかった可能性があります。手術の予定を先延ばしにしたような例もあると聞きます。4月の全死亡者数が、昨年を超えた事実には、そういった事情も含まれるかと、想像します。
したがって、感染症研究所のウェブサイトのQ&Aの下の部分では「本事業で新型コロナウイルス感染症による超過死亡への影響を評価することはできません。」とのコメントがある事も、参照する必要があろうかと思います。
私の感触としては、岩田先生の文章の方に、むしろ印象操作の気配が強く感じとれます。
投稿情報: 磯野靖雄 | 2020/06/23 23:02
超過について、
今年もインフルエンザは2月くらいまで流行しました。
https://www.mhlw.go.jp/content/000620714.pdf
上が全国の流行なので迅速把握も全国に近そうな 21大都市で見ると
https://www.niid.go.jp/niid/ja/flu-m/2112-idsc/jinsoku/1847-flu-jinsoku-2.html
超過は一月までということで、普通に見えます。
東京単独のインフル流行を示す情報を知らないので、東京の超過については全く分かりません。
投稿情報: Nobutarou | 2020/06/21 11:09