昔書いた「感染症は実在しない」を集英社から仕立て直して出してもらうことになりました。「あとがき」を追記したので、どうぞ。
あとがき
英国がCOVID-19対策で、他国と異なる対応を取ると表明したとき、世界は驚いた。国民の多くにあえて感染を許容させ、集団免疫をつけさせようというのだ。かなりの「奇手」と思った(英首相の「降伏」演説と集団免疫にたよる英国コロナウイルス政策(小野昌弘) - Yahoo!ニュース [Internet]. Yahoo!ニュース 個人. [cited 2020 Mar 19]. Available from: https://news.yahoo.co.jp/byline/onomasahiro/20200315-00167884/)。
ところが、事態は二転三転する。この感染許容策に多くの専門家が批判を寄せた。議論が繰り返され、結局、英国は他国同様、保守的で「普通の」感染対策を行うことを表明したのである。完全な方針転換であった(Gallagher J. Analysis: UK changes course amid death toll fears. BBC News [Internet]. 2020 Mar 17 [cited 2020 Mar 19]; Available from: https://www.bbc.com/news/health-51915302)
二転三転する議論。日本であればこれを「失敗」と捉えるむきもあるだろう。
しかし、ぼくはそうは思わない。むしろ、英国における「科学の健全さ」を証明したエピソードではないかと思う。
科学は失敗する。新しい問題に取り組むときは、特にそうだ。科学は無謬ではない。研究活動とは、既存の世界観の外側に出ることを希求し、既知の概念を破壊し、未知の領域に新たな概念を創り出さんと望むことだ。その場合、失敗は必然的な結末だ。少なくとも、一定の確率でそれは起きる。それが起きないとすれば、それは既知の概念から一歩も外に出ていないのである。すなわち、科学的営為を行っていないのである。
だから、失敗するのは科学的失敗ではない。科学的失敗は、失敗そのものによって起きるのではない。失敗は認知され、評価され、吟味され、改善の糧とされ、そして未来の成功の燃料として活用されればそれでいいのだ。「失敗」と「科学的失敗」は意味が違う。
「科学的失敗」とは、失敗の認知に失敗し、評価に失敗し、吟味に失敗し、改善に失敗し、未来の成功に資することないままに終わるような失敗を言う。これこそ本質的な失敗である。
英国は失敗した。初手の出し方において失敗した。しかし、失敗の認知には失敗しなかった。よって、科学的であり続けるという点においては一貫性を保っていた。「朝令暮改」が繰り返されるのは、科学的な一貫性の証左なのである。プリンシプル(原則)の一貫性と言い換えても良い。
非科学的な議論においては結論だけが一貫性を保つ。が、プリンシプルにおいてはグダグダである。というか、そもそもプリンシプルが存在しない。自分の主張を正当化することだけに汲々としているからであって、最初から科学に誠実であることを放棄しているのである。
クルーズ船、ダイヤモンド・プリンセス号でCOVID-19感染のアウトブレイクが疑われたとき、決断は困難であった。まず、乗客・乗員を下船させるか、船に留めるかの難しい局面があった。下船させれば日本国土での感染拡大のリスクがあり、船に止めれば船の中での感染拡大のリスクがあった。ジレンマである。どちらの策がベターな策か、クルーズ船は感染症アウトブレイクをしばしば起こしており、そのリスクは専門家に認識はされていたが、どう対応するのがベストな対応化については学術的な知見に乏しい。決断は困難であった。
が、下船させないと決めたのであれば、そこで科学的プリンシプルを発動させるべきであった。「船内の二次感染は絶対に起こさない」である。
14日の検疫期間は「14日の間、二次感染が起きていない」ことが前提で設定された14日間である。もし、途中で二次感染が起きてしまえば、この14という数字は意味を失い、隔離期間の延長を強いられる。それは、乗客・乗員に対する過大なストレス要因だ。よって、船から下船させないと決断した時点で、関係諸氏は覚悟を決める必要があった。断固として二次感染は起こしてはならない、という。
しかし、現実はグダグダであった。
乗員は船の中で仕事を継続せねばならぬ、という言い訳で、彼らは自由に船内を歩き続けた。彼らこそが二次感染の原因となっていたことが感染症研究所の報告で明らかになっている(Kakimoto K. Initial Investigation of Transmission of COVID-19 Among Crew Members During Quarantine of a Cruise Ship — Yokohama, Japan, February 2020. MMWR Morb Mortal Wkly Rep [Internet]. 2020 [cited 2020 Mar 19];69. Available from: https://www.cdc.gov/mmwr/volumes/69/wr/mm6911e2.htm)
船内でPCR検査を行うと相当数の乗客・乗員がコロナウイルス感染を起こしていることが明らかになった。これが検疫前の感染なのか、検疫後の2次感染なのか、判断する必要があった。前者であれば、多数の感染がすでに起きていることを意味しており、クルーズ船に大量の人間をとどめおくことが危険であることは察知できた(死亡リスクの高い高齢者が多いこともポイントだった!)。よって、方針転換、下船をすすめることが必要だった。
が、できなかった。日本政府の歴史的弱点はプランAを作ってしまうと、そのプランにしがみつき、その誤謬を認めてプランBに方針転換ができない点にある。古くはノモンハンの戦闘やインパール作戦の失敗に至るまで、同じ構造で失敗している。「失敗の構造」だ。
逆に、検疫前の感染がそれほどでもないと仮定すると、PCRが次々と陽性になるのは「二次感染が起きている」と判断せざるを得ない。感染管理の失敗である。ぼくが観察したように、クルーズ船内は安全であるべきグリーンゾーンと安全ではないと判断すべきレッドゾーンが混交しており、「ぐちゃぐちゃ」な状態になっていた。前述のように「二次感染が起きない」前提を貫くなら、このようないい加減な体制こそ全否定しなければならなかったのだが、「異論は認めない」「皆の団結が最優先」という戦時を想起させる全体主義的エートスの中では、異論を唱えることすら悪であった。クルーズ船内である専門家と議論を交わしたが、彼もクルーズ内の感染対策に不備が多いことに気づいていた。船内のクルーから得た情報でも感染対策が穴だらけであることが指摘されていた。が、そういう懸念は全て無視された。プランAが発動された以上、そのプランAは無謬でなくてはならないからだ。
国立国際医療研究センターの専門家は二次感染が起きていることを2月10日の時点で警告していた。が、「素人」の厚労省は専門家の意見を無視したのだ(クルーズ船、船内待機見直し要請 5日後に「乗員が媒介」と伝える(共同通信) [Internet]. Yahoo!ニュース. [cited 2020 Mar 19]. Available from: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200318-00000192-kyodonews-soci)。プランAは無謬でなければならなかったのだから。専門家の意見を素人が無視する。プランAの無謬性の保持のために。
クルーズ内での二次感染が起きていたことは、その後の研究でも明らかになっている。発症時期が不明であった「不顕性感染」患者の多くは、検疫隔離後に起きたことも分かっている。チャーター便で帰国したオーストラリアや米国、香港の人たちも帰国後発症しており、ほぼ二次感染だと推定されている。そして日本でも2月19日に「公共交通機関で移動してもかまわない」と国からお墨付きを与えらた人たちが14日の検疫を終えて下船し、その後に感染が判明した。訪れたスポーツジムなどで濃厚接触者が検知され、スポーツジムにおける多大な風評被害、多数の健康監視による保健所の労力増加など二次的被害が多発した。「自分たちは間違ってるかもしれない」という自覚があれば回避できた人災である(Mizumoto K, Kagaya K, Zarebski A, Chowell G. Estimating the asymptomatic proportion of coronavirus disease 2019 (COVID-19) cases on board the Diamond Princess cruise ship, Yokohama, Japan, 2020. Eurosurveillance. 2020 Mar 12;25(10):2000180.)。
ぼくは厚労省の方との通話を繰り返し、クルーズ船に入った。厚労省のスーツを着た職員と一緒に船に入り、IDバッジをもらい、チェックをして入っている。決して一部の人が信じているように「潜入」したわけではない。そこで「現場を混乱させた」という理由で追い出された。
現場を混乱させたのは事実だ。それについては反省もし、謝罪もした。
が、そもそも正当な意見を述べただけで混乱する現場、そのものが問題だったのであるまいか。
プロの世界では、意見を述べただけでは混乱は起きない。意見を受け入れて方針転換するか、意見に反論するだけだ。クルーズ内ではそのいずれも起きなかった。ただ、出て行けと言われただけだ。弁明の余地はなかった。
英国を思い出してほしい。最初の方針には多数の異論が出て、批判が出た。日本であれば「みんな頑張ってるのに、ここは一致団結なのに、批判とかしてる場合じゃないだろ」と同調圧力がかかったであろう。そして英国は間違え続け、国民は多大な被害を受けたかもしれない。幸いにして英国は同調圧力の国はなく、批判、議論は「前提」として受け入れられていた。異論が発生することを「現場を混乱させる」という理由で否定しなかった。そもそも異論が現場を混乱させるなどということは、プロの世界ではあってはならないのだ。
鷲田清一先生は、コミュニケーションとは対話が終わったときに自分が変わる覚悟を持っている、そういう覚悟のもとで行われるもののことである、と述べている。日本におけるコミュニケーションの様相はそうではない。同調圧力に抗うのは「コミュ障」である。異論を唱えるのは「コミュ障」である。深夜に行われる討論番組で、参加者が番組の終わりに「おれ、意見を変えたよ」ということは起きない。彼らは議論をしているのではない。演説を繰り返しているだけなのである。だから、自説は一ミリも変わらない。
本当に「コミュ障」なのはこうした同調圧力の奴隷なのではなかろうか。
弁証法とは時代がかった言葉だが、dialectics、対話という意味である。対話を通して自分が変わる覚悟ができて、初めて対話である。そこでアウフヘーベンが起き、議論は前進する。
しかし、こうした古びたヘーゲル、マルクスの議論も日本では「形式」としてしか伝承されなかった。異論を唱えることそれ自体が「コミュ障」とみなされるのは、そのためである。
感染症の正体、微生物の正体。そうした哲学的議論は観念的議論ではなく、我々の今、ここの実生活に密着するリアルな議論である。が、日本社会はそもそも議論を許さない。あるのは「あちら」の側につくか、「こちら」の側につくかの党派的、属人的足の引っ張り合いだけだ。「一貫性」はその属人性における一貫に過ぎず、要するに政府や厚労省の肩を持ち続けるか、けなしつづけるか、という低いレベルでの一貫性でしかない。朝まで討論しても意見が変わらないのは当然だ。
本書がそういう足の引っ張り合いを「バカバカしい」と悟る一助となれば、それだけで本書が存在した価値はあると思っている。「感染症は実在しない」という命題に、「ばっかじゃない」と苦笑するか、「なにそれ?」と自分が変わる奇貨とするかは、読者の「変わる覚悟」次第である。
3月20日 岩田健太郎
優秀な科学者が専門家会議にもおりながら、なぜ自分の見解を正直に言わないのか。科学者の矜持ということを問わざるを得ない。TVなどでは個人的な見解として公表された内容と異なる意見を言っている。こうしたことをさせている厚労省は問題外として、せめて科学に身をささげているならその論理を貫いてほしいとおもいます。先生の意見には全面的に賛成です。以前よく読んでいた山本七平の論理と同じと感じました。
投稿情報: Inkyo_roujin | 2020/03/30 12:21
クルーズ船の状況については、一般には知られていないことが多いもの、報道から知り得たことを元にして苦言混じりの疑問を呈します。
「が、そもそも正当な意見を述べただけで混乱する現場、そのものが問題」
それが「正当な」意見であったのか、本当に「述べただけ」なのでしょうか。
それは私のような外野のものからすればあなたの個人的見解にすぎません。
例えば「正当」というのは感染症対策についての学問から見て正当であるだけでなく政策実行や社会の営為の観点から見ても正当でしたか?
対策の実施にあたっては現実の制約があります。
船舶の運航にあたってはあなたは専門家ではないものと考えます。
その専門家である乗員の立場や彼らが価値と考えるものを理解しようとしましたか?
また、行政機関が民間の業者を指揮するのに(それも、法的には日本国の領域とは言えない場所で)必要な法的な知識や経験はあなたはお持ちでしたか?
現実の社会の営みは多くの分野の専門家の知見が相互に作用しあうものです。
組織の中で、自己の専門分野の関心にだけ固執し全体の最適を顧みていないと考えられる意見は「現場を混乱させる」ので排除されます。これは日本に限らず万国共通でしょう。
あなたが他の分野の専門家をないがしろにした結果、下船を命じられたのか、あるいは理不尽な排除を受けたのか私自身は判断を留保します。
しかし、あなたの専門的知見は正しく用いれば国家と社会にとって極めて有益なものであるといくつかの報道・情報により確信したので敢えてコメントを残します。
投稿情報: Emporioarbitris | 2020/03/22 13:41
せんせは悪くないと思うけど
センチメンタルなルサンチマン
みっともない
投稿情報: T223223223 | 2020/03/21 13:43
足の引っ張り合いを「バカバカしい」と悟っている時ではない。
武漢肺炎発、世界大恐慌が引き起こされるとき、トップの無知と無作為のために、自身の生命に危険が迫り、あるいは雇用・財産没収の工作が進行しているのだから、岩田医師を見習って正当な作法で言論すべきだ。
投稿情報: Jinsei Dohraku | 2020/03/21 08:38
とても参考になりました。
あとがきとのことでしたので、誤植と思しき箇所を発見したためご案内いたします。
ベストな対応「化」について⇒か、同調圧力の国「は」⇒では
なお、コメントの承認は特に必要ございません。
投稿情報: すぎやま よしはる | 2020/03/20 19:07