近藤誠氏の「ワクチン副作用の恐怖」(文藝春秋、以下「恐怖」と略す)を読みました。
放射線医学が専門である近藤氏がワクチンを論ずるのはこれが初めてではありません。これまでも何度もワクチンの問題を取り扱っています。例えば、近藤氏は2001年に「インフルエンザワクチンを疑え」という論考を発表しています(「文藝春秋」2001年2月号)。私は当時ニューヨーク市で内科の研修医をしていましたが、この論考の科学的瑕疵を指摘したことがあります(岩田健太郎「正論」2001年5月)。
近藤氏が予防接種や感染症の専門家ではないから、この領域を論じてはいけないとは思いません。
専門家であれ、非専門家であれ、思想の自由、表現の自由は十全にあります。専門家故に見落としてしまうような大事なポイントを、非専門家が岡目八目で指摘できることも少なくありません。
大切なのは「誰が書いているか」ではなく「何が書かれているか」です。内容の妥当性だけが重要なのです。
では近藤氏の「恐怖」。内容の妥当性はどのくらいあるか。その点を私は論じようと思います。
近藤氏の「恐怖」の主な主張の一つは「グラフを見ると、ワクチンの導入以前から対象感染症の死亡率は下がっている。だから、ワクチンに意味はない」というものです。近藤氏はワクチンの有効性そのものを否定しているわけではありません。しかし、ワクチンがなくても病気のリスクは下がっているわけだから、その「“必要性”は疑わしい」(4頁)というのです。
近藤氏の主張には首肯すべき点があります。例えば、彼が例示する結核のワクチン、BCGです。
確かにBCGの効果は非常に限定的です。他方、結核については確立した治療法(抗結核薬)があり、早期診断法があり、予防法(潜伏結核の内服治療)もあります。
BCGがなくても結核対策は可能か。私の意見は、実は「イエス」です。近藤氏が指摘するように欧米諸国の多くではBCGは推奨予防接種のプログラムに入れられていません。私には2人の娘がいますが、実はふたりともBCGは接種していません。他の定期接種ワクチンは全て接種していますが。これは、私たち両親が娘達の健康のためにBCGの「必要性」を認めなかったからです。
よく誤解されていることですが、日本の「定期接種」プログラムには接種義務はありません。予防接種を拒否する権利は十全にあるのです。
このことは近藤氏もこう説明しています。「定期接種や勧奨というのは「国はワクチンをお勧めするけど、命じているわけではない。打つかどうか決めるのは、本人もしくは親なので、なにか不都合が生じたら自己責任ですよ」という意味です(ワクチン事故・自己責任の原則)」(5頁)。
ただし、近藤氏は指摘し忘れているか、意図的に無視した点があります。
それは、定期接種を拒否して、そのために予防できるはずだった感染症に苦しんだり、命を落としたとしても、それもまた自己責任ですよ、という事実です。この事実はとても重たい事実なので、決して看過してはいけません。
一般的にリスクは双方向的です。Aを「行う」という選択肢と「行わない」、という選択肢の2つがある場合、両者どちらにも、必ず何らかのリスクが伴います。リスクゼロという選択肢はありえないのです。
予防接種には必ず副作用というリスクが伴います。一方、予防接種を拒否する場合には、その予防接種が防御する感染症のリスクが伴うのです。
そして、リスクを検討するときの大原則は、すべての選択肢の、それぞれに伴うリスクを公平に吟味することです。あるリスクは過大に評価し、別のリスクを過小に評価するのは間違ったリスクへの対峙法です。
近藤氏はワクチンのリスクには言及するけれども、ワクチンを接種しないリスクについては看過したり矮小化しています。すなわち、正しいリスク対峙ができていないのです。
近藤氏が主張する「ワクチン導入前から病気のリスクは下がっている。だから、そのワクチンには必要性はない」は、BCGに限定して言えば正しいと私は思います。しかし、近藤氏はこれを麻疹や破傷風など、他の病気にも全面的に応用しています。
これは間違った論拠に基づく間違った結論です。その根拠をこれから述べます。
どんな病気でも、「これひとつ」な対策方法はありません。特に決定的な対策法がないときはそうです。あれやこれや、いろいろな対策を試しに試して、決定的な方法が発見、発明されるまで医療関係者たちは頑張ります。
代表的な例に、エイズがあります。
エイズはHIVというウイルス感染による病気ですが、1981年に発見されました。発見当時は100%死に至る病と考えられ、実際多くの患者さんが命を落としてきました。
ほどなく、エイズは血液や性交渉が感染の原因と分かりました。私は医学生だった1992年からエイズと対峙し始めたのですが、当時は感染予防の啓発やコンドームの推奨などを行っていました。有効な治療法が存在しないので、予防を徹底する以外に手段がなかったのです。しかし、啓発にも関わらず、新しい患者は次々と発生し、そして亡くなっていきました。
エイズは免疫能力が弱くなる病気で、他の感染症やがんになって死んでしまいます。そうした日和見感染症と呼ばれる病気の予防薬を飲む方法ができてから、エイズの合併症はだんだん少なくなりました。それでも、予防薬だけでは患者さんが亡くなっていくのを食い止めるには不十分でした。
1995年に効果的なウイルスの薬を組み合わせて使う治療法が使われるようになり(ARTといいます)、エイズの予後は劇的に改善しました。患者さんは薬を飲みながら外来で治療を受けつづけます。ARTを続けていれば、HIV感染者はHIV感染のない人くらい長生きができると見積もられています。もはやエイズは「死に至る病」ではないのです。
さて、ここに米国CDCが作ったグラフがあります。米国におけるエイズ患者の年次推移です。
https://www.cdc.gov/mmwr/preview/mmwrhtml/mm6021a2.htm
エイズが発見されたのは米国です。そしてこの病気に最も苦しんできた国でもあります。その米国で、ARTが使われるようになったのは前述の通り1995年。しかし、それより数年前からエイズの発症は減り始めていました。これは前述の「予防薬」などがある程度の効果を示してきたからです。
しかし、なんといってもパワフルだったのはARTです。1995年以降、エイズ患者の死亡は劇的に減ったのがグラフからもわかります。
私は1998年から2003年まで米国ニューヨーク市で研修医をしていました。98年にはまだ多くの病院で「エイズ病棟」があり、多くの患者さんがいろいろな合併症のために死んでいました。しかし、2003年にはそのような入院患者は激減し、エイズ病棟の多くは閉鎖され、ほとんどの患者さんは外来で通院する患者さんとなりました。
何が申し上げたいかというと、「それ以前にリスクが減少傾向だった」という根拠を使って、その後に開発された医療技術を全否定する根拠にはならない、ということです。
後述しますが、近藤氏が指摘するように、多くのワクチンはその導入前から患者さんが減少しています。あれやこれや、医療関係者たちや行政の担当者が必死になって対策を考えたからです。しかし、そうした対策のどれも決定的なものではなく、ワクチンが使用されるようになって初めて決定的な効果が見られるようになりました。
典型的なのは麻疹です。麻疹ウイルスは空気感染といって非常に感染力が強く、その防御は容易ではありません。麻疹ワクチンの徹底的な接種によって、ようやく麻疹は制圧可能になり、排除すら想定できる病気になったのです。
警察庁によると、日本の交通事故死者数は平成以降どんどん少なくなっており、一時は年間1万人以上いた死亡者が4千人台にまで減っています。
全日本交通安全協会ホームページより。 http://www.jtsa.or.jp/topics/T-254.html
さて、2012年から16年にかけて交通事故で亡くなった6歳未満の子供は56人、その7割近くは法で義務付けられたチャイルドシートを使っていなかったそうです(朝日新聞2017年9月14日 http://www.asahi.com/articles/ASK9F45XLK9FUTIL01R.html)。警察庁はこれを受けてチャイルドシート使用徹底を呼びかけています。
「すでに交通事故死はチャイルドシートの法制化(2000年)以前から減っているんだ。だから、チャイルドシートの必要性はない」
これが近藤氏の主張のもつ論理構造です。もちろん、間違った論理であることは言うまでもありません。
さて、ここからは各論的に「恐怖」に紹介されている各ワクチンに対する近藤氏の主張を検討してみましょう。ただし、天然痘については、現在は特殊事例以外には接種されていないのでここでは割愛します。私も2001年の炭疽菌バイオテロ事件のときに天然痘ワクチンを自ら接種しました。(近藤氏が指摘する)ワクチンの副作用も拙著「バイオテロと医師たち」(筆名最上丈二、集英社新書)で詳述したので、興味のある方はそちらを参照してください。
最初に肺炎球菌ワクチン(23価のニューモバックス)です。
高齢者などに推奨されるこのワクチン。近藤氏はBMJという雑誌に掲載された論文について、有効性は示したが、副作用情報がないという理由で「ワクチン論文としては失格です」と批判します(22頁)。
しかし、この論文では「接種後の重篤な副作用は発生しなかった(No serious side effect occurred after vaccination)」という記載があるので「情報がない」というのは事実に当たりません(BMJ 2010;340:c1004)。
本研究では肺炎球菌による肺炎の死亡率はワクチン接種によって減っています。ワクチンのリスクと利益を天秤にかけた場合、少なくとも本論文から導き出せる結論は「ワクチンの利益のほうが大きい」となるべきでしょう。
もっと深刻な近藤氏の間違いは「総死亡数」についての主張です。
「総死亡数」とは肺炎以外の、他の病気や怪我などを理由にした死亡数全てを数え上げることです。近藤氏は「ワクチンを接種したほうが、総死亡数が九人もふえています」(24頁)と述べていますが、これは医学を学んだ者のコメントとはいえません。死亡を比較する場合、死亡者数そのものを比べるのではなく、死亡「率」を統計的に分析しなければならないからです。
二群の死亡率の違いは「まぐれ」による違いなのかもしれません。その誤謬の可能性を訂正するために統計的な解析を必要とします。本研究では、総死亡率に関するワクチン接種群と非接種群の死亡率には統計的な有意差はありませんでした(これを論文ではP=0.4656と表現している)。統計的な有意差の意味の解釈は非専門家には難しいかもしれません。が、少なくともこのデータから、「肺炎球菌ワクチンは無効かつ有害」(同頁)と判断することは絶対にできないという一点だけご理解いただけたらと思います。近藤氏はこの点、医学者としてはありえないくらいの重大な誤謬を犯しています。
細胞や動物を用いた基礎医学実験と異なり、多様性のある人間を対象とした臨床試験は結果の再現性が乏しいのが問題です。ある研究では有効とされた治療が、別の研究では無効とされる。よくある話です。
ですから、自分の主張に都合の良いデータだけつまみあげて、「ほれみろ、俺の言っていることは正しいだろが」と主張する輩が後を絶ちません。
近藤氏は20年近く前の臨床試験をピックアップして「この研究では肺炎は減らなかった」と肺炎球菌ワクチンの効果を否定しています(27頁)。しかし、このような選り好み的なやり方は誠実な医学的吟味とはいえません。
よって、本来ならば、世に出ている医学論文を公平に、そして徹底的に探し出し、まとめて検証するというメタ分析を用いるのが、それも最新のメタ分析を用いるのが誠実な態度です。
例えば最新の、2017年に発表されたメタ分析では、23価の肺炎球菌ワクチンはIPDと呼ばれる重症の肺炎球菌感染症と肺炎球菌による肺炎の両方を減らしていることが分かりました(Plos One. 2017;12:e0169368)。どうせ引用するならこちらを引用するほうが誠実だったでしょう。
次にポリオです
近藤氏のポリオワクチンの有効性に関する評価は概ね正しいです。ポリオワクチンには生ワクチンと不活化ワクチンがあります。生ワクチンは効果が高いですが、そのワクチンそのものがポリオの原因になってしまうという重大な副作用が問題です。不活化ワクチンのほうはより安全ですが、こちらは生ワクチンよりも有効性が乏しい。
現在は日本に天然のポリオウイルスは存在しません。長年の懸案であった不活化ワクチンもようやく定期接種に組み込まれ、ポリオの生ワクチンの副作用に苦しむこともなくなりました。
近藤氏は、ポリオはパキスタンとかアフガニスタンでしか発生していないのだから、日本で不活化ワクチンを接種するのも無意味だ、と主張します。
一見、論理的に見えるこの主張ですが、実は間違いです。
なぜなら世界ではまだたくさんの国で経口生ワクチンを接種しており、このワクチン自体がポリオを発生するリスクがあるからです。たくさんの外国の方が日本を行き来するグローバル化の現代において、これは看過できないリスクです。
青が経口生ワクチンを使っている国。水色が使っていない国。2015年。米国CDCより。 https://www.cdc.gov/mmwr/preview/mmwrhtml/mm6425a4.htm 閲覧日 2017年11月8日
現在、世界では経口ワクチンから不活化ワクチンへの移行を進めています。将来的に自然界のポリオが撲滅され、また生ワクチンの使用者もいなくなることでしょう。そのときには近藤氏が主張するように、不活化も含めてポリオワクチンは不要となるでしょう。かつて天然痘ワクチンがそうであったように。
しかし、今はまだその時期ではない、ということです。
次に麻疹です。
近藤氏は概ね麻疹ワクチンの有効性については正しく論じています。ただ、ここでもリスクを双方向的に見ていません。
すなわち麻疹ワクチンについては「まれではあっても、脳障害のような重大な副作用が生じる」からよくないといい(38頁)、麻疹そのものについては死亡数がゼロ近くまで落ちているのだから気にしなくてよいと主張します。
実は麻疹ウイルスそのものも、「まれではあっても」亜急性硬化性全脳炎(SSPE)と呼ばれる重大な脳の合併症を起こすのですが、近藤氏はそちらは無視しています。SSPEはほぼ全例が死に至るか機能廃絶をし、治療法もない重大な病気です。
近藤氏が指摘するように、日本はまだ海外からの輸入麻疹に苦しんでいます。麻疹ワクチンは1回接種するだけでは効果が不十分で、2回接種しなければなりません。日本では行政制度の不備のためにきちんと2回接種していない人が多いのです。2回めの麻疹ワクチンは5−7歳で接種するよう勧められていますが、下の図のようにそれ以上の年齢で2回接種をしていない人がどの世代でも相当数います。これは日本では「キャッチアップ」というスケジュールを過ぎたあとの追加接種の制度を持たないことが大きな原因です。
国立感染症研究所より。 http://www.niid.go.jp/niid/ja/y-graphs/6416-measles-yosoku-vaccine2015.html 閲覧日2017年11月8日
次に風疹です。
風疹についても、近藤氏はやはりワクチンの効果は認めています。が、先天性風疹症候群(CRS)が問題になるのは女性だけだから、女性だけがワクチンを打てばよいと主張します(41頁)。
しかし、CRSを防ぐ責任は当然男性にもあるわけです。ワクチンは周りの接種者が増えれば増えるほど、集団全体の病気のかかりにくさが減る性質があります。いわゆる「群れの免疫」です。
ワクチンといっても100%完全な防御能力があるわけではありませんから、ワクチンを打った女性でも風疹にかかることはあります(このことは近藤氏自身が「恐怖」で指摘しています)。ワクチンを打ってないよりもずっとかかりにくくなっているだけで。よって、周辺の男性が免疫をつけることで女性とお腹の赤ちゃんを守ってあげるのは理にかなっている。
そもそも昔は日本でも女の子だけに風疹ワクチンを接種していたんです。近藤氏と同じロジックを使って。それでもCRSが撲滅できないから1995年以降、現在のように男女ともに予防接種をうけているわけです。前述のキャッチアップの制度が日本にないためにまだ十分な接種率になっていませんから、日本では今でもCRSが撲滅できていません。
だから、近藤氏のように根拠なく「昔にかえれ」というのは理にかなっていません。
次に、百日咳、ジフテリア、そして破傷風です。これらはまとめて「三種混合ワクチン(DTaP)として定期接種で予防する感染症です。もっとも、近年ではこれに不活化ポリオやB型肝炎など、他のワクチンも組み込んだ混合ワクチンが用いられるようになってきていますが。
近藤氏は、やはり前述の「ワクチン導入以前から病気は減っていた」論を使って、ワクチンの必要性は乏しいと主張します。このロジックは間違っていることはすでに述べました。
実際、麻疹とか百日咳などは、現在でも予防接種を打っていないと再び流行が起きてしまうのです。例えば、伝統的に予防接種を受けてこなかったアーミッシュと呼ばれる人たちの間で百日咳や麻疹の流行が起きています(News reporter LR and videographer TL KY3. 300 Amish people got shots for whooping cough [Internet]. [cited 2017 Nov 8]. Available from: http://www.ky3.com/content/news/whooping-cough-amish-seymour-423715413.html。N Engl J Med. 2016;375:1343–54)。
実は、アーミッシュの人たちは宗教や思想的な理由からワクチンを拒否しているのではなく、単なる知識不足が原因だったことが最近の研究でわかっています(Pediatrics. 2011;22:2009-2599)。ですから、このような感染症の流行を抑えるために彼らにも予防接種が緊急避難的に行われました。
私はときどき破傷風の患者さんを見ます。破傷風菌は土の中にいる菌です。日本中に存在します。破傷風の患者さんが激減したのはワクチンのおかげでもありますが、残念ながら子供のときに打ったワクチンの免疫は年とともに落ちていきます。それに、日本の高齢者はそもそも子供の時の予防接種を受けていません。
農作業中に怪我をしないといった工夫で破傷風の予防効果はある程度はありますが、絶対的なものではありません。また、集中治療の進歩で破傷風の患者さんも救命できることは増えましたから、それも近藤氏の言う「死亡率の低下」には寄与しているでしょう。とはいえ、破傷風の患者さんは筋肉の異常が長く続き、集中治療室で何週間、場合によっては何ヶ月という治療を必要とします。そのようなたいへんな病気を「死亡率が減ったから予防しなくてよい」というのは誤った論理だと言わざるを得ません。
同様のことは、これも日本に存在する日本脳炎ウイルスについてもいえます。日本脳炎患者は日本で激減しましたが、これはなんといっても予防接種のおかげです。ワクチンを打つのを止めたら、また日本脳炎の患者は増えるでしょう。決定的な治療法がなく、死亡率の高い日本脳炎。予防接種の必要性は(破傷風などと同様)とても高いのです。
近藤氏は「恐怖」の49頁以降、ワクチンには副作用のリスクがあることを事例を挙げながら説明していきます。
私はもともとワクチンを「安全だ」と主張していませんし、副作用のリスクがあることも否定しません。その点では近藤氏のおっしゃるとおりです。ただ、彼がワクチンと死亡との「因果関係」を安易に断定しているのは問題です。
ワクチンを打ったー>健康に問題が生じた
は
ワクチンを打った「から」健康に問題が生じた
とは同義ではありません。前者は前後関係であり、後者は因果関係です。
問題は、前後関係と因果関係の違いを峻別するのはとても難しいということです。
もちろん、難しいからといって因果関係の可能性を無視する必要はありません。
一番妥当性が高いのは「比較」、すなわちワクチンを打ったグループと打たなかったグループで比較することです。一例一例の事例で「ワクチンを打った、健康被害が生じた」というエピソードだけでは、ワクチンと健康被害の「因果関係」を証明するのは難しいのです。近藤氏はワクチンの同時接種も批判していますが、これも前後関係と因果関係の峻別をしないで、かなり乱暴な議論をしています。
ですから、私は常々、因果関係を証明できなくてもある程度の妥当性があれば健康被害に対する救済制度が発動されるようなしくみを作ることを主張しています。そうしなければ、ワクチンを打った方々は因果関係があるのかないのかも分からないまま、救済されない不安も抱えなければなりません。科学の専門家でない方が、ただでさえ難しい科学的因果関係を証明するのはとても大変なのです。もちろん、医学の専門家でない弁護士や裁判官にできる仕事でもありません(だから、ワクチン被害の問題を裁判で解決するのは根本的に間違っています)。
ときに同時接種については、近藤氏はアフリカで行われた1つの研究を紹介しています。ここでは麻疹と黄熱のワクチンを接種した子供とこれに加えて5種混合ワクチンの接種を受けた子供を比較し、後者の12ヶ月後の死亡率が高かったというものです(129頁)。
もっとも、この研究は実は他の目的で行われた臨床研究の対象者を再分析した観察研究です。つまり、5種混合ワクチンを受けたグループとそうでないグループは、近藤氏のしばしば述べる「くじ引き」による振り分けはしておらず、よって両群がもともと異なるグループだった可能性もあるのです。これはこの論文を書いた著者ら自身も認めていることです(Vaccine. 2014;32:598–605. Vaccine. 2014;32:2668–9)。
もちろん、だからといってこの論文を無視したり全否定する必要はありません。しかし、少なくともこの論文を読んで「同時接種は危険だ。止めるべきだ」という結論は導かれませんし、論文を書いた研究者たちもそんな主張はしていません。
妥当性の高くないアフリカの1つの研究を殊更に強調して、そういう背景をご存じない一般読者に同時接種の危険性をアッピールする近藤氏の方法は医学者としてはいかにもアンフェアであると批判されるべきでしょう。「多種類ワクチンの同時接種はとても危険です」(131頁)と近藤氏は主張しますが、それを支持する、妥当性の高いデータはないのです。
同時接種は忙しい親が少ない受診回数で効率的に予防接種を受けることができる賢明な方法です。
世の中は理想的にはできていませんから、定期接種という制度があってもその制度に乗っかることができない人はたくさんいます。たまたま風邪をひいていたり、お母さんが忙しかったりしてついつい予防接種の機会を逃す。
だから、キャッチアップの制度をおかずに「これこれの期間の間に定期接種を打ってください」とだけ言ってよしとする厚生労働省は間違っています。
私はこれまで10代妊婦の風疹とか、妊娠早期の麻疹といった悲しいケースを経験してきました。いずれも予防接種を受け損なった方々です。制度から取りこぼれてしまう人は、かならずいるのです。
風疹になった妊婦さんは中絶するかどうかで悩みます。CRSの危険のため、不安におののく毎日です。ワクチンの恩恵を受けていれば、経験しなくて住んだ苦しみです。
妊婦が麻疹になると大変で、私達が経験した事例では、感染のために陣痛が始まり早産となり、子供は集中治療室(NICU)でのケアが必要になりましたが、その子供も麻疹に感染していました(Pediatr Infect Dis J. 2009;28:166–7)。
産婦人科病棟は麻疹の妊婦を受け入れてくれません(他の妊婦に感染させたくないから)。NICUだって麻疹の「未熟児」を受け入れたくありません(他の「未熟児」たちに感染させたくないから)。内科病棟や普通の集中治療室(ICU)は妊婦や新生児に慣れていないので、やはり患者を診ることは困難です。
感染症の現場とはそういうものです。感染症なんてかかったって、免疫力がつくからいいじゃん、なんて甘ったれた主張を医者が軽々しくするものではありません。
このような悲惨なケースをなくすために私たちは予防接種の重要性を訴えているのです。そして近藤誠氏の詭弁や暴論を批判するのです。
次にインフルエンザです。「恐怖」88頁以降、とくにひどい誤謬について指摘します。
まず近藤氏はインフルエンザワクチンについて「その年に流行するウイルス型がちがっていることのほうが多い。それでは重症化を予防できません」と述べていますが、これは間違いです。
例えば、2004−05年のシーズンから、2016−17年のシーズンまでのインフルエンザワクチンの効果を米国CDCがまとめています。これによると、インフルエンザワクチンがインフルエンザの効果を、統計的に有意差をもって示すことができなかったのは04−05年と05−06年の2シーズンだけ。他の年は全て一定のワクチンによる予防効果を示しています(https://www.cdc.gov/flu/professionals/vaccination/effectiveness-studies.htm)。
近藤氏はまた、インフルエンザにかかっても登校したり出社しても「つよい免疫ボディー」がつくられるので問題ないと述べていますが、これも病気のリスクと免疫ができる利益のバランスを無視した暴論です。
確かにインフルエンザひとつひとつが人の死の原因になることはそう多くはありません。ですが、流行を無視して何千万人、それ以上という患者が発生すると、相当数の方が死に至ります。分母の数が大きくなると、小さい死亡率も無視できない分子を生むのです。
分子/分母=小さい死亡率
分母が巨大になると、(同じ死亡率ならば)分子も大きくなる。一目瞭然です。死んでしまっては「つよい免疫ボディー」もへったくれもありません。
近藤氏はワクチンの副作用による死亡には非常に神経質ですが(それは悪いことだとは思いませんが)感染症による死亡リスクについてはあまりにも無神経です。
ただ、インフルエンザに抗菌薬は効かないとか、アスピリンを飲んでいるとインフルエンザ死亡リスクが高くなるといった近藤氏の指摘は本当です。ですから、近藤氏はデタラメばかり言っているわけではありません。
繰り返しますが、これは「ひと」の問題ではなく「こと」の問題です。「近藤誠が言っているからデタラメだ」と断ずるのではなく、それぞれの主張の是非を、丁寧にひとつひとつ検証していくことが大事です。
近藤誠氏は、川崎病はワクチンが原因であると主張し「すべてがワクチンの副作用だとは言いませんが、かなりの部分がワクチンの副作用です」と断定します。
しかし、そのような説を示す妥当性の高いデータは存在しません。
いや、川崎病は感染症の多い季節に発症しやすく、むしろ細菌感染やウイルス感染が引き金になっているのでは、とも考えられているのです。川崎病を発症した子供の兄弟が1週間以内にやはり川崎病を発症しやすいという日本のデータがこのことを示唆しています(J Infect Dis. 1988 ;158:1296–301)。感染症と川崎病との関連は(やや不思議な事ですが)近藤氏自身も述べています(133頁)。
かつてMMRという麻疹、風疹、おたふくの三種混合ワクチンと自閉症との関係が議論されたことがありましたが、現在ではこのような関係はないことが分かっています。それどころか、この「因果関係」を主張した論文は反ワクチン派に属する医者のデータ捏造でした。近藤氏は「恐怖」でいまだにワクチン自閉症説に固執します。この点については拙著「ワクチンは怖くない」(光文社新書)で詳しく説明しましたし、近藤氏も説得力のある根拠を述べていないので、ここでは深くは取り上げません。ここでは欧州各国の大規模試験でMMRと自閉症の関係は否定されている、という一点のみを指摘しておきましょう(The Lancet. 1999 ;353:2026–9、JAMA. 2001;285:1183–5、N Engl J Med. 2002 ;347:1477–82)。
ワクチン接種のあとに川崎病を発症した事例は報告されていますが、ワクチンと川崎病の関係を示した妥当性の高いデータは皆無です。だから近藤氏の「かなりの部分がワクチンの副作用です」という主張は根拠を欠く暴論なのです。
なお、近藤氏は7万人以上が参加したロタウイルスワクチンの臨床試験でプラセボ群に1人、ワクチン群に5人の川崎病が発生したから「5倍」に増えたと述べていますが(137頁)、これも統計的な有意差のない「誤差範囲」であり、近藤氏の主張は間違いです。
数字を見た目のまま数えて比べてはならない。「誤差範囲」の可能性を無視してはならない。このへんは臨床医学の「いろは」であり、医学生でも知っているべき常識です。近藤氏が、それを知らないはずがないのですが。
B型肝炎ワクチンの販売量と多発性硬化症の発症数を並べたグラフに至っては(155頁)、「チョコレートを食べるほどノーベル賞受賞者が増える」的な医学者なら絶対にやらないような間違いです。関係ないグラフの線を2つ並べて、もっともらしく見せようとしているだけの「子供だまし」です(詳しくは中室牧子、津川友介「チョコレートの消費量が増えるとノーベル賞受賞者が増える? [Internet]. ダイヤモンド・オンライン. [cited 2017 Nov 8]. Available from: http://diamond.jp/articles/-/124862」を参照ください。両氏の「原因と結果の経済学」をお読みいただければ、近藤氏が主張する「因果関係」のほぼ全てが根拠を欠いたものであることがよく理解できます)。
近藤氏が指摘する、2200万人が新型インフルエンザのワクチンを接種され、そのうち131人が翌年3月までに亡くなっているというデータも(162頁)、同様の理由でワクチンとの「因果関係」に落とし込むのは乱暴すぎます。このデータでは高齢者、特に80歳以上の方の死亡が特に多かったのですが、80代の方をたくさん追跡したら、そのうち一定数の方が冬の間にお亡くなりになるのは、むしろ自然なことではないでしょうか。
最後にHPVワクチン、俗に「子宮頸がんワクチン」と呼ばれているワクチンについてです。
このワクチンは子宮頸がんの前癌状態を減らすことが示されていますが(BMC Public Health. 2014;14:867)、ガンの発症には何年という長い時間がかかるために「がんそのものを減らす」エビデンスはありません。
しかし、B型肝炎ウイルスワクチンが肝臓がんを減らすのに寄与したように(そしてそれをデータとして示すのに何十年もかかったように)、時間とともにこのワクチンががんを減らす効果が明らかになるのは時間の問題でしょう。世界各国でワクチンの恩恵を受けて前癌病態が減っています。日本だけがこの恩恵を受けられないのであれば、それは日本の医療行政の科学的な視点の欠如と言わざるを得ません。
みなさんにとって気になるであろうワクチンの副作用についても、何十万という女の子を長期フォローした研究で子宮頸がんワクチンの接種者と非接種者では差がありませんでした(J Adolesc Health. 2010;46:414–21、JAMA. 2015 ;313:54–61)。この点も前掲の拙著で詳しく議論したので、詳細をご覧になりたい方は参照してください。
子宮頸がんワクチンに副作用がないわけではありません。子宮頸がんワクチン後に重篤な健康被害を受けた方がおいでのかたも承知しています。しかし、リスクの双方向性を考えた場合、ワクチンを接種した場合としない場合では、したほうが得られる利益は遥かに大きなものです。
まとめです。
近藤誠氏は前後関係と因果関係を混同しています。そして、リスクの双方向性を理解せず、ワクチンのリスクを過大に評価し、ワクチンで防御できる感染症のリスクを過小評価しています。
近藤氏の医学論文の解釈には重大な誤謬が数多く存在します。知らずにやっているとしたら医学者の能力に重大な欠落がありますから、彼の書物は信用に値しません。知っていてやっているのであれば近藤氏はとても悪質なデマゴークなので、やはり信用に値しませんし、その場合は医学という学問や患者への誠意を著しく欠いているのですから、この業界から即刻退場願うよりほかありません。
私の「恐怖」への評価は以上です。
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