塩崎恭久厚生労働大臣が成立させようとしていた受動喫煙対策法案は国会に提出できなかった。結局、受動喫煙対策は1ミリも前進しなかったのである。塩崎氏を応援する医療者は多い。ぼくは塩崎氏を個人的には知らないし、人間的にどうこう評価する気もない。しかし、ぼくは今回の受動喫煙採択法案の問題は彼の失敗だと考える。少なくとも、途中で路線変更すべきだったし、できたはずだ。
こんなことを書くと、禁煙主義者の医療者から「お前は受動喫煙を許容するのか」とヒステリックに非難される。もちろん、許容すべきではない。法案が通らなければ受動喫煙対策は今のままなのだ。現状維持になってしまうほうがはるかに悪いに決っている。
塩崎大臣の敗因ははっきりしている。エビデンスとサイエンスを無視し、観念論、イデオロギー、嫌煙主義に入ってしまったからだ。
受動喫煙対策が世界で一番うまくいっているスペインでもニュージーランドでも、屋外での喫煙は十全に許容されている。先日、ニュージーランドに行ったがオークランドの空港の路上では人々が喫煙していた。
理由は簡単だ。受動喫煙の健康被害の質の高いエビデンスは屋内での喫煙に関してのみで、その被害は家庭や職場、レストランやバーだからだ。外での喫煙者が他者に健康被害をもたらす可能性はないか、あっても非常に小さい。百歩譲って、屋外での喫煙が他者への健康被害をもたらすという(まだ存在しない)エビデンスが将来見つかったとしても、その被害は屋内のそれよりずっと小さいものであるのは間違いなかろう。そもそも、レストランなどでの喫煙を禁じ、屋外での喫煙も不可能になれば、喫煙者の喫煙スペースは家庭内になる可能性が高い。そここそが、受動喫煙の最大の被害が生じている場所なのだ。
このようなエビデンスに基づき、受動喫煙対策の先進国は喫煙者の喫煙権と、そうでないひとが受動喫煙をしない権利の両者を尊重しているのだ。
塩崎氏が、「屋外での喫煙スペースはきちっと確保します。だから、屋内のほうはゼロにしましょう。これで世界最先端の喫煙対策国と肩を並べますよ」と言えばずいぶんと違った議論になったはずだ。あるいは「個人の快楽と、他人の迷惑のジレンマを解決した好例を我が国は持っています。カラオケボックスです。喫煙者専用のスペース(ボックス)を確保しましょう。空気が漏れる?我が厚労省は何十年も室内空気を外に出さないテクノロジーを結核対策に活用してきたのですよ。大丈夫です」という提言だってできただろう。
しかし、そのようなサイエンスもエビデンスもかなぐり捨て、「たばこのない五輪」のような観念に走ってしまった。データを無視し、ひたすら嫌煙という感情を優先させた。嫌煙という感情と愛煙という感情がぶつかれば、物別れに終わるのは当たり前だ。塩崎大臣は完全に作戦ミスをしたのである。
そして、塩崎大臣が一歩も引けないように頑迷になってしまった一因は、同じくサイエンスもエビデンスもかなぐり捨て、自分の嫌煙感情で「塩崎大臣がんばれ」「負けるな」と押し続けた一部の医療者たちにある。退路を断たれた大臣はもう一歩も引けない。同じく退路のない法案を突きつけられた愛煙自民党議員たちも一歩も引かない。これで、誰も一歩も動けなくなってしまったのである。そもそも、「日本は国際的にすっごく遅れている」というスローガンばかり繰り返して、「いや、海外でも屋外の喫煙はOKなんだよ」という事実を無視した(あるいは知らなかった?)時点で、「サイエンスよりもイデオロギー」に走ってしまった医療者たちの罪は重い。医療者はあくまでも自分たちの専門性を駆使し、科学とデータとアウトカムで勝負しなければならないのだ。
と、こんなことを言っても、多くのファンダメンタルな嫌煙主義者は「塩崎がんばれ」「負けるな」と反知性主義的なシュプレヒコールを繰り返すだろう。しかし、8月の内閣改造で彼は解任される可能性が高い。8月まで内閣が持てば、の話だが。アウトカムはゼロで、結局なにも前進しない。仮に塩崎氏が留任できたとしても、同じ戦法では同じ結果しか生まれない。203高地ではあるまいし、愚直に突進を繰り返しても意味は無いのだ。
失敗したら、敗因を分析し、異なる戦法を取るのが勝負の定石だ。こうしているあいだも、受動喫煙の被害者はその間も生じ続ける。冷静に考えれば、どちらが得策かは自明である。
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