D「まず、手技を研修医に教えると、自分のスキルが増す。他人の動きを客観的に眺めることで、自分が普段やっている手技のプロセスを振り返る機会が与えられるんだ」
S「なるほど、たしかにそうですね」
D「そして、他人に教えるということは言語化するということだ。普段、俺らは何気なく、あれやこれやの手技をやっている。これを明快で誰にも理解できるようなコトバに変えてあげる作業は、手技の客観化につながる。また、客観化ができると理論化もできるようになる。なぜ、この所作が必要なのか、「なんとなく習慣」でやっていたものと、論理的かつ必然性のあることの違いがはっきりする。そうやって、さらに教え方は洗練され、自分の手技もまた洗練されるんだ」
S「確かに」
D「それに、手技を教えるってのは研修医を尊敬させる一番手っ取り早い方法なんだよ。いくら知識を披露したって、知識は教えた瞬間に相手に乗り移ってしまう、寿命の短いプロパティだ。手技は違う。相手に教えたからと言って、瞬時にそのスキルが伝わるわけじゃない。研修医は下手なままだし、S先生は圧倒的に上手い存在だ。手技は必ずしも医療における根幹的な位置を占めているわけではないが、医学生や研修医にとって「手技ができる」は憧れだ。要するに、彼らは手技を過大評価してるんだよ。そして、確実に手技ができる医者も過大評価される。そうしたら、たとえS先生であろうとも、尊敬の対象になるんだ」
S「なんか、やんわりとdisられてますけど」
D「いいか、学生や研修医には幻想を振りまけ。S先生は極めて優秀なロールモデルだって。そのためにはまず力の差を見せつけ、実際の差以上にそれを強調するんだ。どんなに逆立ちしても勝てないのがスキル、手技だ。ここでガツンと印象付ければ、もうあいつらはS先生の思いのままだ。そうすれば言ってることもなんだって聞いてくれるよ」
S「なんか、聞いてると教育的というよりも詐欺的なんですけど」
D「そうだよ。教育と詐欺にはたくさんの共通点がある。優秀な詐欺師は優れた教育者になる可能性が高いね。逆もまた、真かな」
S「また炎上する~」
D「いいんだもーん。架空の存在は燃えないんだもーん」
S「まあ、確かにぼくも研修医のときは「手技ができるようになりたい」は他のどのスキルよりも優先させてましたね。腰椎穿刺や中心静脈ライン挿入ができるようになったら、とても偉くなった気分になりました」
D「実際には、そんなの医者の価値のほんの一部にすぎないんだけどね。でも、研修医が手技を上手になれば事故は減るし、君の仕事も楽になる。楽をするためには苦労せよ。楽をするためには教育するのだ。「おれがやったほうが速い」は非常にプリミティブな戦略にすぎない。長期プランでやると、研修医に教え、やらせたほうが絶対に楽だ」
S「そういえば、D先生はほとんど手技をやらないですね。やはり研修医にやらせる、という教育的な態度ですか?」
D「う、うむむ、まあな」
S「というか、D先生は昔から手先が不器用で手技はまかせられない、って先輩に聞きましたよ。なんでも「手の指がぜんぶ親指で出来てる」からって、「親指王子」って呼ばれてたとか。それに最近は老眼も進んで針とか糸とか見えないんじゃないんですか?」
D「うるせー!老化をバカにするな。お前だっていつか行く道なんだよ」
S「ぼくの指は、全部親指じゃないですから」
D「細長くて白い指だってうっとり陶酔してんじゃねえ、このナルシスト野郎!」
第32回「手技はできるだけさせてあげよう」その2 終わり
続く。
この物語はフィクションであり、DとSも架空の指導医です。
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