S「D先生、聞いてくださいよ。今回ってる研修医、どうもやる気が感じられないんですよね」
D「そうなのか?」
S「まあ、言われたことはやるんですよ。でも、自分で自ら積極的に学ぼうとか、そういう能動性はまったく感じられないんですよね。受け身というか、指示待ちというか、、、」
D「ま、その手の研修医は多いよな」
S「ぼくらが若い頃はもっとギラギラしてたっていうか、指導医に食いついてくるような積極性があるというか、、、」
D「お前の指導医も、同じことを言ってたと思うよ。「今時の若いやつは積極性がない」って」
S「単なる年寄りの幻想なんでしょうか」
D「さあな。S先生の思い込みってところもあるだろう。だが、思い込みだけとは限らない。今の若者がよりおとなしくなった部分もあるだろう」
S「ぼくはそう思いますね」
D「しかし、「おとなしくなった」のは「賢くなった」ともいえる。勘違いで指導医に食って掛かるような愚か者が少なくなったのかもしれん」
S「まあ、たしかに無駄に地雷踏んだりはしなくなりましたね」
D「それは「情報化」のもたらす当然の帰結だ。海外旅行でも、昔はなんも分からんと、現地であれやこれやの失敗をし、その失敗談が旅行をエキサイティングにも、またときにほろ苦くもしていた。今は、情報が溢れているから、たいていの土地に行くにも「予習」が可能だ。その土地で踏んではいけない地雷は、予め了解できる。それに、現代においては旅の恥はかき捨てじゃない。ネットで流され、拡散されたら「生涯残る恥ずかしい思い出」になりかねない」
S「まあ、そうですねえ」
D「研修も同じなんじゃないのか。踏んではいけない地雷を予め予習しとく。いいことだとは思わないか」
S「じゃ、先生は今みたいに研修医が受け身でおとなしいまんまでよいと思ってるんですか?」
D「いーや、全然思ってない」
S「なんですか?その「とりあえず常識論ひっくり返しとけ」みたいなのは。ちきりんさんですか?」
D「お前、医者の間ではちきりんさん、ファンが多いんだぞ。ことばを慎め」
S「D先生、煽ってんだか、気を遣ってるんだかさっぱり分かりませんよ。で、結局今の研修医はダメなんですか?」
D「うん、今のまんまじゃ、だめだ」
S「じゃ、研修医が主体的になるためにはどうすれば良いんでしょうか」
D「そんな方法あるもんか。研修医を主体的にしろって命令して、発言させたり、質問させてみろ。それこそ受動的な研修医の出来上がりじゃないか。「馬を水飲み場に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」という。研修医自ら主体的になりたい、と思わなければ、意味が無いんだよ」
S「じゃ、お手上げってことですか」
D「もちろん、お手上げなんかじゃない。ちゃんと手はある」
S「ちきりーん」
第25回「主体性は教えられるか?」その1 終わり
続く。
この物語はフィクションであり、DとSも架空の指導医です。
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