以下、明日からの診療に全く役に立たない話です。
以前から「これは抗生物質というのは間違いで、本来ならば抗菌薬と呼ぶべきところだ」みたいなコメントに奇異を感じていた。そもそも、そんな区別をつけることに意味があるのだろうか?意味がないのであれば、なぜそのような区別に拘る必要があるのか?と思っていたのだが、素朴な感想で終わってしまい、それ以上調べてみることはなかった。
「サルバルサン戦記」で書いたように、世界で初めての「抗生物質」は1910年のサルバルサンで、パウル・エールリッヒと秦佐八郎が開発した。当時は「抗生物質」といったジャンルは存在せず、エールリッヒはこれをChemotherapieと呼んだ。化学物質によってピンポイントで病気の原因を狙い打ちにし、病気の原因を直接叩くことで病気を治すという方法だから、Chemotherapieと呼んだのだ。
ひまし油を飲ませたり、瀉血をしたりという現象面での治療が主体だった医学の世界において、画期的なパラダイムシフトであり、そのパラダイムと原則は現在の分子標的薬など、モダンな治療にも生きている。秦はこれを当初「化學的療法」と訳し(講義 化學的療法ノ研究 1911 (明治44年)「秦佐八郎論説集」(北里研究所・北里大学)収載)、後に「化學療法」と呼んだ(講演 化學療法ノ一班 同上収載。大正時代の講演か?)。秦の先輩だった志賀潔もサルバルサンを「化学療法」と呼んでいる(「化学療法の現実」昭和24年 「志賀潔」(日本図書センター)収載)。
日本臨床第一巻第一号は昭和18年(1943年)6月に発刊されている。ここに新潟医科大学の柴田經らによる「肺炎に使用される新ズルォフンアミド剤に就て」という論文が載っているが、この薬に対する一般的呼称は用いられていない。「ペニシリン注射も肺炎治療には偉功を奏すと伝えられているが、私は経験をもたない」と書かれている(新仮名遣に改めた)。日本で「碧素」が作られたのが翌1944年である。当時の医学界では感染症治療薬の一般呼称はなかったか、あっても一般的でなかった可能性がある。
昭和32年(1957年)4月の日本臨床では、「抗生物質」というタイトルの総説がある(東京大学小児科 藤井良知)。「抗生物質が実用化されて約10年間、、、」という冒頭で始まるこの総説では特に抗生物質の定義はなされていない。ペニシリンショックが問題となった時期だ。
「医科薬理学」第三版(1998、南山堂)によると、「そんななか、微生物が産生し、腫瘍細胞など動物細胞の増殖を抑制する物質や免疫系細胞の機能を抑制 する物質(例、シクロスポリン)が現れるに及んで、抗生物質の定義に混乱が起こってきた。1972年、梅沢浜夫はこれらの事情を踏まえて抗生物質を”微生物によって産生され、細胞の生命に関与し、細胞の初一句に重要な酵素反応を阻害する物質”と定義した」とある。ようやく定義者が分かった。梅沢浜夫はペニシリン国産化などに尽力した微生物学者だ。
1981年の日本臨床では「感染症治療法」の特集が組まれ、「治療総論」を清水喜八郎が書いている。ここでは「化学療法」と記載され、「感染症の化学療法は抗菌薬(antimicrobial agent)が主流である。従来の抗生物質と狭義の化学療法薬に分けられていたが、現在は多くの抗生物質が合成されるので、その区別がなく、上述のごとく 抗菌薬という表現が多く用いられる」とある。「抗生物質が合成される」と書いている時点で、すでに当初の定義を逸脱している。ここでの「化学療法」は合成物質の使用を内意しているように解釈される。
なお、同号には渡辺康の「広範囲抗菌薬(総論)」がのせられている。少し、引用する。
「最近の抗生物質の開発は、まことに素晴らしい。とくに日本の抗生物質の開発は世界一であると評価されている。
このように世界に先駆けてつぎつぎに開発されてくる抗生物質で治療を受けることができる日本人は世界の他の国々の人よりも幸福であるといえよう。しかし、このような大きな長所の反面には日本独特の抗生物質の使用方法による耐性菌の増加、感染症の変ぼう、さらには副作用の出現など多くの問題があることも各方面から指摘されている(以下略)」
1988年日本臨床特別号でも特集が組まれ、藤井良知の「わが国における化学療法の歩み」という総説がある。ここではサルバルサンなどの治療効果が低かったことから1935年のドーマクのプロントジル(スルホンアミド)をもって化学療法の嚆矢と捉えている。なお、本説は本題どうり日本の歴史を振り返っているが、興味深いのが「昭和50年代ー日本のセファロスポリン時代」である。引用する。カッコの注は岩田が付記した。
「かつて第一位の座にあったCP(クロラムフェニコールのこと)が副作用問題で急速に使用されなくなり、TC・MLの消費が低下するのと逆にβ-lactam剤は主流となり、世界先進国の中では日本がはじめて高価なCEP(セフェムのこと)がPC(ペニシリンのこと)を抜いて首位を占めるに至ったのである。(中略)CEPは重量では全体の約55%、金額の70%を占めることをみてもCEP時代にあるといえよう。日本がそれに耐えられるのは、社会保険制度と経済の高位ゆえであろう。(中略)特異なのは日本で発見された抗菌剤が20, 30年代には20%台であったものが、40年代に39.1%に上昇し、50年代には55.2%と過半数が日本の発見によるものなのである。碧素とGHQの好意と日本人の熱意が、ついに世界第一位までに抗菌剤研究・生産・消費(!)を押し上げたといってもよい」
というわけで、ドーマクのようなスルホンアミドら合成したものは化学療法薬、天然のものは抗生物質と定義したものの、前者は後にがんの治療薬として取って代わられる。現在「化学療法」を感染症の治療薬に用いる人はほとんどいない(いても通じないだろう)。両者をまとめて抗菌薬、と呼ぶのが現在の流れである。
AACという雑誌が示唆するように、時代的には英語圏もchemotherapyとantibioticsであった。しかし、前者は同じ理由で廃れてしまう。
グッドマン&ギルマン第8版日本語版を読むと、次のようにある。
「しかし、抗生物質antibioticsという語を普通に使用する時には、スルホンアミド、sulfonamidesやキノロンquinoloneのような微生物の生産物でない合成抗菌薬をも含めてしばしば拡大して用いられる」
ここで分かるのは日本語の抗生物質に相当するのが英語のantibioticsであることと、グッドマン&ギルマンの定義ではantibioticsが合成抗菌薬をも内包する存在として用いられている、ということだ。原書11th ed.では「Common usage often extends the term antibiotics to include systhetic antimicrobial agenst, such as sulfonamides and quinolones」と上述の言葉がそっくりそのまま残っている。ちなみに、手元にあるGoodman & Gilmanの12th edでは、antimicrobialsとかantibioticという用語を用いているが、その定義や守備範囲にはもう言及がない。
もともと抗菌薬は「化学療法薬」として開発された。しかし、化学療法薬という呼称はがんの治療薬に取って代わられた。現在、英語圏ではantimicrobials、antibioticsという言葉はほとんどinterchangableに用いられている。antibacterialsは正確な呼称だが、少なくとも診療現場で使う人はほとんどいない。アメリカの診療現場では、ぼくの知る限り「antibiotics」が一番通りがいい。
日本の診療現場では現在、医者の間では抗菌薬が一番使われる。が、患者の間では抗生剤、抗生物質のほうが普及している。ナースの間では両方使われているようである。梅沢の定義は学術的には意義があるが、歴史的には古いものだし、清水の指摘するように臨床的にはその分類意義を失ってしまっている。カウンターパートたる「化学療法薬」もすでに存在しない。
というわけで、この問題について「正しさ」を追求するのはあまり意味がないものと思う。要は、会話が成立し、通じて、問題がなければそれでよいのだ。抗菌薬=抗生物質でさしつかえなかろう。
ときに、「サルバルサン戦記」のサブタイトルは「世界初の抗生物質を作った男」である。もちろん、わざとだ。正確には「世界初の化学療法薬を作った男」である。しかし、それでは意味が通じず誤解のもとだ。コミュニケーションは伝わることが大事なのである。
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