試験管やマウスは人間ではない。よく言われる話だ。だから、in vitroやanimal studiesを直接人間に応用させてはならず、よって人間を対象とした実験、臨床試験が必要とされるのだ。
しかし、世の中には未解決の問題が数多く存在する。臨床医学でもわかってないことはたくさんある。問題は、目の前の患者への判断保留、という選択肢は臨床医にはないことだ。「この問題については研究を重ねて3ヶ月後にお答えします」とか「これについては来年まで先送りします」という回答は出しにくい。「治療しない」のもひとつの臨床判断なことを考えると、我々は手持ちのコマで「さしあたり」正しいと思える回答を即座に提示しなくてはならないのだ。
前にも書いたが、エビデンス・ベイスド・メディシンとは、「手持ちの最良のエビデンス(best available evidence)を活用すること」である。ヒトを対象としたデータが皆無であれば、基礎医学のデータを援用するのは当然で、それがbest available evidenceとなる。それを採用しないという選択肢は、当然ある。しかし、検討もしないで無視するのは「ベストを尽くしている」とはいえない。
もちろん、基礎医学のデータを「そのまんま」臨床に持っていくのもこれまた論外だ。そこには演繹法と帰納法の鬩ぎ合いが発生する。この曖昧さに耐えて、じっくりと考えぬくのが大切だ。こういうときは性急に答えを出さず、他者の声に耳を傾けてA論もB論も考えぬく。できればベターなC論までアウフヘーベンさせる。
時に、Inoculum effectというものがちょっと話題である。inoculumとはinoculateされたもの、「植え付けられたもの」という意味だ。治療薬の最小阻止濃度(MIC)がグンとあがり、治療薬が無効になる効果を指す。
これが発見されたのはなんと1940年のことで、抗菌化学療法がメジャーになっていない時代の話だ。最初は水銀の殺菌効果が低下するという発見に始まり、その後ドーマクが開発したサルファ剤で同じ現象が認められた(Brook I. Inoculum Effect. Clin Infect Dis. 1989 Jan 5;11(3):361–8)。その後薬剤感受性試験の結果が、検査に使う菌量(inoculum size)に依存することが分かり、この名前が付けられたというわけだ。
特に研究されているのは黄色ブドウ球菌で、ペニシリン系、あるいはセファゾリンのような1世代セフェムでとくに研究が多い。その他、大腸菌、Klebsiella pneumoniaeやP. aeruginosa, SerratiaやSalmonella typhi、Bacteroidesなどでも同様の現象は認められている。
Inoculum effectはその名が示すとおりin vitroで観察される現象だ。問題は、それが臨床的にどのような意味があるか、という点である。これを明示するデータは現段階では多くない。この基礎医学的知見をどのように扱うか、専門家の間でも議論があるようだ。
Inoculum effectがもっとも問題になりそうな臨床像に、菌量の多い膿瘍がある。例えば、K. pneumoniaeによる膿瘍では、セファゾリンよりもinoculum effectを起こしにくい高次のセフェム(セフトリアキソンやセフォタキシム)のほうが合併症の発生率が低かったというデータがある(Cheng H-P, Siu LK, Chang F-Y. Extended-Spectrum Cephalosporin Compared to Cefazolin for Treatment of Klebsiella pneumoniae-Caused Liver Abscess. Antimicrob Agents Chemother. 2003 Jul;47(7):2088–92)。とくに患者のAPACHE IIIが高い時やドレナージができていないときに、合併症発生率は高い。
もっとも、K. pneumoniaeによる肝膿瘍でもセファゾリンでも高次セフェムに比べ死亡率は低くなかったという論文も後に発表されている(Lee SS-J et al. Predictors of Septic Metastatic Infection and Mortality among Patients with Klebsiella pneumoniae Liver Abscess. Clin Infect Dis. 2008 Jan 9;47(5):642–50)。この問題、まだ決着がついていないというべきであろう。
では、現実にはどうすればよいか。難しい話ではない。感染症に対する原則的なアプローチの遵守、である。つまり「まずは患者を見てから考える」に戻れば良い。
一般的に膿瘍性疾患はそれが、どのような菌が原因であれ、細菌性髄膜炎のような一分一秒を争う疾患ではない。患者の全身状態が良ければ、確定診断、ターゲットを絞った治療でよいだろう。MSSAやクレブシエラにも(感受性があれば)セファゾリンからスタートさせ、臨床効果をみてescalationが必要か判断すれば良いと思う。もちろん、適切なドレナージが最重要なポイントだと思う。多発膿瘍や菌血症、ショックなど合併症を伴い、患者の状態が悪ければ、原因菌の精査以前に広域抗菌薬による患者の安定化が最優先だ。まあ、そういうことだと思う。
ところで、似たような現象にEagle effectというものがある。これはその名の通りEagleさんが発見した現象で、ペニシリンのような細胞壁に作用する抗菌薬を大量に使うとかえって抗菌効果が落ちてしまう、というものだ(Eagle H, Musselman AD. THE RATE OF BACTERICIDAL ACTION OF PENICILLIN IN VITRO AS A FUNCTION OF ITS CONCENTRATION, AND ITS PARADOXICALLY REDUCED ACTIVITY AT HIGH CONCENTRATIONS AGAINST CERTAIN ORGANISMS. J Exp Med. 1948 Jul 1;88(1):99–131.)。
Eagle effectそのものは「そういう現象」であり、背後にあるメカニズムはいまだはっきりしていないようである。いくつかある仮説の一つに、大量の細菌に対する高容量ペニシリンで誘導されるβラクタマーゼの存在、つまりinoculum effectが提唱されている。ややこしいですね。Eagle effectは細胞壁に作用し、分裂をあまりしていない大量の細菌に対して起きるとされているが、inoculum effectはリボゾームに作用する抗菌薬でも作用部位の「飽和」のために起きうるそうだから、両者はオーバーラップする部分はあるものの、同じものとはいえない(前掲Brookら)。
もちろん、Eable effectもin vitroで観察される「現象」である。この現象が発見されてもう半世紀以上になるが、いまのところ、これが臨床現場における我々のペニシリンの投与量や投与方法に与える指南は(ほぼ)ない。
一般的に抗菌薬選択のパラメータは多様であり、1個のアイテムに引きずられるのはよくない。CRPの吟味と考え方は同じである。
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