教育学の先生とお話しすると、たいてい目標と評価の話ばかりになる(あと、プロフェッショナリズム)。
目標、評価、プロフェッショナリズムが教育において重要なのは言うまでもない。しかし、実際に現場でこれを口にするのははばかられるところも多い。
ここでは、目標について考える。
目標は「大きな目標」と「小さな目標」がある。大きな目標は、例えば「よい医者になること」である。「小さな目標」とは、例えば採血ができる、というようなものである。
大きな目標なしに小さな目標ばかり追いかけていると、いわゆる「手技ができることばっかり考える」研修医になってしまう。しかし、大きな目標ばかりぼんやり考えていても、採血ひとつまともにできない頭でっかちな医者では困る。そもそも「よい医者」の「よい」ってなに?とも思う。大きな目標は、目標というよりも空疎なスローガンに堕しやすい。誰も読まないけど壁にかけてある「病院の理念」とかがその1例ですね。複数の目標はこのように相互作用を行う。目標とは個々の目標が独立して存在しているものではないのである。
採血ができる、はチェックありなしのダイコトマスな項目ではない。針を刺して、抜ける、というテクニカルなところから、「針刺しなしに安全に採血できる」レベルから、「血管のない人からも採血できる」レベルから、「採血が必要な人とそうでない人を峻別できる」レベルから、「一見採血が必要そうだけど、採血なしで判断マネジしてしまう」レベルまで、様々だ。それを、「採血をやった」「できた」にしてしまうと、意味もない採血をオーダーしまくる困った指導医の出来上がりである。
「経験する」もトリッキーな言葉だ。ぼくは黄熱病を「経験したこと」はない。では、ブラジルあたりの病院で横たわっている黄熱病患者の集団を回診すれば「経験した」ことになるだろうか。あるいはそういう患者の主治医になって採血したりビリルビンをチェックしていれば「経験した」ことになるだろうか。むしろ、黄熱病患者は診たことがないけれどもその疫学的知識やベクターや、ウイルスや、ワクチンや、そういったもろもろの教科書的知識をしっかり持っておいたほうが、いざ輸入感染症たる黄熱病患者が出現しても妥当な対応がとりやすい。山本舜悟先生は経験値のない輸入狂犬病を体験したわけだが、そういう未体験ゾーンに突入したときにどう対峙するかという知恵と情報入手の方法、アドバイスの受け方は了解していた。フィリピン辺りで「狂犬病患者を診た」ことがある医学生ではそういうことはできない。
眼科志望のドクターに本当に胸部聴診能力が必要なのか。それは「プライマリケアが「できる」ようになる」とさらっとまとめずに、真剣に指導医と研修医がともに考えて、すりあわせるマターである。「自分には聴診はできない」という認識を持ってもらう方がよいことだって多いはずだ。そういう眼科志望の研修医が感染症内科を回ったときになにを目標にしてもらうかは、とても興味深いテーマである。いずれにしても、年度末に冗談みたいにみんなで統合失調症患者体験ツアーをやるのはもういい加減にやめにしてほしい。
目標設定は重要だが、とても微妙で難しい調整作業である。だから、安易な目標リスト作りはかえってその目標から研修医を引き離してしまう。「よい」の意味を求めて葛藤するのは大切な時間だが、その葛藤そのものは目標にはなり得ない(それは手段である)。目標と手段の永遠の循環作業は決して紙の上でリスト化はできない。それに、内田樹先生がよくおっしゃるように「ここまでできるようになりたい」という研修医は、たいていそこまですら成長しない。明文化された目標を持たない研修医の方が、よく成長する。
それは、その研修医が「あるべき目標ってなんだろう」と葛藤しながら指導医ともがくからである。幕の内一歩が「強いってなんだろう」と葛藤するように。「チャンピオンベルトを巻く」を目標にするより、そのほうがずっと高級なスポーツとの対峙法なのである。
プロフェッショナリズム教育も同様だ。アメリカではプロフェッショナリズムが大流行。アメリカで大流行な者が大好きな日本でも大流行。でも、プロフェッショナリズムの最終的な目標とは、プロフェッショナリズムなんて標語を口にせず、頭に思い浮かべることすらせずにプロとしてのディードが自然に行われている状態をいうのではないだろうか。弓を忘れた「名人伝」の名人のように。「プロフェッショナリズムとかいちいち考えなくてもよいようになる」が目標の最終形態になるはずだが、なぜかこの言葉は教育者によってますます連呼される。不思議な話である。
ぼくはいまだに「よい医者」とはなんなのかは分からない。したがって、ぼくのなかではいまだにぼく自身の大きな目標はクリアでない。ましてや、研修医においては、、、なのである。少なくとも、そういう軽薄な言葉は軽々しく口にしたり、文字に書いたりというみっともないことだけはしたくない、という矜持だけは持っている。
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