はじめに、転載です。密林に画像出たので出しなおしますね。
はじめに
「先生、HIV陽性なんです。すぐにそちらで引き取ってください。今すぐ、です」
こういう電話を受けることが、ときどきある。まるで落語の「へっつい幽霊」だ。今でもHIV/AIDS患者を何か異次元領域の存在のように認識している医療者は、少なくない。
確かに、未体験ゾーンというのは恐いものだ。我々医療者の多くは人の命を預かるという、けっこうプレッシャーの大きな仕事をしている。にもかかわらず、(めったに)焦ったり取り乱したりしないのは、これ経験という宝物を懐に入れているからだ。研修医が救急外来で不安いっぱいなのも、経験の絶対的欠如が原因なのである。
脳血管疾患の外来受診数が人口10万あたり年間75名。心筋梗塞が年間6名(日本生活習慣病予防協会による)。新規の結核がざっくり年間20名。このくらいだと、さほど驚かない。毎日診るレベルではないが、たまには、みる。
新規のHIV感染者、あるいはエイズ患者がそれぞれ毎年およそ1000名と450名。我々専門家目線では「年々増加している」脅威だが、人口10万あたりだと年間1名程度。その相当数が保健所で診断されていること、地域差があることを考えると、多くの医療者にとってHIV感染/AIDSは「マレな事象」ということになる。
何年か前、救急外来に先天性心疾患の子どもが調子が悪いといって受診してきた。ふだんは専門のこども病院でフォローされているのに、なにかのはずみで一般病院の一般救急外来にやってきたのだ。みると顔は真っ青である。酸素飽和度を測ると80%前後をウロウロしている。ひえ〜っと筆者がビビっていると、隣にいたお母さんが「普段からこんなものですよ」と平気な顔。いやいやいや。僕には手に負えないから、とすぐに循環器が専門の小児科医に電話して引き継いでいただいたことがある。
医療者にとって、未体験ゾーンとはかくも恐ろしいものなのである。HIV陽性?どうしよう!と頭が真っ白になる現象を、嗤うわけにはいくまい。
事実、HIV/AIDSは恐ろしい。とくにCD4陽性リンパ球が極端に減っている患者のそれは、恐ろしい。軽い頭痛、軽い咳。こうした主訴の正体が、実は命取りの疾患だったりする。AIDS患者に「オッカムの剃刀」は通用しない。次から次へと新たな合併症が発症する。我々感染症屋は、HIV感染/AIDSを片時も甘くみたりはしないのである。
とはいえ、この「恐ろしさ」は上述の「恐ろしさ」とは違う。前者は「恐ろしさの正体が判ったがゆえの恐ろしさ」であり、後者は「何が恐ろしいのか、それすらも分からないような恐ろしさ」である。後者の恐ろしさに、人は「頭が真っ白」になる。両者の間には天と地ほどの違いが、ある。
本書のターゲット・オーディエンスは2種類ある。HIV/AIDSが「マレ」ではあるが、いつどこで遭遇するか分からない、という一般医療従事者たち。そして、普段からHIV/AIDSに携わっている、いわゆる「専門家」たちだ。本書は、両者をターゲットにし、それぞれに別々の目標を設定している。
前者に対する目標は、「頭が真っ白」の克服である。HIV/AIDSといっても、一般医療の枠組みにとどまる、一般診療延長線上にしかない。患者は決してエイリアンではない。難しいところもたくさんあるが、難しくないところも、たくさんある。たとえば、排菌している肺結核患者の診療には空気感染予防策が必要だが、HIV感染者、AIDS患者には標準予防策で十分だ(要するに、いつもの患者と同じである)。「恐い部分と恐くない部分」に分割するのが、本書の目的の一つである。
人口10万人あたり1人はまれな事象である。しかし、極端にまれな事象でもない。それは診療を長くやっていれば十分に遭遇する可能性がある事象である。したがって、臨床家はこれを「想定外」にしてはならないと僕は考える。想定外にしないということは、まれではあってもいざ発生した事象に十全に基本的な対応ができる、ということである。災害に対するpreparednessと同じ考え方だ。
本書は、普段からHIV/AIDSになじんだ「専門家」もターゲットにしている。その目的は、HIV/AIDS診療への、プライマリケア組み込みの試みだ。
90年代後半から、HIV/AIDSの予後は劇的に改善した。数々の治療・予防戦略の、あるいは社会制度の恩恵である。患者の持つ病はすでに「死に至る病」ではない。糖尿病や高血圧同様、我々は患者を外来で、一種の慢性疾患患者として診療する。
HIV/AIDSの生命予後が劇的に改善することは、患者がより一般化していくことを意味している。「一般化」というのは、通常のコモンな医療問題を併存しやすい、という意味でのそれである。
HIV/AIDS患者が苦しむのは、もはやCD4の低下や日和見感染といった「コテコテ」の問題だけではない。片頭痛に苦しみ、不眠に苦しみ、糖尿病を患い、非HIV関連の悪性疾患に罹患するのである。
ほとんど全ての感染症屋は、非感染症屋がしばしば「やっつけ仕事」で感染症と対峙しているのを知っている。かぜに徒に抗菌薬を処方するなど、適当な診断で適当な抗菌薬を処方している。逆もまた真なりではなかろうか。我々は患者の頭痛や胸痛や呼吸困難へのオーセンティックなアプローチを学び、それを実践できているだろうか。そういう問題への対応は「やっつけ仕事」ではないだろうか。「タコ壺」の残滓が未だある大学病院に勤務する身としては、このリスクは深刻なリスクである。
日本でも海外でも専門分野は先鋭化する傾向にある。ジェネラルIDではなく、HIV/AIDSだけを専門にする医師も増えてきた。その先鋭化された専門性とは裏腹に、HIV/AIDS患者は「一般化」しているのである。HIV/AIDS患者のコモン・プロブレムへの対峙能力は必然である。
本書はしたがって、必ずしもプライマリ・ケア、コモン・プロブレム診療のオーセンティックな訓練を受けてこなかった医療者たちが、HIV/AIDS患者の「一般化」された問題に十全に、「やっつけ仕事」でない形で対峙できるよう、その一助となることも目指している。
ジャズしか聴かないのはジャズ・フリークであり、ジャズの専門家ではない。クラシックや民謡との相対化ができてはじめて「ジャズの専門家」といえる。同様に、「息切れ」の患者に呼吸器疾患しか思いつかないのは真の呼吸器内科医ではない。心不全も、貧血も、パニック発作も鑑別にいれ、そのような専門枠外の「のりしろ」もきちんとカバーして、初めて真なる専門家となるのだ。筆者たちはそのように信じている。
本来、HIV/AIDSはプライマリ・ケアに親和性がきわめて高い領域なのである。そこには衛生の問題があり、性の問題があり、さらにはセクシャル・マイノリティーの問題がある。家族の問題があり、友情や恋愛の問題があり、金銭の問題があり、就労の問題があり、差別の問題があり、社会制度の問題があり、国際社会のあり方(たとえば、日本における外国人の生活のしにくさ)の問題があり、終末期医療の問題がある。食生活や、睡眠のあり方に介入するプライマリ・ケア医は当たり前だが、セックスの具体的な方法にまで踏み込む方はそう多くはない。半分極論、半分本気で言うのだが、「HIV/AIDSを突き詰めれば、そこには究極のプライマリ・ケアがある」。
本書が多くの医療者にとって有益であることを切に願う。そして、それがゆくゆくは多くの患者にとっての様々な意味での恩恵につながらんことを。
2013年10月 空高き、秋の神戸より 岩田健太郎
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