ある雑誌に「食の安全」をテーマに取材を受けた。が、煮え切らないコメントだったのでどこまで採択されるか分からない。というわけでここにまとめておく。こないだ、栄養士さんたちにお話ししたのも、同様の内容。
あるタイプの食事の善し悪しを吟味するのは難しくない。大切なのは、「だれ」に対して「どのような」食事をとると、「どのような」結果が得られるのかを吟味すればよい。pubmedでも調べられるが、ぼくは簡単なdynamedを使うことが多い。
例えば、mediterranean diet(果物、野菜、シリアル、豆、ナッツなどが多いオリーブオイルを使った食事)は、「心筋梗塞患者」の「全死亡率(フォロー平均27ヶ月)」を下げてくれる。Number needed to treat, NNT26。
が、 このようなクリアカットなエビデンスは、食事についてはむしろまれなことである。もっと煮え切らないデータのことが、ずっと多い。
それに、このエビデンスはもちろん一般化はできない。心筋梗塞患者と、そうでない人はいっ しょにはできない。CD4の低いエイズ患者には生野菜は勧めないが、生野菜を禁じるものではない。ぼくは非加熱の牛乳を美味しくいただくが、妊婦にはご法度である。「だれ」に対してか、は明確にしておく必要がある。
いずれにしても、食品や栄養素の臨床医学的なエビデンスは限定的で、あまりぱっとしたデータはない。動物実験レベルの知見を針小棒大に強調するのが、典型的なサプリメント売りたちのやり方だ。それに、エビデンスはひっくり返る。昨日までよい、といわれていたものが、別の研究で覆されるのは、日常的である。低カロリー食も動物実験では有力視されたが、人間のデータでは否定された。拙著「リスクの食べ方」でこのへんはまとめてある。
経済において、これが正しい投資のやり方、という決定的なやり方はない。よって、リスクヘッジのために「リスクは分散させる」のが定石だ。
食事についても、ある説、ある方法論を鵜呑みにし、そこに全てを賭けるのは危険だ、というのが僕の考え方だ。ひとつの食事法にこだわらず、多様な食生活をおくったほうがリスクは小さい。それに、楽しい。
原則にあまりに忠実すぎると、その食事が実は身体に良くなかった時、失うものが多すぎる。リスクは分散させねばならず、そのためには「ほどほど」に何でも食べるのが一番だ。日本は幸い、なんでも食べることができ、その選択肢は他国と比べ物にならないくらい、多い。
僕の場合、最近は自分の身体に欲するものを聞く、その「聞く力」をできるだけ鋭敏にするよう心がけている。そして、買い物をする時、一番美味しそうで安いも のを選ぶことを心がけている。旬のものは、たくさん出回っているので安い。それに美味しい。
元気な時はワイルドなものを食べたくなる。生ものだ。生魚、生肉、なんでも食う。体調が悪い時は、そういうものには手を出さない。日本の生卵はたいてい安全だが絶対に安全ではない。サルモネラなどのリスクも皆無ではない。古い生卵はなおさら危険である。でも、元気な身体で新鮮な生卵なら、ありだ。こういうメリハリが大事なのだ。ここでも生卵絶対善、絶対悪的二元論は禁物である。
ぼくはだしを自分でと り、ドレッシングは(たいてい)自分で作る。美味しいものとそうでないものを峻別する、味覚を鋭敏にするようには心がけている。味覚を鋭敏にしておけば自然にファーストフード、ジャンクフードからは、し好は離れていく。ファーストフードもファミレスも まったく縁がなくなる。でも、ストレスが溜まったときにはジャンクも必要だ。もっとも、数ヶ月に一回ポテトチップスやチョコレートをやけ食いしたからといって死亡率 が増すものでもない。全肯定も、全否定も、たいていは間違いである。
自分の身体とマーケットに真摯に耳を傾けて、あとは食いたいも のを食う。和食、洋食、中華、なんでも食べる。そもそも、そういう態度でないと、海外ではけっこう困る。
そのように節操なく、感性に従って勝手気ままにご飯を食べていると、振り返ってみれば、だいたいバランスのとれた食事になっている。多様な食事になっている。健康面でも問題ないし、飽きがこない。そうそう、たいていの食事法(ダイエット法含む)は、すぐに飽きる。
二元論も禁物だ。農薬が入っているか、否か、という議論が二元論だ。農薬が入っていること「そのもの」は問題ではない。「どのくらい」入っているかが大事なのだ。肉を食べるか否か、ではなく「どのくらい」食べているかが大事である。要は程度問題なのである。
「いつ」も大事だ。今年の夏のように35℃を越える酷暑の場合、塩分はある程 度摂取しないと危ない。もちろん、水分も必要だ。しかし、どのくらいの塩分とどのくらいの水分が妥当な量なのかは、分からない。入院患者のマネジメントで すら水分、塩分の調節は難しい。いわんや在野ではかなりの難事である。
猛暑の朝に10km以上走れば当然塩分と水分が必要となる。今のような涼しい日にはそんなものはいらない。外界と自分の身体に敏感になっておかないと、そういう感得が難しくなり、原則にしたがって塩分制限、水分制限になってしまう。
ある食事方法にこだわりすぎると、それが宗教的な信条にまでにいたるととくにそうだが、その執着がメンタルにその人を不健康にする。「そんなもの、私の子は食べさせません」なんてホームパーティーで言われる と、なんか興ざめでしょ。もちろん、アレルギーとか極端な場合はしょうがないけど、たまのパーティーに添加物入りのジャンクくらい、食べてみせる度量と寛 容がなければ、いくら健康に育ってもその精神は極めて不健康だ。そういう子供はほぼ例外なく不健康に見えるし、いろいろな意味で「弱い」。
僕も奥さんも感染症屋だが、ちょっと食べ物を床に落としても「3秒ルール」とかいって食べてしまう。乾燥した床の汚染などたかがしれており、それが健康におよぼす悪影響などたいしたことではないことを知っているからだ。なによりも、ほとんどのものごとは「程度問題」だと知っているからだ。そのくらいの鷹揚さ、寛容さがないと、結局は大きな意味での健康を損なうことを知っているからだ。その程度のことに「きーっ」とヒステリーを起こしてしまう方がずっとメンタルには不健康である。
エビデンスを吟味するためには、数字をきちんと評価しなければならない。例えば、絶対リスク減を見なければならない。そうすると、無農薬も化学肥料も遺伝子組換えも糖質制限も塩分制限も、一般の人には「それほどの絶対リスク減(ARR)ではない」ことが分かる。
しかし、逆説的だが、数字にとらわれないのも大事である。ドラゴンボールが(あんなに面白かったのに)つまらなくなったのは、スカウターで人の強さが数値化され、漫画の表現力がスポイルされたころから、というのが僕の仮説だ。CRPばかり見ている医者がろくでもないマネジメントをしがちなのは、CRPばかりを判断基準にして患者の状態を感得する能力が低くなっているからだ(これ、ホント)。「ランキング」を拠り所に映画や音楽や料理をジャッジしていれば、それらの判断力が低下するのは必然である。数字に引っ張られすぎると、人の感性と判断力は、例外なく落ちる。
食事についても、カロリーや糖質や、あまり計算しすぎるのは問題だ(基礎疾患を持つ人はその限りではありません、念のため)。自分が欲しているものを過不足なく食し、自分の身体にバランス感覚を高めさせることが大事である。後ろを振り返ってみれば、それはわりと健康的な食事なのである。
本ブログをぼくの母と妹(ともに管理栄養士)が読まないことを祈っている。でも、僕は病院で一番栄養士さんやNSTチームに相談している医者なんですよ、ほんと。
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