伏線は、そのまえの講演だった。肺炎の治療がうまくいっているときの画像フォローは原則不要、という話をしたとき、1人の呼吸器内科医が噛み付いた。肺がんによるpostobstructive pneumoniaなどを見逃すといけないから、自分が画像フォローはするのだと。そう上から自分は教わったのだと。
いったい、肺炎患者100人がいたとして、そのなかにpostobstructive pneumoniaのひとは何人いるのだろう。たぶん、1人もいないだろう。通常の医療のセッティングでも。呼吸器内科の専門外来でも。それは、まれな事象である。ときには、あるが。そのリスクヘッジのために行なうレントゲンやCTの誤診や放射線曝露のリスクとのバランスはどう勘案しているのだろう。「画像が綺麗にならない」という理由で延々と続けられる抗菌薬のリスクはどうだろう(このリスクは「CRPが陰性にならない」症候群と同列)。
リスクの双方向性について、なぜ日本の臨床現場では学ばないのだろうか。患者も、医者も。というか、「上から教わった」という伝統芸能が、正当であるという担保はどこから来ているのだろうか。これだけ医学が進歩し、知識は刷新され続けるというのに。
と、絶望気分でいるときに手にとったのが本書。いや、参りました。
著者は、1970年代に医師になった医師である。こういう医師で、エビデンスの意味を理解する医師は少数派である。そのエビデンスをクサスでもなく、全肯定するでもなく、その先にあるものを見据える医師はもっと少数である。呼吸器内科医でありながら、呼吸器疾患以外の鑑別(GERDとかPNDとか)を顧慮しながら、「その周辺」に目配せがきく医師はさらに少数である。在宅医療とそのナラティブにまで視線が伸びている呼吸器専門医となると、、、これは稀有な現象としか言いようがない。
その文体が文学的であり、シャーロック・ホームズが引用され、診断に対する敬意とこだわりが示されているばあいは、もう絶滅種である。「頻度」の概念、「抗菌薬を使用しない選択肢」、「グラム染色の意味」まで確認されていれば、もう感動モノのレアケースである。涙がでるわけである。
本当は、本書は「呼吸器内科専門医からそうでない医師へのメッセージ」だったのだと想像する。でも、ぼくは思う。呼吸器内科医こそ、本書を読んでほしい。世界の外から、自分の世界を睥睨してほしい。ガガーリンが地球を見たように。そのとき、その世界の美しさは再度自覚されるはずだ。地上にいるときには、気づきもしなかった美しさが。
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