もちょっと総死亡率の話をしましょう。
人間は、がんで死ななければよいというものではありません。がんを一所懸命探し、一所懸命治療しても、その検査や治療でよけいに死亡率が高くなってしまったらヤブヘビでしょ。
だから、「がんによる死亡」が減っただけで喜んでちゃ、あかん。「検査や治療の副作用」も含め、全部の死亡率が下がったかどうか。これが大事やねん。そやろ?
これが近藤誠氏や、岡田正彦氏らの主張の論旨です。ま、関西弁なのは単なるノリですが。
この話は、結構説得力があります。たしかに、ある病気の死を防ぐために、別の死亡リスクが高くなっちゃあ、本末転倒ですもんね。正論です。実は、近藤氏や岡田氏だけではなく、前回紹介したUSPSTFも同様の論旨で議論しています。そして、アメリカの各種学会が非難されているのも、「要するにお前らは、自分の専門領域の病気さえ治れば、後のことはどうでもええんやろ。患者全体のこと、考えてへんやんけ」という反論があるからなのです。それにしても、USPSTFってタイプしづらいし、読みにくいな。ユーエスピーエスティーエフ。もちっとマシな名前にならんものかいな。
とはいえ!
ぼくも昔はこの「総死亡率で勝負せなあかん」派だったのですが、最近「それってちょっとずるくないか」と思うようにもなりました。
例えばですね、ある数学の参考書が出たとしましょう。とてもよい参考書で、数学の実力がべらぼうに上がります。で、「本書を読めば期末テストの数学の点数もアップが期待されます」。そう、筆者は主張したとしましょう。
でもね、こういう反論があったとします。「そりゃ、この本で数学の成績はアップするかもしれん。でも、この本があまりに面白すぎて、数学に熱中しすぎた害のために、他の教科の成績がさがるかもしれへんやんけ。だから、この本の「本当の評価」は全ての教科の成績がアップしたことが示されないと、ダメだ」
たしかに、面白くてためになる数学の参考書の「副作用」として、他の教科の成績ダウンという理屈は、なりたつかもしれません。でも、「全ての教科の成績」がアップしない可能性は、他にもあります。だってそうでしょ。たとえ数学のテストが70点から90点にアップしたとしても、例えば他の8教科の成績が同じ(下がらない)だったとしたら、アップした20点は9分割されてせいぜい2点くらいにしかならなくなります。これじゃ、「全教科の成績アップ」とは主張しづらいです。
このように、「全教科」と評価の範囲を広げると、ある項目(例えば参考書)のインパクトは下がってきます。薄まっていきます。ご理解いただけますでしょうか。
というわけで、がん検診でたとえ当該がんの死亡率が下がっても、「総死亡率」を下げるのは困難です。がん検診の効果は検診グループとしなかったグループで比較しますが、両方とも、心筋梗塞になったり、交通事故にあったり、関係ない理由で死んだりします。そうすると、データはぺたっとならされてしまい、「総死亡率」はほとんど下がらなくなります。
がん検診の効果を「がんによる死亡だけで評価するのはおかしい」というのは正論です。でも、数学の参考書の良し悪しを「全教科の成績」でないと評価できない、というのもおかしいと思いませんか。
やっぱり、数学の参考書は数学の成績だけで評価してあげるのが、人情というものです。がん検診の効果も、がんに対する評価で評価してあげるべきで、心筋梗塞や交通事故の面倒まで見ろ、というのは八つ当たりというものです。
じゃ、どうすればよいか。ぼくが思うに、「がん検診の効果」と「がん検診の不利益」を直接比較するのが「総死亡率」で評価するよりベターです。やはりがんは、がんで勝負というわけです。
もちろん、「がん検診の不利益」をどうまっとうに評価するかで揉めると思います。それでも「露骨ながん検診の弊害」(たとえば、手術の害)や、「露骨にがん検診とは無関係な話」(たとえば、交通事故)は評価できるはずです。科学的な厳密性よりも、ぶっちゃけどうなの?のほうが臨床医のぼくには興味あります。
というわけで、近藤氏や岡田氏の意見は一見正論ですが、「ずるい」です。ぼくは、科学的正当性はすこし割引しても、現実路線で行くべきだと思います。数学の参考書は数学の成績で評価し、がん検診の評価はがん(とその周辺)で評価するべきだと思います。
人間は、がんで死ななければよいというものではありません。がんを一所懸命探し、一所懸命治療しても、その検査や治療でよけいに死亡率が高くなってしまったらヤブヘビでしょ。
だから、「がんによる死亡」が減っただけで喜んでちゃ、あかん。「検査や治療の副作用」も含め、全部の死亡率が下がったかどうか。これが大事やねん。そやろ?
これが近藤誠氏や、岡田正彦氏らの主張の論旨です。ま、関西弁なのは単なるノリですが。
この話は、結構説得力があります。たしかに、ある病気の死を防ぐために、別の死亡リスクが高くなっちゃあ、本末転倒ですもんね。正論です。実は、近藤氏や岡田氏だけではなく、前回紹介したUSPSTFも同様の論旨で議論しています。そして、アメリカの各種学会が非難されているのも、「要するにお前らは、自分の専門領域の病気さえ治れば、後のことはどうでもええんやろ。患者全体のこと、考えてへんやんけ」という反論があるからなのです。それにしても、USPSTFってタイプしづらいし、読みにくいな。ユーエスピーエスティーエフ。もちっとマシな名前にならんものかいな。
とはいえ!
ぼくも昔はこの「総死亡率で勝負せなあかん」派だったのですが、最近「それってちょっとずるくないか」と思うようにもなりました。
例えばですね、ある数学の参考書が出たとしましょう。とてもよい参考書で、数学の実力がべらぼうに上がります。で、「本書を読めば期末テストの数学の点数もアップが期待されます」。そう、筆者は主張したとしましょう。
でもね、こういう反論があったとします。「そりゃ、この本で数学の成績はアップするかもしれん。でも、この本があまりに面白すぎて、数学に熱中しすぎた害のために、他の教科の成績がさがるかもしれへんやんけ。だから、この本の「本当の評価」は全ての教科の成績がアップしたことが示されないと、ダメだ」
たしかに、面白くてためになる数学の参考書の「副作用」として、他の教科の成績ダウンという理屈は、なりたつかもしれません。でも、「全ての教科の成績」がアップしない可能性は、他にもあります。だってそうでしょ。たとえ数学のテストが70点から90点にアップしたとしても、例えば他の8教科の成績が同じ(下がらない)だったとしたら、アップした20点は9分割されてせいぜい2点くらいにしかならなくなります。これじゃ、「全教科の成績アップ」とは主張しづらいです。
このように、「全教科」と評価の範囲を広げると、ある項目(例えば参考書)のインパクトは下がってきます。薄まっていきます。ご理解いただけますでしょうか。
というわけで、がん検診でたとえ当該がんの死亡率が下がっても、「総死亡率」を下げるのは困難です。がん検診の効果は検診グループとしなかったグループで比較しますが、両方とも、心筋梗塞になったり、交通事故にあったり、関係ない理由で死んだりします。そうすると、データはぺたっとならされてしまい、「総死亡率」はほとんど下がらなくなります。
がん検診の効果を「がんによる死亡だけで評価するのはおかしい」というのは正論です。でも、数学の参考書の良し悪しを「全教科の成績」でないと評価できない、というのもおかしいと思いませんか。
やっぱり、数学の参考書は数学の成績だけで評価してあげるのが、人情というものです。がん検診の効果も、がんに対する評価で評価してあげるべきで、心筋梗塞や交通事故の面倒まで見ろ、というのは八つ当たりというものです。
じゃ、どうすればよいか。ぼくが思うに、「がん検診の効果」と「がん検診の不利益」を直接比較するのが「総死亡率」で評価するよりベターです。やはりがんは、がんで勝負というわけです。
もちろん、「がん検診の不利益」をどうまっとうに評価するかで揉めると思います。それでも「露骨ながん検診の弊害」(たとえば、手術の害)や、「露骨にがん検診とは無関係な話」(たとえば、交通事故)は評価できるはずです。科学的な厳密性よりも、ぶっちゃけどうなの?のほうが臨床医のぼくには興味あります。
というわけで、近藤氏や岡田氏の意見は一見正論ですが、「ずるい」です。ぼくは、科学的正当性はすこし割引しても、現実路線で行くべきだと思います。数学の参考書は数学の成績で評価し、がん検診の評価はがん(とその周辺)で評価するべきだと思います。
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