前回、ぼくは検査の「正常値」は実は正常値ではなく、「基準値」に過ぎない。そこから逸脱していても必ずしも病気ではない。人によって「正常」の程度は様々で、いろいろな人がいてもよい、という話をしました。
では、病気の治し方だっていろいろあってもよいんじゃないか。
15歳の少年と、99歳の翁では、人生観も健康観も、将来の目標も違うのが自然です(おんなじってことは、ないですよねえ)。であれば、両者に同じ医療を提供し、同じ治療をするのはちょっと不自然だと思いませんか。
このような「みんな同じじゃなきゃダメ」的な考え方を同調圧力なんて呼んだりします。日本は同調圧力が強い国で、「出る杭は打たれ」やすい社会です。
でも、ぼくが思うに「自由の国」と思われがちなアメリカもけっこう同調圧力が強い国です。アメリカ的価値観に同調しないと捨てられちゃう。
医療においても「みんな同じように治療」圧力がより強いのはアメリカで、日本の医者のほうが、よく言えば臨機応変、悪く言えばチャランポランだとぼくは思います。
アメリカは「本音と建前」の国です。ですから、建前では「個々の患者の多様性を大切にして」とスノードンは、じゃなかった、スローガンは言います。でも、実際にはガイドラインを何%順守している、とか保険会社が治療薬を決めたり、とか日本よりもずっと医療は平坦です。日本では建前の後ろに本音が隠れているのはわりと皆に共有されていますが、アメリカではきっちり隠しているので、それが見えにくい(言ってる本人すら、自分の本音に気づいていないことも。例えば人種差別とか)。こんなこと書いてたら、やばいんでしょうか、スノードンさん。
ま、それはいいとして。
最近では、そのアメリカでも「やはり患者の個々の多様性を大切に治療しよう」という流れも出てきています。例えば、糖尿病です。糖尿病は血糖が高いのが問題で、その高血糖がちいちゃな血管、大きな血管を壊してしまうのが問題で、そのために目が見えなくなったり、オシッコがでなくなったり、心臓発作が起きてしまうのが問題です。だから、治療の目標は「血糖値を正常化させる」となります。
確かに理論的にはそうなんですが、現実世界は理想社会とは違います。我々をびっくりさせたACCORD(アコード)という研究があり、厳密に血糖を低くしようと頑張ると、むしろ死亡率が高くなってしまうという研究結果が出たのです(N. Engl. J. Med. 2011 Mar 3;364(9):818‐28)。これは、現実世界では血糖が低くなりすぎて、そちらの不利益が大きく出てしまう患者さんも少なくない、ということを意味しています。難しいですね。
これを受けて、アメリカ糖尿病学会(ADA)は血糖コントロールの目標を多様化し、患者さんの特徴(個性)に合わせて治療のやり方を変えましょうね、という方針にしました(http://care.diabetesjournals.org/content/36/Supplement_1/S4.full)。糖尿病の血糖値の指標、ヘモグロビンエーワンシー(HbA1c)を、「がんばって血糖正常化を目指す場合」は厳しめの6.5%、「そういうのが難しい人は」わりとゆるめの8.0%、その間の人は7.0%と、血糖コントロールの目標を三分割したのです。日本糖尿病学会も、これを受けて(?)だいたい似たような推奨になっています(http://www.jds.or.jp/modules/important/index.php?page=article&storyid=41)。
これは、糖尿病の治療の仕方だって人それぞれ、いろいろあってもよい、という考え方です。検査そのもの(ヘモグロビンエーワンシーや血糖値)だけを治療してきた、比較的画一的だったアメリカや日本の医療現場も、成熟の兆しが見られている、そうぼくは思います。
糖尿病のみならず、これからの医療は「何のために」という本当の目標(アウトカム)と、患者さんの人生観、価値観とのすり合わせでどんどん多様化していくと思います。検査そのものを治療してきたこれまでの医療から、うまく脱皮できるといいですね。
とはいえ!
「患者さんにもいろいろいるから、同じように治療はできないね」という考え方は少しずつ広まってきています。しかし、残念ながら、一律に同じような治療を提供している医者が多いこともまた事実です。「尿酸が高ければアロプリノール」みたいなのが、その典型です。
多様化に向かう糖尿病治療ですが、現場レベルではハテナ、な治療もよく見られます。血糖値やヘモグロビンエーワンシー「そのもの」を治療目標にしていることも少なくありません。そのような糖尿病治療の問題、治療薬の問題について、次回は検討してみますね。お楽しみに。
では、病気の治し方だっていろいろあってもよいんじゃないか。
15歳の少年と、99歳の翁では、人生観も健康観も、将来の目標も違うのが自然です(おんなじってことは、ないですよねえ)。であれば、両者に同じ医療を提供し、同じ治療をするのはちょっと不自然だと思いませんか。
このような「みんな同じじゃなきゃダメ」的な考え方を同調圧力なんて呼んだりします。日本は同調圧力が強い国で、「出る杭は打たれ」やすい社会です。
でも、ぼくが思うに「自由の国」と思われがちなアメリカもけっこう同調圧力が強い国です。アメリカ的価値観に同調しないと捨てられちゃう。
医療においても「みんな同じように治療」圧力がより強いのはアメリカで、日本の医者のほうが、よく言えば臨機応変、悪く言えばチャランポランだとぼくは思います。
アメリカは「本音と建前」の国です。ですから、建前では「個々の患者の多様性を大切にして」とスノードンは、じゃなかった、スローガンは言います。でも、実際にはガイドラインを何%順守している、とか保険会社が治療薬を決めたり、とか日本よりもずっと医療は平坦です。日本では建前の後ろに本音が隠れているのはわりと皆に共有されていますが、アメリカではきっちり隠しているので、それが見えにくい(言ってる本人すら、自分の本音に気づいていないことも。例えば人種差別とか)。こんなこと書いてたら、やばいんでしょうか、スノードンさん。
ま、それはいいとして。
最近では、そのアメリカでも「やはり患者の個々の多様性を大切に治療しよう」という流れも出てきています。例えば、糖尿病です。糖尿病は血糖が高いのが問題で、その高血糖がちいちゃな血管、大きな血管を壊してしまうのが問題で、そのために目が見えなくなったり、オシッコがでなくなったり、心臓発作が起きてしまうのが問題です。だから、治療の目標は「血糖値を正常化させる」となります。
確かに理論的にはそうなんですが、現実世界は理想社会とは違います。我々をびっくりさせたACCORD(アコード)という研究があり、厳密に血糖を低くしようと頑張ると、むしろ死亡率が高くなってしまうという研究結果が出たのです(N. Engl. J. Med. 2011 Mar 3;364(9):818‐28)。これは、現実世界では血糖が低くなりすぎて、そちらの不利益が大きく出てしまう患者さんも少なくない、ということを意味しています。難しいですね。
これを受けて、アメリカ糖尿病学会(ADA)は血糖コントロールの目標を多様化し、患者さんの特徴(個性)に合わせて治療のやり方を変えましょうね、という方針にしました(http://care.diabetesjournals.org/content/36/Supplement_1/S4.full)。糖尿病の血糖値の指標、ヘモグロビンエーワンシー(HbA1c)を、「がんばって血糖正常化を目指す場合」は厳しめの6.5%、「そういうのが難しい人は」わりとゆるめの8.0%、その間の人は7.0%と、血糖コントロールの目標を三分割したのです。日本糖尿病学会も、これを受けて(?)だいたい似たような推奨になっています(http://www.jds.or.jp/modules/important/index.php?page=article&storyid=41)。
これは、糖尿病の治療の仕方だって人それぞれ、いろいろあってもよい、という考え方です。検査そのもの(ヘモグロビンエーワンシーや血糖値)だけを治療してきた、比較的画一的だったアメリカや日本の医療現場も、成熟の兆しが見られている、そうぼくは思います。
糖尿病のみならず、これからの医療は「何のために」という本当の目標(アウトカム)と、患者さんの人生観、価値観とのすり合わせでどんどん多様化していくと思います。検査そのものを治療してきたこれまでの医療から、うまく脱皮できるといいですね。
とはいえ!
「患者さんにもいろいろいるから、同じように治療はできないね」という考え方は少しずつ広まってきています。しかし、残念ながら、一律に同じような治療を提供している医者が多いこともまた事実です。「尿酸が高ければアロプリノール」みたいなのが、その典型です。
多様化に向かう糖尿病治療ですが、現場レベルではハテナ、な治療もよく見られます。血糖値やヘモグロビンエーワンシー「そのもの」を治療目標にしていることも少なくありません。そのような糖尿病治療の問題、治療薬の問題について、次回は検討してみますね。お楽しみに。
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