iPS細胞を用いた臨床試験絡みの捏造問題で、読売新聞ら複数の報道機関が誤報した件が問題になっている。読売編集局長は「おわび」の文を発表した。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121013-OYT1T00115.htm?from=popin
しかし、
(引用)京都大の山中伸弥教授がノーベル生理学・医学賞を受賞することが決まった直後で、難治の病に苦しむ患者さんにとって「夢の治療」を身近に感じられる記事だったに違いありません。本社には、読者の方から「心強く勇気付けられた」という声も届きました。(引用終わり)
と、患者さんのニーズがあったから、やむを得ない事情もあった、、、、同情の余地あり的なニュアンスのコメントもあるし、
(引用)自ら本紙記者に売り込んできた東大医学部付属病院特任研究員で「ハーバード大客員講師」を称 する森口氏は、口頭での発表を予定していた日、国際会議の会場に姿を現しませんでした。また、ハーバード大も、手術を実施したとされた病院も、移植手術を 否定し、論文の共同執筆者に名を連ねる研究者も、論文の存在やその内容を知らないなどと答えました。「事実だ」と主張し続ける森口氏の説明は客観的な根拠がなく、説明もまったく要領を得ません。私たちはそれを見抜けなかった取材の甘さを率直に反省し、記者の専門知識をさらに高める努力をしていきます。(引用終わり)
と、悪逆な研究者の不当な行為に振り回された、我々も被害者なんだよ、という思いがにじみ出ている。それでも「被害」にあったのはこちらの甘さだから、そこ(だけ)は反省していますよ、と。
事実、新聞週間をネタにした同誌14日の社説ではこの「誤報」について一言も触れていない。この社説が、実にひどい。東日本大震災を始め、自分たちが報道してきたニュースの価値の高さを喧伝し、「世論調査では、「情報や知識を得るために新聞はこれからも必要だ」と答えた人が89%に達した」と「まだまだ新聞は必要」だとアピールする。こういう質問の仕方をすれば、大抵の人はイエスと答えるだろうけど。「新聞」をラジオやテレビや雑誌に変えても同じようなパーセンテージになっただろう。
「新聞が果たすべき役割は大きい。読者の期待に応えて、正確な報道と責任ある論説を提供できているのか。日々、自問しながら、最善の紙面をお届けしたい」とまで書く。ここまで書くならiPSの誤報について全く触れないのはむしろ不自然だ。続く文章はほとんどブラックジョークで苦笑を禁じ得ない。
(引用)「事実を丹念に掘り起こし、真相に迫っていくことも、新聞に課せられた大切な使命である。今年度の新聞協会賞(編集部門)を受賞したのは、読売新聞の「東電女性社員殺害事件の再審を巡る一連の特報」だった。無期懲役が確定していたネパール人元被告が冤罪(えんざい)である可能性を示すDNA鑑定結果を報じた。元被告に有利な証拠を検察側が弁護側に開示せず、捜査を尽くしていなかったことも明らかにした。見立てに合わない物証を軽視する、ずさんな捜査を浮き彫りにしたと言えよう。ただ、元被告は1997年に逮捕されて以来、一貫して無実を訴えていた。なぜ、もっと早く、捜査の問題点に切り込めなかったのか。過去の報道を振り返る時、忸怩(じくじ)たる思いが残る。公権力が適正に行使されているか、厳しくチェックする。改めて報道の原点を確認したい」(引用終わり)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20121013-OYT1T01199.htm
新聞も立派な「権力」であるが(「公」権力かどうかは、微妙、、、)、しばしば新聞は自分たちは権力の側ではなく、民衆の立場にいると思わせたがる。「見立てに合わない物証を軽視」してきたのは、いったいどちらなのか。
さて、読売などのメディアは悪逆な研究者に騙された被害者だった、でよいのだろうか。もちろん、この研究者を弁護する気は毛頭ないが、メディアが無垢でかわいそうな被害者で、「甘かった」だけが問題だとするならば、大きな誤謬である。
日本の科学記事は非常に質が低い。そのことをぼくは、あちこちで何度も指摘してきた。この質の低さが今回のような事件の温床になったのである。
日本の医学記事は、「自分で考えていない」記事である。科学者の提灯担ぎなのである。そして、伝統的に研究者の自己申告、要するに研究者の宣伝である。その宣伝のお先棒をメディアは担いでいるのである。だから、iPS細胞の話を研究者から記者に「持ちかけてきた」のである。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121013-OYT1T00140.htm?from=popin
ニューヨーク・タイムズなどアメリカのクオリティーペーパーにも科学記事は良く載るが、ほとんどが「ニューイングランド」や「サイエンス」といった雑誌に「掲載された」論文を紹介する記事である。しかし、日本では論文になった記事がニュースになることはほとんどない。「この研究の成果はネイチャーメディシンに掲載される予定」、、、みたいなのがほとんどだ。「掲載される前に」報道されるのだ。
ネイチャー・メディシンが記者会見を開くことはほとんどない。研究者自身が、「こんど、俺の研究がネイチャー・メディシンに載るんで、記事にしてくれ」とリークするのである。それにホイホイと記者が乗っかるのである。
今回の研究者もネイチャー、ニューイングランド、ランセットなどにレターを掲載し「論文を載せていた」と述べていたという。調べればすぐ分かる話だ(pubmedで調べたらこの研究者の業績27、、、本日分、、、はすべて簡単にわかった)。研究者の話だけを取材して、元論文を読まないからこうなるのである。このようにして、昔ランセットにインフルエンザ脳症に関する「レター」が報道され、「へんだなあ」と思ったことがある(報道元忘れました。ご存知のかたは教えてください)。
http://blogs.yahoo.co.jp/slow_eco_life_is_beautiful/30855539.html
したがって、日本のメディアが報道する医学記事は大多数が「日本の研究者発」の研究だ。アメリカやヨーロッパの研究者は読売新聞に電話をかけたりしないからだ。本来、科学記事とは科学の成果がなんであるか、を記事にするものだ。研究者がなに人であるかは本質的に関係ない。しかし、日本の場合はそれが「誰が」行ったかを主体にして記事にしているのである。よって、ノーベル賞も受賞内容よりも「日本人か否か」だけが話題の種となる。
研究者が自身のアピールのためにメディアを活用し、メディアは原著論文を読む能力の欠如を研究者のエゴにより補填されている。このような共犯関係は、いわば利益相反に抵触する。
研究者の「アピールだから」当然、業績は誇大広告になる。論文であれば、業績は精緻な議論と制限が加わるが、科学者自身は「偉大な業績」とアピールし、その臨床応用もすぐ近い、、的に言ってしまいがちだ。だから、日本の医学記事ではマウスの実験レベルで「なんとか病の新治療に期待」みたいな記事を作るのだ。日本の新聞が出す科学記事は、だから見出しを読んでも何の話だかさっぱり分からない。記事を読んでもよく分からないものも、少なくない。
これはメディア側だけでなく、それを期待する読者のリテラシーにも問題がある。このような読売新聞の科学記事のあり方を支持してきた1000万人近くの読者のリテラシーが問題なのである。
今回の問題には経歴詐称が絡む。もちろん、経歴詐称はよくない。しかし、詐称は何故起きるのかというと、詐称による利得があるからだ。権威に阿るメディアと読者がいるからなのである。「ハーバードの日本人研究者」と聞いただけで涎を流して飛びついてしまう記者と、デスクと、読者の権威主義が問題なのである。本来、権威主義とは科学の最大の敵なのにね。拙著「リスクの食べ方」では、「ハーバードの研究者」が書いた健康本がいかに「とんでも」なのかを検討している。こういう本が売れている事自体、我々がいかにイメージだけでものを見ているのかがよく分かるのである。
したがって、読売新聞が「かわいそうな被害者」だと自己を認識している限り、同じようなことはまた必ず起きる。リーク、速報、特ダネ的な報道を重視し、速報を重んじ、地に足のついた、熟慮と主体性をもった報道をしない限り、同じことは必ず起きる。そうでないという反論があるのなら、ぜひそれを成果(=意味のある記事)にして、プロの矜持を見せていただきたい、ほんとに。
お目にかかったこともないのにコメントを投稿するのは失礼かもしれませんが、一点だけ指摘させてください。私は某紙で科学担当の記者をしている者です。
>ニューヨーク・タイムズなどアメリカのクオリティーペーパーにも科学記事は良く載るが、ほとんどが「ニューイングランド」や「サイエンス」といった雑誌に「掲載された」論文を紹介する記事である。しかし、日本では論文になった記事がニュースになることはほとんどない。
このようにお書きですが、日本の新聞にも「掲載された」論文を紹介する記事が載ることは頻繁にあります。google newsで検索しただけでも、以下のような記事がすぐに見つかります。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012112200050
http://digital.asahi.com/articles/TKY201211170362.html
http://www.47news.jp/news/2012/11/post_20121115030100.html
付け加えれば、論文が掲載される前に記事が書かれるケースには、二つのパターンがあります。ひとつには、研究者ないし研究者の所属機関からプレスリリースが出るなど、ご指摘のように「売り込み」といえるようなもの。もうひとつは、記者自身が科学誌を事前にチェックして、掲載とタイミングを合わせて記事にするものです。
ネイチャーやサイエンスなど大手の科学誌は、掲載する論文の内容を記者に対して事前にメールで送ってきます。ただし論文掲載前に記事にしてはいけないという「しばり」つきです。論文掲載と同時に「解禁」されるのです。こうしたケースは、ご指摘のような「売り込み」にはあたりません。
国内メディアが日本人の研究ばかりをとりあげ、そうした記事が誇大気味になるのではないか、というご指摘については、私もほぼ同意いたします。また、確信は持てていないのですが、とくに医学系の記事でそのような傾向が強いような気も少ししています。
投稿情報: 亮磨 小宮山 | 2012/11/24 12:23