いや、これは実に面白かった。調べ物をしているついでの衝動買いで、そのまま「積ん読」状態だったのだが、今いろいろな歴史を調べている流れで読んだ。そういうわけで、(申し訳ありませんが)読む気まんまんで開いた本ではなかったが、面白くて夢中になって読みきってしまった。
ぼくは人事と政局の話が嫌いである。でも、周囲は人事と政局の話しかしない人が多い。そういう話しかしない人は品のない人が多いので、ますますこういう話をするのが嫌いになる。医師会とか厚労省のネタも、人事=ポストと政局=人脈の話が中心になりがちなので、ついつい避けていた。しかし、このような感情的な忌避の態度は反省せねばならないと思った。必要なことは好き嫌いなく勉強しなければならないからだ。本書も人事と政局の話がたくさん出てくるが、それを「歴史」として捉えればとても参考になる。勉強になる。だから、そういう話題も忌み嫌わずに勉強しなければな、とは思った。ま、日本の医療制度が理念やデータよりも政局で決められていくのは、どうもなあ、と思うし、政局マニアになってしたり顔で「こういうときはなんとか党のなんとか議員に根回しして、、、」とか解説するような人間にだけはなりたくないけど。
予防接種の本を書いた時、そして「日本の科学技術」において日本の感染症史をまとめたとき、それぞれについて歴史的なバックグラウンドは集中して勉強した。歴史を勉強してから現状を観察すると、いろいろ気がつくことが多い。
特に興味深かったのが武見太郎である。なんとなく古い日本医療体制の代表、というイメージを抱いていたが、本書を読むと、かなり彼の医療観には共感できることは多い。例えば、医師は「名誉ある自由人」であり、自律的に責任をもって診療すべきで、外的な管理のもとで(たとえば、マネジドケアとか厚労省の規制による)医療を行うのはよくない、という意見。あるいは、インフォームドコンセントを好ましくないと考える点(ただし、武見とぼくとではインフォームドコンセントに関する理解はかなり違っているとは思う。武見のそれは明治人の医療者のパターナリスティックな医療をよしとするためのそれで、ぼくのそれはアメリカ的なインフォームドコンセントの欺瞞がもたらす医療者・患者の信頼関係の損失を問題にしているから)。あるいは、研究者への敬意。
また、武見の「医師会員の3分の1はほおっておいても勉強して進歩する医学についていき、国民に還元する。3分の1は指導者によってどちらにもいく。残りは「欲張り村の村長」である」という意見はなるほどなあ、と思う。このように医師会員という概念を画一的にとらえずに(そうするとよいとか悪いの二元論になってしまう)、3つに分けると確かにうまく理解できる。武見の複雑な言動も、この3者の調整作業と考えると理解しやすい。
もともと日本にマネジドケア的な医療があったこと(ペニシリンの量的規制など)、日医総研誕生の経緯など、知らなかったことがたくさんあった。もちろん、本書は「水野史観」であり、異論はあると思うが、その分析は多角的でかつ深く、ぼくには納得の行くものが多かった(もちろん、インフォームドコンセントなど、水野氏の見解に全面的に賛同するわけでもないけど)。
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