新刊の宣伝です。以前、「レジデントノート」に連載していた指導術の連載を大幅に書き改め、漫画をつけて出版します。V3のあとはストロンガーかよ、と思わずぜひ御覧ください。類書では絶対に得られない「何か」を提供したいと思っています。面白いですよ。
本書で特に目指したのは、教える側と教わる側のシンクロニシティーの獲得です。よく、医学教育の教科書には、「一番ダメな指導医は一貫性がないことだ」と書いてあります。あのときは心電図とれ、と言ったのに、別の時は心電図要らないと言う。こういう指導医は研修医的にはとても困るわけです。
ただし、そこには落とし穴があります。研修医と指導医では、見えている「光景」が違うのです。研修医的には「あのとき」と「別の時」は同じ現象で、心電図をとれと言ったり取るなという指導医は理不尽な指導医です。しかし、指導医的には「あのとき」と「別の時」は別の現象かもしれません。そのことが、研修医に了解されていないだけなのかもしれない。その意識のギャップはどこかで埋めてあげないと、指導医に対する研修医の理不尽なルサンチマンだけが醸造されます。
全国の指導医講習会を見ていて一番不満なのは、タスクがとても指導医に対して冷たいことです。お前らみたいなダメ指導医にあれをするな、これもけしからんとタブーを連呼します。でも、教育の要諦が「人を萎縮させない」ことにあるのなら、あのような権威的で萎縮作用の強い指導医講習会は極めてカウンタープロダクティブです。教育学の専門家(の一部)に僕が不満なのは、そういうダブルスタンダードを平気で行なって、それで得意になっているイヤラシさにあります。
で、本書では、指導医にああしろ、こうすべきという主張を行うだけでなく、研修医側の「教わり方」にも言及します。卵をひなが中から突く、外から親鳥が突く、「卒啄」です。研修医と指導医は対立概念ではありません。両者が同じ方向を向いて(あれ、卒啄だと同じ方向は向けないか、、、)、共通のアウトカムを目指して頑張ることです。そのために、指導医は頑張りましょう、研修医も頑張りましょう、、という応援歌が、本書なのです。
拝読させて頂きました.
より良い指導医を目指しておりますが,教育学を学ぶ機会に恵まれず,
交流分析とか勉強しなおすくらいに試行錯誤しています.
それでも決め台詞はこんな感じ↓です.
「サマリーとプレゼンテーション,女子のスカートは,
短ければ短いほど良い.大事なところが押さえられないと困るのも共通.」
投稿情報: Lastwill22 | 2012/09/05 21:17