学生や研修医を教えていると、気づくことがある。それは、ある日突然、飛躍的な成長を見せるという稀有な現象が起きること。これをぼくらは「化けた」と呼ぶ。これまで凡庸だった、「こいつはだめだな」と思っていた彼(女)が、ある日急にググンと飛躍する。将来が楽しみな大器になる。ときどき、こういうことが起きる。
化けるきっかけは、あるエピソードがもたらすことが多い。しかし、どのエピソードが「化け」をもたらすかは、ぼくらにはわからない。そのような計算が出来れば、計画的に「では、3ヶ月後に研修医Aを「化け」の体験に遭遇させましょう」とシラバスを書けるわけだが、そうは問屋がおろさない(シラバスなんて意味ないんだよ)。「化け」のエピソードは指導医が予想も出来なかった形である日突然やってくる。きっかけはポジティブな体験のこともあれば、ネガティブな体験のこともある。しかし、同じ体験をしても化けないことも多く、かえってダメになってしまう(自信過剰になって天狗になってしまう、落ち込んで自信を失ってしまうなど)ことも少なくない。繰り返すが、これは計算してできることではないのである。
もちろん、ぼくはオリンピックの男子サッカー代表の話をしている。彼らは化けた。スペイン戦で化けた。その萌芽は前哨戦のメキシコ戦でも見えていたが、そこでは「化け」は起きていなかった。スペインに誰もが納得行く形で勝って、彼らは化けた。彼らの立ち居振る舞いは、モロッコ戦でも、ホンジュラス戦でも、またエジプト戦でもこれまでとは違うものであった。それは勇者のそれであった。勝てるといいなあ、と期待する新参者ではなく、時節が味方すれば勝つべくして勝つであろう集団のそれであった。
国内での壮行試合までの彼らは、全然期待できないチームだった。技術はあるがメンタルに弱い、またいつかのように敗退するであろうチームであった。OA枠の吉田たちが入ってメンタルのテコ入れがなされた影響は大きい。しかし、ここまでの「化け」はさすがに関塚監督も計算外だったのではないか。いや、サッカー界の誰も想像していなかったのではないか。
同じことが2011年、なでしこジャパンにも起きた。鍵は準々決勝にある。ダークホース、アンダードッグはベスト8までは頑張れる。しかし、運と根性だけではベスト8の壁は突き抜けられない。あの日、なでしこは下馬評を覆し、ドイツに勝って「化けた」。単なる好チームから、勝つべくして勝つ強豪の仲間入りをした。ワールドカップではドイツ戦もアメリカ戦も防戦一方、実際には薄氷を踏む思いで勝ったのが事実である。相手の警戒もあって、オリンピックは厳しいのではないかとぼくは感じていた。しかし「化けて」しまった彼女たちは違う。苦境にあっても落ち着いて、勝つべくしてベスト8の壁を超えた。本物になったのである。同じように男子も、68年以来越えられなかった壁を越えた。「化けた」のである。ベスト4入りとは、そういうことを意味する。
韓国もイギリスに勝ってベスト4入りした。この年は東アジア飛翔、「化けた」年として記憶されよう。もちろん、かつてもアジアが躍進したことはある。66年の北朝鮮、02年の韓国。しかし、両者は単にアンダードッグの活躍であり、継続性のある「化け」ではなかった。特に後者はホームのアドバンテージ、審判の誤審もあってのそれであり、けっしてチームそのものが「化けた」わけではない。韓国はそれ以前もそれ以降もWCでは下っ端だったのだ。もちろん、日本もそうであった。しかし、今年その立場は変化したように僕は思う。90年台のアフリカ諸国が起こした「化け」をアジアも起こしたのだ。
日本は、メキシコの亡霊と戦っていた。いつになっても「68年の銅メダル」の威光にかなわなかった。その伝説にピリオドを打つ最大のチャンスである、今回は。それが準決勝のメキシコ戦において、そうであるというのはなんたる運命のいたずらか。
メキシコの亡霊が日本のサッカー界におよぼした影響は大きい。光の部分も、影の部分も。しかし、もうメキシコの亡霊からおさらばする時期に来ていると僕は思う。日本は化け、異なるステージのもとで今後は戦うのである。そう願いたいのである、ぼくは。
サッカー界において、「上」の世界にある国は稀有である。WC優勝体験国が極めて少ないことが、その象徴だ。女子において、日本は化け、そのプレスティージあるグループに参与した。アメリカ、ドイツなどの強豪国のメンバー入りをしたのである。なでしこを悪く言うチームがあっても、なでしこを軽く見たり、なめてかかるチームは世界で皆無なのである。同じように、男子もこのメンバー入りをしてほしい。ブラジル、ドイツ、イタリア、フランスたちの「メンバー・オンリー」なメンバーだ。オリンピックに優勝すれば、その椅子は日本にも提供されよう。やれやれ、日本代表がオリンピックに優勝すれば、、という話をリアルにしている自分に驚く。ロス、ソウル、バルセロナとアジア地区予選で惨敗し、アトランタで一瞬の「奇跡」を見せ、シドニーでベスト8の壁を越えられず(そこに中田がいた!)、あとはお決まりの予選敗退を繰り返したあの日本代表である。30年近く待った。待ったかいがあったと思わせて欲しい。
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