クローズアップ現代で、夜行バス業者が運転手を厳しい労働条件で労務させ、居眠り運転が構造化していることを指摘していた。
原発事故など象徴的だが、安全にはコストが発生する。コストカットを繰り返していくと、安全は目減りする。当然のことである。法外に安価なサービスにおいては、その安全性が安売りされていることを、我々ユーザーももっと自覚しておくべきである。
安全性の吟味は安全性の吟味として独立して行われなければならない。原発再稼働に多くが納得しないのは、安全性の議論を「効率性、経済性、利便性」の議論に論者がすり替えており、「大丈夫ですよ。もう今後は原発は十全に安全になりましたよ」という語り口をする人が(どんな積極的原発推進派ですら)ほぼ皆無である点であろう。(原発が安全かは、まあおいておいて)停電になるとみんな困りますよ、が今の語り口ではないか。議論の根幹から間違っているのである。
さて、効率を重視すると夜行バスドライバーの睡眠と集中力は安売りされる。そこに事故の温床が生まれる。ドライバーを二人に増やせばこのリスクは減じるが、当然コストは増す。多くの業者はこれを苦痛に思うので、そうはしない。マルクスの時代のイギリスの重工業と同じ構造問題がここに見られている。
これは、他人事ではない。医師の世界でも同じロジックは多々見られるからである。
当直明けの手術をしない医療機関に診療加算をつける、と厚労省が発表した時、多くの外科医は反発した「あいつらは現場を知らない」と官僚を批判したのである。
同じことを、バス会社にも言えるだろうか。「お前らはバス業界の現場を知らない。そんな甘っちょろいことを言っていてこの世界で生き延びていけるか。事故なんてたまにしか起きないんだから、あんたら素人は黙っててくれよ」
このバス業界を「医療界」に置き換えた言葉を、ぼくは医療現場でしばしば耳にする。さて、業界外の人たちはこのような「現場の叫び」を納得してくれるとお考えだろうか。
ぼくは亀田総合病院に赴任した2004年、総合診療・感染症科医師に2つのルールを設けた。
1.当直明けは、家に帰る。
2.週に1回は24時間連続の完全オフをとる。
上記2つを科の医師の「義務」としたのである。
そう、これは医師の権利ではない。患者の安全確保のための義務である。したがって、やる気満々で、「おれはまだ大丈夫」と当直明けでも残って仕事をしようとした鼻息荒い研修医は、ぼくに強く叱責されたのである。「おまえら、自分のエゴで医療やるんじゃない。とっとと家に帰れ」と。それは当時(今でも)医療界ではかなりラディカルな発想だったので、定着には時間がかかった。軍人やパイロットには常識なのにね。
いずれにしても、このシステムはきちんと機能した。神戸大感染症内科でも機能している。
忙しい現場でそんなこと無理、と多くは考えるが、ぼくはそうは考えない。常にもてるリソースから逆算して考える。今のリソースをどこまで活用させ、どこまでできるか、をリアルにクールに考える。
そうすることで、無駄な時間の使い方にもメスが入る。それでなくても医師は時間の使い方には無神経なことが多く、その病理は会議におけるやたらに無駄で長い議論で表象化する。
だから必要なのは、「当直明けでオペしないなんて、できるわけない」というステートメントではない。「当直明けでオペをしなくてよいようにするためには、どのような体制としくみと工夫があれば可能か」というステートメントが必要なのである。
そうしなければ、早晩、必ず「寝不足が原因」による医療事故は起きる。事実、アメリカではそれが1980年代に起き、研修医の労働条件を激変させるベルコミッションのもとになった。これは「起きるか否か」ではなく「いつ起きるか」の問題である。そのときに、「業界も官公庁も問題の存在に気付いていながら、何ら抜本的な対策をとっていなかった、、、」とクローズアップ現代でアナウンスされないよう、ぼくらは「今」基本的な発想の転換を必要としているのだ。「今の常識」ではなく、未来のあり方を語るべきなのだ。
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