長谷部誠の「心を整える」の帯を娘がくしゃくしゃにしてしまった。ちょっと目を離すとすぐこれである。
でも、本書はとても読みごたえのある良書だと思ったが、帯の文は全然感心しなかったので、ま、いいやと思って帯はゴミ箱にポイ。
帯には「誰もが実践できるメンタル術」とあるが、もちろん、ほとんどの人にはマネができない。そりゃ、表面的な模倣はできるだろう。カラオケでミスチルを唄うとか、スパイクに「誠」の刺繍をするとか。そのようなパターンの模倣が長谷部を作るわけではない。サブタイトルにあるような「勝利をたぐり寄せるための56の習慣」というのも多分編集部が考えたのだと思うけれど、完全にポイントを外していると思う。
本書を読んで長谷部がすごいなと思ったのは、彼がとても主体的、自律的に生きており、かつ主体性を保ちながらも監督やチームメイトと同じ目標のために調和できる点である。ラモスや中田のようにただ我儘に突っ張るのでもなく、かといって周りに同調するのでもなく。その微妙な心の調整をコンスタントに行っているところがすごいと思う。とても余人にマネのできることではない。
というわけで、日本の書籍はタイトルと内容が噛みあわないことが多い。もちろん、本書はベストセラーになったのだから、帯やサブタイトルをかんがえた(であろう)編集部はほくそ笑んでいるであろう。でもそれは「売れればよい」という利潤原理主義であり、書物を純粋に愛したり、その質を高く持ちたいと思う精神の放棄である。長谷部の真意は帯に反映されておらず、編集者としての良心はそこに見られない。そこにあるのはどん欲(greed)だけである。ということは、ギャラが低いチームを敢えて選んだ長谷部の真意が編集者には伝わっていないということだ。長谷部の本、ホントの意味で読んだの?と思ってしまう。
僕も、自分の書いた本のタイトルで編集部に強要されていることがあり、とても不本意に思うことがある。タイトルと内容が違う!という批判を受けることがあるが、それは僕のせいじゃありません(キッパリ)。
ある学会で頼まれていた教育講演のタイトルを「リアルでクールな感染症診療」としたら(最近これが多い)、「感染症を専門にしない人」にもわかるようなタイトルに直すよう、要請された。
たかがタイトルであるから、まあいいや、と月並みなタイトルに戻したが、ちょっと引っかからないでもない。
リアルもクールも感染症の専門用語ではない。だから、専門家じゃない人だって簡単に理解できるはずだ。「CLSIとFDA的NNISを考慮に入れた、PK/PDに配慮したde-escalationのprodrugとしてのdual therapy」のほうがよほど意味不明である(勝手に創作したのでもちろん僕にも意味不明です)。単に「学会っぽくない」、定型的でないのがお気に召さなかったのだろう。
でも、僕はクリシェな「臨床現場で役に立つde-escalation。内科医の立場から」みたいなタイトルは好きになれない。そもそも、「なんとかの立場から」、、という立場性を強調する言い方や考え方はどちらかというと嫌いである。
ま、タイトルなんてジオングの脚みたいなもんだし、忘れちゃえ。長谷部の本を読んで、イヤなことはすぐに忘れるよう務めることにしました。
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