内閣不信任案が提出された。僕は菅さんと会ったこともないし、彼が総理にふさわしい人なのかどうかもしらない。今となってはほとんど興味すらない。
石巻日赤病院での話をしたい。
ほんの数日の体験談なので当然バイアスがかかっているかもしれないけれど、まあそこは引き算して聞いてほしい話である。
石巻日赤が統括する医療班は、全国から多種多様なバックグラウンドをもってやってきた混成集団である。ジェネラリストもいればスペシャリストもおり、内科系もいれば外科系もおり、大学病院から来た人もいれば医師会派遣の開業医もいる。医師だけでなく、ナースも、薬剤師も、保健師も、放射線技師も、事務職もいる。周辺にはボランティア、NPO、本当に多種多様な人たちがいる。その受けてきた教育も、主義主張も、哲学も、生命観も、医療観もバラバラである。
毎夕18時になると医療班は石巻日赤に集まって会合を開く。この会合が印象的であった。皆の語り口がとても静かなのである。石巻にいるプロパーの医療者たちは、数ヶ月にわたる被災後の医療支援でどろどろに疲れ切っているように僕には見えた。外からやってきた僕たちはそれをなんとなく察していた。自分たちが数日だけ被災地にいて、また余震もない安全なわが家に帰っていくことへの後ろめたさも感じていた。広範な被害で行政も壊滅的な打撃を受け、連絡の行き違い、すれ違い、ダブルブッキング、バッティングなど、日常の業務では「イライラする」ようなアクシデントもちょこちょことあった。通常医療が全く行えないインフラ下で、「もっとこうすべきだ」とか「ここがけしからん」と居丈高になって怒鳴り込む人が現れてもよさそうなものなのに、そういう人はいない。それは、こういう危機的状況の中では、それにふさわしい語り口が、穏やかで静かな語り口が必要であると皆がそれとなく察していたからだと僕は思う。会合は実に建設的に、静かに、淡々と行われた。
避難所もこんな感じで、僕は4ヶ所しか見ていないけれど、とても静かだったのが印象的だった。もちろん、いろいろ不満はあるのだろうけれども、大きな声で怒鳴っているような(ときどき病院の入り口で見るような、、、)人は見かけなかった。大きな困難に立ち向かうには、まず皆が同じ方向を向くこと。怒鳴るのではなく、静かに口を開くことが大切なのだと直感的にみなが察していたからなのかもしれない(想像だけど)。
タクシーに乗る。テレビをつける。予算委員会の中継をやっていた。皆が大声で怒鳴りあっている。全国にテレビ中継されているなかで、人格攻撃である。人を批判するときは人格攻撃はしてはいけないと、誰かに教わったことはないのだろうか。
これで分かった。国会は、「現場」ではないのである。ああやって居丈高に大声で人を攻撃できる人は、たいていは「外」にいるひとなのである。ちょうど、野球場の観客が大声でやじをあげるように。現場で働き、責任をとる立場の人は決してああいう振る舞いはしない。
総理が変わろうが、政権が変わろうが、彼らが「野球場の見苦しい観客」のままでいる間は、日本の政治はいつまでもおんなじだと僕は感じる。グラウンドに降りていき、やじを飛ばすなんて無意味なことをしないで、ちゃんとプレーをしたらよいのに。
内閣不信任案を提出した政治家達は、自分のことしか考えていない。選挙で負けては困ると不信任案に反対する政治家達も、自分のことしか考えていない。小沢一郎をやたらにカリスマに絶賛する人もいるが、こういうクライシス時のリーダーには協調性が欠かせず、「誰とでもそれなりに上手くやっていける人」であることが必須である。小沢氏も、むしろいろんな人とケンカ別れをしてしまう人であるから、少なくとも今の時期にはリーダーには向いていない、と僕は思う。一部の人だけに慕われる「親分」ではダメなのである。
現在、民主党の支持率が下がっているが、かといって自民党の支持が上がっているわけでもない。社民党にも共産党にも、その他多くの政党の支持も低い。要するに、僕らはどの政党の政治家にも愛想がつきている。こんかいの不信任案騒ぎでその思いはさらに強くなる。政治家達は、東北に行ってがれきの撤去でも手伝っていたらどうか。これならば、官僚達に政治を任せていた方が「まだ」ましではないか。僕はけっこう、いやかなり、うんざりきている。
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