予防接種で副作用が生じたとき、その責任はどこにあるのか?ワクチンメーカーか?認可した国(あるいは自治体)か?接種した医療者か?接種を希望した本人(あるいは親)の自己責任か?このことを「予防接種は「効く」のか?」で考えた。
ユッケによるO111の汚染の責はどこにあるのか?畜産業か?食肉処理業?卸売業者?調理者?提供したお店?子どもに食べさせたコンシューマー?厚労省?
コンシューマーは関係ないだろう、という意見もあるかもしれない。しかし、出された食べ物のリスクをコンシューマーが認識全然しなくてよい、とどこまで決めるかは意外に難しい。僕らは、アメリカのマクドナルドで、熱いコーヒーをこぼして火傷した人がマックを訴えた逸話を知っている。熱いコーヒーがマクドナルドの責任ではないのなら(「常識的には」僕らはそうかんがえるはずだ)、生肉に食中毒のリスクがあると考えるべき(とかんがえる人はいるだろう)消費者の責任がないという根拠はどこまであるのだろう?
ルールのバイオレーションを行ったのが悪いやつだ、、、という考えもあろう。しかし、そのルールは本質的に安全を確保するためのルールなのか、単なる手続き上のルールなのか、あるいは責任逃れのためのルールなのか、日本では非常に分かりにくい。ルールを守る(コンプライアンス)ことが逆にある種の無責任体質を生んでいることを考えると、このルール至上主義もまた問題である。医療の現場でもルールのバイオレーションが諸悪の根源という原則を適応させたら、僕を含めて多くの人はイヤな気分になるんじゃないだろうか。
おそらく、、「予防接種は、、、」で論じたように、「だれに責があるのか?」という文脈で議論することそのものから脱却しないとこのジレンマは解決しないと僕は考えている。
食の安全はデフォルトで得られるものではない。食べるものが安全に決まっているという前提から考え直さなければならない。しかし、もちろん食べないというオプションも存在しない。
そもそも、日本は食の安全においては世界で群を抜いて優れている。途上国で汚染された食物でお腹を壊すなど「日常」である。先進国でも、例えばアメリカでは毎年3000人かそれ以上の人が食物汚染で命を落としている。6人に一人は食中毒になっているから、すごい。大腸菌(O157H7)の被害も相当にある。したがって、食の安全を万全にしたかったら、まず海外に行くのをやめるべきである。日本においてO111による死亡被害は初めてだ。このようなことはレアケースなのである(普通に書いていてたまたまこうなったので、別にダジャレのつもりはない)。
では、日本にいれば安全かというともちろんそんなことはない。
生肉だけが食のリスクではない。O157対策を「完璧」にしたければ、生野菜も 生卵もアウトである。生魚も各種細菌感染、寄生虫感染のリスクがある。だから、僕はCD4の低いエイズ患者には生卵、生野菜、生魚、生肉の類いはすべてとらぬようアドバイスしている。このようなリスクヘッジはどこまで許容され、あるいは強要されるべきなのだろうか?
火を通しすぎると焦げる。焦げた魚が発がん物質とはぼくが子どもの時に聞かされた話だ。それは、たとえば放射性ヨウ素のように、時間塗料に依存して(すくなくとも部分的には)、健康リスクは「ゼロとは言えない」。ゼロとはいえないといえば、たいていのことはゼロとはいえない。
(少々皮肉なことに)アメリカでは食べ物に放射線をあてるのがよい対策だと主張するむきもあり、CDCもそうかんがえている。感染症の大家、デニス・マキも前からこれを主張している。が、味が落ちるなどの理由から、反対意見もある。オランダは、ヨーロッパでも希有な生魚(にしん)をたべる国だが、にしんはアニサキスを殺すために冷凍を義務づけられている。多くの日本人はアニサキスのリスクを知りながら、「凍らせると風味が落ちる」とこれを嫌っている。食中毒のリスクをヘッジするために食べ物に放射線を当てること。日本人はこれを許容するだろうか?
われわれ医療者は「割りばし」という食にまつわるツールの安全の責任について散々議論した(しばしば感情的に)。こんにゃくゼリー、もちの違いも考えた。食の安全とはかくも得難い困難である。肥満というアメリカが深刻に直面しているリスクも加味すれば、火を通した肉もマクドナルドもケーキもチョコレートもすべてリスキーである。
さて、内田樹さんが、よくお話になる例。あるとき、内田先生はとても健康に良い食事(内容は忘れた)を始めてとても健康的になった。そうすると、周りが食べている「不健康な食べ物」が気になって仕方がなくなる。アドバイスをし、説教をするようになる。お前、そんなに体に悪いものを食べるんじゃない、、と説く。周りがみんな体に悪いものを食べているのでいつも内田先生はイライラし、怒りっぽくなる。友だちがだんだん周りから去っていく。会うと説教されるからである。そして、内田先生は、「毒と知りつつ」砂糖の多い食事などに戻したら、おおらかなキャラを取り戻したというのである。
別にこの話には教訓もほのめかしもない。そのまんま興味深い話なだけだ。さて、朝食を作ることにしよう。
先生。おはようございます。
『内田先生はとても健康に良い食事(内容は忘れた)を始めてとても健康的になった。そうすると、周りが食べている「不健康な食べ物」が気になって仕方がなくなる。アドバイスをし、説教をするようになる。お前、そんなに体に悪いものを食べるんじゃない、、と説く。周りがみんな体に悪いものを食べているのでいつも内田先生はイライラし、怒りっぽくなる。友だちがだんだん周りから去っていく。会うと説教されるからである。そして、内田先生は、「毒と知りつつ」砂糖の多い食事などに戻したら、おおらかなキャラを取り戻したというのである。』
最近私も似たような経験をしておりまして、このお話をうかがうと、反省させられます。
持病のため、健康的な食事を心がけ、以前より体調がよくなってきました。そうすると、内田先生と同じような気持ちになり、つい、家族をはじめ、周囲の人の健康を気遣ってのつもりが、いつのまにか「押しつけの、口出し」になってしまい、雰囲気が悪くなってしまいます。。
私自身は、健康的な食事を続けるつもりですが、周囲に合わせて、週に1回くらいは「おつきあい」的な食事をしても、体調がおかしくならないくらいの健康さと、周囲の(ちょっと不健康だなと思うようなものでも)嗜好を許容できる おおらかさを手にしたいと思います。
投稿情報: Akeminnko | 2011/05/08 09:35